原子爆弾―その理論と歴史 (ブルーバックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (478ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062571289

作品紹介・あらすじ

無差別大量殺戮兵器の巨大なエネルギーはどこからどのようにして発生するのか?この疑問に答えるべく、原子核の世界の秘密を明らかにしてきた近代物理学の歩みを紹介しながら原爆の理論と開発の歴史を臨場感いっぱいに詳説する。

感想・レビュー・書評

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  • 1540

    山田 克哉
    1940年生まれ。1964年東京電機大学工学部電子工学科卒。米国テネシー大学工学部原子力工学科大学院修士課程(原子炉理論)、同大学理学部物理学科大学院博士課程(理論物理学)修了。Ph.D.アーカンソー州セントラル・アーカンソー大学物理学科助教授、カリフォルニア州立大学ドミンゲツヒル校物理学科助教授を経て、現在、ロサンゼルス・ピアース大学物理学科教授。アメリカ物理学会会員。


    原子一つの大きさは一億分の一センチメートル程度で人間の感覚ではとてもとらえられないような小さな粒子である。例えば五〇グラムの鉄の中に含まれている鉄という名の原子の数は約一の後にゼロが二三個付く数()である。このように我々が日常生活で接する物質は膨大な数の原子からできているのです。

     しかし鉄に限らずどんな種類の原子を取ってみても、一つ一つの原子は構造を持っており、原子の中心には原子核というさらに小さなしかも重い核があり、その核の周りに電子と呼ばれる軽い粒子が回っている。ちょうど我が太陽系を思い起こしてみるとよい。太陽系では太陽が中心であり(太陽系の核)、太陽の周りに水星、金星、地球、火星などの惑星が回っている。太陽系ではその核を成す太陽が最も重い。すなわち太陽が原子核に匹敵し、惑星が電子に匹敵します。

    当然原子核は原子よりも小さく、原子核の大きさは一〇兆分の一センチメートル程度である。原子と原子核は言葉上混同されやすいので、以後、原子の中心を成す原子核のことを単に「核」と呼ぶことにするが、必要に応じて原子核と呼ぶときもある。原子爆弾が爆発するのはこの核が爆発を起こすのである。したがってより正確には原子爆弾は核爆弾と称されるべきであろう。

    当時、科学と言えばドイツとうたわれていたくらいにドイツの科学は世界一を誇っていた。そして核分裂はそのドイツで発見されている。第二次世界大戦前までは日本に限らずアメリカでさえも、物理学に限らず科学を志す若者たちの多くはドイツに留学していたのである。原子爆弾の構想が出てきた以上、ドイツは間違いなく原子爆弾開発に乗り出すであろうことは容易に推測できたし、またドイツはそれを可能ならしめるような国であることもわかっていた。イギリスやアメリカの科学者達は、アメリカがヨーロッパ戦に参戦する以前から、ドイツの原子爆弾開発を懸念しています。

     マイトナーの父はウィーンで弁護士をしており、彼女はなに不自由ない少女時代を過ごした。数学や物理に対する娘の秀でた能力に気づいた彼女の父は、早くから彼女に家庭教師を付けて大学に入る準備をさせた。当時女性が大学に入ることじたい大変なことであった。しかし彼女は難なく入学試験に合格し、ウィーン大学に入学した。向学心に燃えていたマイトナーはできる限り多くの講義に出席したが、どのクラスも女子学生は彼女一人であった。ある教授の強い勧めもあって彼女は物理学を専攻することになった。当時、ウィーン大学は創立以来五四一年間の長い歴史中わずか一四人の女性にしか博士号を授与しておらず、しかも物理学の分野では一人として女性に博士号が授与されていなかった。一九〇六年、マイトナーが二七歳のとき、その物理学の分野で彼女に博士号が授与されたのである。当時ドイツにはマックス・プランクという物理学者がいた。プランクは後に 黒体輻射 理論を打ち立て、結局それが量子力学というまったく新しい物理学を生み出す結果となり、その業績によりプランクは一九一八年にノーベル賞を受賞することになる。マイトナーがウィーン大学で博士号を取得した頃、ベルリンでプランクは一連の講義を担当していた。内気ではあったが人一倍向学心の強いマイトナーは両親の反対を押し切って、女一人、プランクの講義を受講するためウィーンからベルリンに出向います。

    さてアインシュタインのもっとも有名な式 E = mc 2 において E はエネルギーを表し、 m は物体の質量を、 c は真空中での光のスピードを表す。真空中での光の速度( c の値)は秒速三〇万キロメートル(時速ではない!)である。地球の赤道にそって光が走行することを考えた場合、光の走行距離は一秒間に赤道の周りを七回り半する。この赤道の周り七回り半の距離がちょうど三〇万キロメートルである。これが光の秒速である。エネルギー E はすべての種類のエネルギーを表す。 E は熱エネルギーであるかもしれないし、運動エネルギーであるかもしれません。

    その頃、フランス人科学者ピエール・キュリーに嫁いでいたポーランド人のマリー(ポーランド語ではマーヤ)はこのミステリアスな放射線に異常な興味を抱いた。夫のピエールはすでにピエゾ効果の発見者として有名になっていた。結晶をギューッと押して圧力を与えるとその結晶に電圧が現れ、逆に結晶に電圧をかけてやると結晶の形は変わり歪むのである。これがピエゾ効果である。ピエール・キュリーはこのピエゾ効果を利用して電位計、エレクトロメーターを考案した。マリー(キュリー夫人)はこの電位計を用いてウランから出てくる放射線を測定し、放射線の実在を確かめたのである。いちいちフィルムを感光させて放射線の有無を確かめるよりも電位計を用いたほうがより正確で手っ取り早い。この電位計を用いる方法によりマリーは、さらにウランだけでなくトリウム元素からも同じような放射線が出ていることを突き止めます。

    放射能に侵されていた晩年のキュリー夫人は手の指は曲がったままになり、目はほとんど見えなくなっていた。「暴いてはいけない自然を暴いてしまった神のたたりなのかしら?」と言ったことがあるマダム・キュリーは、一九三四年、白血病のため六七歳の生涯を閉じます。

    ただ中性子は電気的に中性であるという点ではガンマ光子と同じである。ガンマ線を中性子線(中性子群の流れ)に置き換えてみると、右に掲げた二つの奇妙な点は完全に取り除かれることがわかったのです。

    ニュートリノの存在の予言はオーストリアの物理学者ヴォルフガング・パウリによってなされています。

    したがって熱線や光、その他の電磁波は「ピカッ」と光った瞬間に地表に達する。強烈な衝撃波は音速以上の速さで地表に達し、家屋を吹き飛ばしたり破壊したりする。対流によって分裂片は上昇していき、いわゆる「きのこ雲」を形成する。炸裂から一分後にはきのこ雲は高度九キロメートルにまで舞い上がる。きのこ雲は強い放射線源となっている多量の核分裂片を運んでいき、それらはいわゆる「死の灰」を形成して大気中を漂い、放射能雨となって地表に降下します。

    候補地として京都、広島、新潟、横浜、小倉、長崎が挙げられた(長崎は後から付け加えられた)。スチムソン陸軍大臣は真先に、京都をターゲットから外すよう勧告した。スチムソンは、京都は歴史的に由緒ある日本文化の中心であり、そこには貴重な(国宝級の)建造物が多々あるので京都を原子爆弾で一掃してしまうのは余りにも分別のない考えであると強く主張し、結局、京都はターゲットから外されることになっています。

  • 広島・長崎への投下を本の結末として、約50年もの原子爆弾にまつわる化学史とそこにまつわるエピソードを記述した本。
    ブルーバックスなので理論も勿論あるが、縦書きなので理論部分は読みにくい。数字はすべて漢数字なので、桁がパッと見分からない「一〇〇〇〇」とか、「ウラン二三八」「ウラン二三五」といった表記が並ぶ。果ては「二三+五七+…」となると、ちょっと厳しい。私はその辺を読み飛ばした。

    あくまで歴史モノとして読めば、非常に学びがある。
    キュリー夫妻は放射線に直に触り続けたため死期を早めたとか、アインシュタインは原爆製造に全く関わっていなかった等、小出しにできる発見もあった。

  • ブルーバックスなので実に物理が細かく書かれているが、学生の頃ちんぷんかんぷんだったものがわかりやすく書かれていてこの年で物理に開眼しました。
    原子力エネルギーの発見がすぐに爆弾に繋がってしまう、発想が戦時中とはいえ、ああ人類という感じ。
    投下に至る場面もしごくあっさりで実験された感が強い。どちらにしても、この攻撃的な生物のショウのなさをしみじみ思う。
    古い本だが興味のある人にはをわかりやすいので物理が苦手でも理解できると思う。

  • 2017.04.25 四次元の世界、相対性理論、アインシュタインに思いを馳せていたら、原爆の父オッペンハイマーやマンハッタン計画とは何であったのかが気になりだした。

  • 歴史的に世界大戦時にドイツの物理学者とユダヤ人、背景にナチスドイツ…やはり、戦争がキーになるのだが、そもそも、兵器利用としての側面があるにもかかわらず、ノーベル賞なのか。要は使い方の問題。

  • ぼんやりとは知っていた核分裂
    この核分裂を原子爆弾として完成させるまでの理論の発展を噛み砕いて解説している。
    ひとつの大きなプロジェクト活動として考えても、何か特別な力が働いたように感じる。

  • 寝る前のフォトリーディング&起床後の高速リーディング。
    以後高速を交えて熟読する。

  • 原子爆弾の原理が、開発の歴史とともに詳しく書かれていて、とても分かりやすいです。

  • 原子爆弾開発までの科学的な歴史を追った本。
    説明が丁寧で重要なことを必要なところで何度も述べてくれるので、文系の私でもなんとかついていけた(個々の理論についてはわかっていないけど…)。

    核分裂発見から4~5年という異例のスピードで開発されたのには、やはりWW2の影響がとてつもなく大きい。
    ドイツに対抗するために、という名目のもと、優秀な科学者(とくにユダヤ人)がアメリカに集い、結果的に原発が作られることになった。

    科学者にとってはとても大きな発見、栄誉だったのだろうけど、
    だからといって一国に投下していいということにはならない。そこは間違えてはいけないところだと思う。

    最後、日本に投下されることになった経緯はそれまでの丁寧な記述からするとびっくりするぐらい薄く感じた。歴史的な話になるからあえてそうしたのかもしれないけれど。

    だが、原発の仕組みそのものを理解することができる良著。原発はいくつもの避けられないリスクの上に成り立っているということがよくわかった。

    「臨界」の意味がなんとなくわかったことが大きな収穫。中性子放射の程度を調整することで、エネルギーが自然に吸収されていくか、または爆発的なエネルギーが生じるかが決まる。自然のおそろしさを感じた。

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著者プロフィール

山田克哉(やまだ・かつや)
1940年生まれ。東京電機大学工学部電子工学科卒業。米国テネシー大学工学部原子力工学科大学院修士課程(原子炉理論)、同大学理学部物理学科大学院博士課程(理論物理学)修了。Ph.D.。セントラル・アーカンソー大学物理学科助教授、カリフォルニア州立大学ドミンゲツヒル校物理学科助教授を経て、ロサンゼルス・ピアース大学物理学科教授に就任。2013年6月に退官。アメリカ物理学会会員。主な著書に『原子爆弾』『光と電気のからくり』『量子力学のからくり』『真空のからくり』『時空のからくり』『E=mc2のからくり』(いずれも講談社ブルーバックス)などがある。「読者に必ず理解してもらう」意欲にあふれた熱い筆運びで、ブルーバックスを代表する人気著者の一人。1999年には、講談社科学出版賞を受賞した。

「2023年 『重力のからくり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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