崇高の美学 (講談社選書メチエ)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062584135

作品紹介・あらすじ

「崇高」とは何か?十八世紀にアイルランド人思想化エドマンド・バークによって静態的な「美」に対置する美的カテゴリーとして規定され、カントによって哲学的に厳密な概念として確立された「崇高」という概念は、ヒロシマの惨劇に象徴される、テクノロジー社会と人間という現代の大きな問題を考え直す思考として生まれ変わる。「なんの変哲もない石ころ」への凝視から始まる、美学の新たな可能性。

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  • ・バークによれば、人間の根源的感情はすべて、おおまかに、「苦」(pain)と「快」(pleasure)との観念に分けられるとされます。そしてこれらそれぞれが、「自己保存」と「社交」というある種の本能―バーク自身は「本能」とはっきり言ってはいません―にかかわるものに、さらに弁別されるというのです。そうして最終的に、それぞれがまた、「崇高(なるもの)」と「美(なるもの)」といった、二つの美的カテゴリーへと振り分けられていくのです。

    ・小林秀雄は、「あのバラ、このバラ」の美しさについて―こちらはバラではなくスミレを使って―さらに思弁的に語りました。野に咲く「一輪の美しい花」を、「なんだ、(あれは)スミレか」と「ことば/観念」で認識してしまった瞬間、そこで美的体験は終わってしまう。あくまでもその姿や色合いといった「物のかたち」を眼で(それが「沈黙」にいたるほどまで)じっと凝視し続けることこそ、ほんとうに一期一会の美的体験なのだ、と。
    カントにおいては、「あのバラ、このバラ」の美しさしかないのです。といいますのは、人間の認識能力では、バラ一般がもつ普遍的な「美性」は規定し得ないが、個々別々に出遭われるバラの「美しさ」については十分に論じ得る、ということです。このような美的判断は、個々の自分の経験から振り返って他の人にも妥当する普遍的判断だと断じるという意味で、「反省的な(レフレクテーフ)」ものと呼ばれているわけです。
    そうしてカントは、このような「美」の体験以外にも、これと同じ反省的判断がはたらく別種の美的判断が存在するというのです。それこそ、まさに「崇高」の感情体験だ、というわけです。カントの分析では、「崇高」はその特性にもとづき、「数学的崇高」と「力学的崇高」という二種類に分類されていました。

    ・アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮だ。―アドルノ

  • 【目次】

    はじめに
    序論 石ころへのオマージュ
    第一章 「崇高」とはなにか
     1.「崇高」という語の起源から
     2.バークまでの崇高美学の歴史──修辞学から新しい大地の美学へ
    第二章 崇高美学の体系化──バークからカント、そして現代へ
     1.バークの「崇高」概念
     2.バークからカントへ──『判断力批判』の意義とその限界
     3.カントからふたたびバークへ──現代崇高論との交叉点
    第三章 山と大地の「崇高」──カントの人倫的崇高を迂回する道
     1.ジンメルによる山岳美学と崇高──造形芸術および廃墟との比較
     2.ラスキン『近代絵画論』にみる地質的美学
     3.「地」を愉しむ「渓歩き」へ
    第四章 アメリカ的崇高と原爆のヒロシマ──自然vs.技術
     1.「アメリカ的崇高」と現代のテクノロジー社会の帰趨
     2.アメリカン・テクノロジーの帰結、あるいはヒロシマの出来


    あとがき

    *****

  • 【目次】

    はじめに
    序論 石ころへのオマージュ
    第一章 「崇高」とはなにか
     1.「崇高」という語の起源から
     2.バークまでの崇高美学の歴史──修辞学から新しい大地の美学へ
    第二章 崇高美学の体系化──バークからカント、そして現代へ
     1.バークの「崇高」概念
     2.バークからカントへ──『判断力批判』の意義とその限界
     3.カントからふたたびバークへ──現代崇高論との交叉点
    第三章 山と大地の「崇高」──カントの人倫的崇高を迂回する道
     1.ジンメルによる山岳美学と崇高──造形芸術および廃墟との比較
     2.ラスキン『近代絵画論』にみる地質的美学
     3.「地」を愉しむ「渓歩き」へ
    第四章 アメリカ的崇高と原爆のヒロシマ──自然vs.技術
     1.「アメリカ的崇高」と現代のテクノロジー社会の帰趨
     2.アメリカン・テクノロジーの帰結、あるいはヒロシマの出来


    あとがき

    *****

  • 講談社メチエの一冊。前にも紹介したが,今回学会で発表した田沼武能の内容をどう面白くしようかと考えているときに,論文集『つくられた自然』で読んだ崇高論がヒントになると思い,調べていくうちに,議論の中心となる概念となることが分かった。一応,メチエの新刊は書店でチェックしているので,この本の存在も知っていたが,日本人によるこの手の本にはあまり期待をしないのだが,この概念について調べるほど,奥深いことが分かって,日本語で読める範囲でも今回の論文で全てカヴァーすることは不可能だと思い,手っ取り早くこの概念の全容を知るために,読むことにした。幸い,本書を読む前に,彼の所属する広島大学のレポジトリで,2本ほど本書にも含まれているような論文を2本読むことができた。すると,美学という日本ではあまりメジャーではない分野(美術批評や美術史はまだ名の知れた人はいるが)の研究者としてかなり優秀であろうことは,1本の論文を読めば分かる。そして,この著者は私と同い年。そして,単著としては本書が初めてというのも親近感を覚えます。
    さて,予想したとおり,非常に読み応えのある1冊でした。こういうのがこういう叢書で出されるというのはいいことです。個人的には「ですます」調になっているのは気に入らなかったりしますが,私が読んだ論文も,単に語尾だけを変えて収録されているのではなく,きちんと筋書きを考えて組みかえられているのはすごいと思う。私はいったん世に出た論文を書き換えて本にするのはなかなかできないことだ。
    さて,「崇高」概念は近年,フランスの哲学者リオタールによって復活し,流行しつつあるようだ。まあ,近年の動向は後半で詳しいとして,前半は古典的な歴史が押さえられる。私も今回学会で発表した内容を文章化する上でとりあげた,古典中の古典,エドモント・バークの『崇高と美の観念の起原』はバークの生い立ちや,政治的著作との関連も含めて詳細に議論されているし,私は今回読むのを断念したもう一つの古典,エマニュエル・カントの『判断力批判』についても丁寧に検討されている。そして,私は自分の論文のなかで,多少異なった文脈でとりあげた,ゲオルク・ジンメルがまさに崇高論の脈略として登場するのには驚いた。
    さて,その辺は私も大まかには知っていたところだが,本書はそこへ導く冒頭の道筋が面白い。著者は幼い頃,無類の石好きだったという。それを個人的な昔話としてだけではなく,歴史的な石ころ好きたちの言説を取り上げながら,それがいかに「崇高」というものと関係するのか,しないのか,という問いかけとして序章が書かれているのだ。
    そして,ジンメルが取り上げられたのは山岳美学の代表格としてだが,その議論の延長線上に,近代日本の話に移行するところも地理学者としてはたまらない。あ,その前にジョン・ラスキンに関しても多くのページが割かれているのは,英国の地理学者コスグローヴの『社会構成対と象徴的景観』とのつながりを感じさせる。日本の話が必然的に20世紀へと入っていくので,終章は現代の話となる。
    最終章によると,現代アメリカでは,テクノロジーと結びついた「アメリカ的崇高」という概念がよく使われるらしい。その事例は次から次へと紹介され,それらのどこがかつての「崇高」概念とどうやって結びつくのか,思考が追いつかない。ちょっとこの辺りは著者も動向を追いかけるのに精一杯で,それをきちんと紹介するいはいたっていないようにも思うが,そこまではこの本では要求しないし,素材だけでも魅力的なものが十分に提供されていると思う。
    そして,最後の最後は私が読んだ論文でも論じられていた内容だが,被爆都市としての「ヒロシマ」について。著者は大阪大学の卒業論文の時から崇高概念にこだわり続けているらしいが,現在は広島大学に勤める。ヒロシマに住むようになって「ヒロシマ」の問題を自らの研究の中心におくようになったのか,かつてから「ヒロシマ」について考えていて,広島大学に就職したのか,それは分からないが,こういうの,私も理想だ。地理学者の場合は自分が勤め,住むことになった場所について片手間に文章を書くようなことがあるが,本書の著者の場合はそうではない。しかも,過去にヒロシマで起こった悲劇を現代において芸術という形でどう伝えていくか,というところが主眼で,非常にアクチュアリティがある研究だと思う。中心に論じられるのは,先日亡くなった井上ひさし氏の演劇『父と暮せば』である。
    ともかく,私はたまたま自らの研究として「崇高」に興味を持って本書を読むことになったが,本書にはかなり大きなテーマが潜んでいて,人文・社会科学に携わるものならば読んで損はない作品です。

  • 消費社会論の塚原史先生推薦。
    「消費社会と格差社会の同時進行のはざまで生きる現代人にとって、「崇高」という言葉はいかにも現実離れして聞こえるだろう。しかし、有限な存在としての人間を圧倒するこの概念が、じつは私たちの日常的な悲哀を見つめる行為と無縁でないことに気付かせてくれるのが本書である」

    崇高とは見慣れた日常を見知らぬ世界に変える感性に他ならないと気づかせてくれるという本書、要チェックです。
    ※千代田図書館 貸出可

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著者プロフィール

1970年3月群馬県渋川市生まれ。現在、広島大学大学院総合科学研究科教授(美学・芸術学・文化創造論)。1993 年3月大阪大学文学部(美学・文芸学)卒業。大阪大学大学院文学研究科博士課程(芸術学・美学)修了。エドマンド・バーク美学の研究で大阪大学より博士(文学)号取得。日本学術振興会特別研究員PDを経て、2004年4月より広島大学総合科学部助教授。広島大学大学院総合科学研究科准教授を経て、2016年2月より現職。甲南大学、島根大学、大阪大学などで非常勤講師を歴任。2011年4月より一年間、トリニティ・カレッジ・ダブリン客員研究員(歴史学)としてアイルランドに滞在。主著に『崇高の美学』(講談社、2008年)など。

「2016年 『生と死のケルト美学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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