- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061984257
作品紹介・あらすじ
18歳の時に書いた作品で芥川賞候補となり、21歳で自殺した幻の作家・久坂葉子。神話化した天才作家の心の翳りを映す精選作品集。
今も惜しまれる元祖天才文学少女、その青春の光と影――。18歳の時書いた作品で芥川賞候補となり、そのわずか3年後に、列車に身を投げた久坂葉子。名門の出という重圧に抗いつつ、敗戦後の倦怠と自由の空気の中で、生きることの辛さを全身で表すかのように、華やかな言動の陰で繰り返される自殺劇……。遺書的作品「幾度目かの最期」を中心に、神話化された幻の作家の心の翳りを映す貴重な1冊。
久坂部羊
自殺の当日に完成されたのが、本書収録の『幾度目かの最期』である。この作品を読んだときの衝撃は、今も忘れられない。自分の死と文学をこれほど一致させた作品がほかにあるだろうか。自らの死を1編の小説に結晶させ、その作品の予告通りに死ぬ。それは芥川にも太宰にも三島にもなし得なかったことである。――<「解説」より>
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
p23
夏の宵を、秋の黄昏を、私は愛してもいない人の腕にからまりついて酒場へ行き、むりに酔い、かなしい旋律に頬を寄せたまま誰とでも踊り、賭事に夢中になろうともした。だが私は自分の脳裏より彼を追い出すことは出来なかった。
p166
「全く複雑のようで簡単ね。死ぬ人の心理なんて。死ぬ動機だって一言で云いあらわせてよ。死にたいから死ぬの。何故って?理窟づけられないわ。生理的よ。衝動的よ。泣く、笑う、死ぬ、みんな同じだわ。他愛のない所作でしょうよ」 -
久坂葉子は昭和6年、造船会社の家に生まれたお嬢様であったが
終戦後、父親が公職追放を受けたため
家財道具を売り払って、食いつなぐ生活を送るハメになった
その後、文学の道を志す
没落貴族としての生活を自らの小説世界に反映させていたが
太田静子のようなずぶとさを持つには若すぎたのか
「四年のあいだのこと」
かつての少女が大人になって
かつて恋した往診の先生を訪ねるのだが
米兵のジープが走ってきたとき、不意に「ある感情」を持つ
ちょっといきなりすぎてショックだ
「落ちてゆく世界」
没落した一家のあるじは病床にあって孤独だった
彼が死んだとき、子供たちの世界は変っただろうか?
「灰色の記憶」
自伝的な作品で、最初の自殺未遂までが記されている
あるいは、太宰治の「人間失格」に触発されたものかもしれない
反抗的な少女時代を送ったように書かれているが
基本的に「良い子」あつかいを受けていたらしいことは端々から伺える
「幾度目かの最期」
前に好きだった男と、新しく好きになった男
あと好きでもないのにつきあってる男
三人まとめていっぺんに交際しているが、どうも破綻をきたしつつある
…といった告白の手紙なんだけど
作者がこれを書いた翌晩には、阪急線に飛び込んで死んでしまったという
いわくつきの文章というか、まあ遺書だよね
しかしどうも、男たちとのことは自分自身への言い訳っぽい感じがする
つまり、自立した女としての自己像を守ろうとするものではないか?
そんな気がする
確かにこの人、死ぬ死ぬ言って周りの気を引くめんどい女だったらしいけど
三股交際も要は小説のネタづくりでしょう…そんなことより
ここに書かれていることでは、家庭内の確執のほうがよほど深刻な気がする
公職追放を受けた父親への、世間の目は厳しく
子供たちもその巻き添えを食う格好となった
「鳴かぬなら、鳴くまで待とう」のたとえもあるように
公職追放が解けるまでじっと耐えて待つのも、ひとつの選択だが
しかし若い娘にはそれが歯がゆくてならない
現実に、社会からの悪意をぶつけられて苦しんでいるのは子供たちなのだ
それがいつまで続くのかという不安、焦り
そしてなにより、そのことをわかってくれない大人たちへの苛立ちがある
これらにさいなまれる苦しみでは、死の理由に足りないものだろうか
「女」
とある女が死ぬ前の挨拶回りで遺書を配るというはなし
おそろしい
「鋏と布と型」
服飾デザイナーとマネキン人形が会話するという戯曲
やっぱ年を取るのはイヤだったらしい -
もし仮に、久坂葉子が現代に生きていたら、俺は真っ先に騙され、連帯保証人の判を押していただろう。
-
この一冊に辿り着けて良かったと思える本がまた増えた。
-
表題作他「四年のあいだのこと」「落ちてゆく世界」「灰色の記憶」「女」「鋏と布と型」「南窗記」収録。名門の家に生まれたことの重圧、恋愛の破局、仕事の悩み……何が彼女を鉄道自殺へと駆り立てたのは定かではないが、作品から滲み出る悲痛な叫びが胸に突き刺さる。表題作である「幾度目かの最期」は自殺直前に書かれた作品であり、殆ど遺書と言える内容だ。激しい感情の奔流、死へひた走る筆が圧巻であり、酷く悲しく苦しい。「鋏と布と型」はマネキンとデザイナーの戯曲で、作者は何も傷つかないマネキンに憧憬を持っていたのではないかとふと思ってしまった。
-
昭和6年(1931年)生まれ本名川崎澄子、曾祖父が川崎造を始めとする川崎財閥の創設者、父親は川崎造船(現川崎重工業)専務、神戸新聞社長、母親は華族出身というセレブ一族だが、幼少の頃より乳母に育てられ両親の愛情は乏しく家柄故躾は大変厳しく育てられた。
父親の影響から8歳にして俳句を詠み12歳頃より小説を読み出し15歳時には随筆集を纏める等天才少女の片鱗が伺える。
16歳で最初の自殺未遂、17歳時にも2回自殺未遂を起こし21歳の大晦日に3日間で書き上げた遺書的作品”幾度目かの再期”を脱稿し仲間と忘年会後に阪急六甲駅で電車に飛び込み自殺を図った。この小説は当時3人の男性との付き合いに悩み自分の両親に辟易しながらも演劇、音楽、執筆に日々忙殺されながら悶々とする彼女の心の告白である。
若く短い人生であったのに彼女の言葉は重く深く胸に突き刺さる。青白き大佐、鉄路のほとり、緑の島という男性3人の間で激しく揺れる動く異常なまでの彼女の感情と言動には正直反感を持つ部分も出てくるが鮮烈な彼女の人生に心打たれました。 -
神戸生まれのこの作家は、本名を川崎澄子というそうです。
神戸の川崎製鉄(川崎市ではない)や川崎重工、川崎造船、川崎汽船などの、神戸川崎財閥創設者の直系、大変なお嬢様です。
19才の時に芥川賞候補となり、2年後の大晦日に、阪急六甲駅で鉄路に身を投げて自尽しました。1952(昭和7)年のことでした。
どんな作家だろうと興味を持ち、図書館で1冊かりて読んでみました。
まず注目は「幾度目かの最期」という遺作。
彼女は実生活で4度の自殺未遂をしているらしいが、
この作品はまさにそのあたりが書かれた遺書のような作品。
年末に自尽するまでの心の移り変わりが書かれていました。
3人の男性との関係。
揺れ動く自分、そして、結論。
自裁と表現したほうがいいかもしれい、彼女の死。
でも、作品自体は面白いとは思いませんでした。
最初にこれを読み、あとは本の頭から読んでいったのですが、
「落ちていく世界」という小説が大変おもしろい。
で、よくよく見ると、これはのちに編集者に手を入れられ、
「ドミノのお告げ」とタイトルを変えられて、
芥川賞候補になった作品らしい。
19才でこの文章が書けるとは・・・うーん、すごい才能。
そんな作品でした。
若くして花開いた女性の作家、しかも、早くに散ってしまった作家。
そういう作家たちは、とても難しい面があるのですが、これまでに会えなかった素晴らしい作品に出会えるチャンスあり。そんな期待を抱かせてくれます。