英語の帝国 ある島国の言語の1500年史 (講談社選書メチエ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062586368

作品紹介・あらすじ

日本語もまだ覚束ない幼児を英語塾に通わせる親。「グローバル社会」に対応するためと称し、早期英語教育を煽る文科省。こうした「英語熱」はどのような歴史を経てもたらされたのか。英語はいつからこのように世界を覆う言語になったのか。
本書でいう「英語の帝国」とは、5世紀頃にイングランドに出現した言語が、ブリテン諸島すなわちウェールズ、スコットランド、アイルランドに広がり、ついで近代には、インドやアフリカ、オーストラリア、アメリカをも含む「ブリテン帝国」へと達し、さらにはそれ以外の文字どおりグローバルな地域に拡大した英語圏を指す。これらの広大な地域は、どのように「英語」と出会い、反発し、受け入れてきたのだろうか。
立身のために子どもへの英語教育を熱望したウェールズの親たち、アイルランド人のナショナリズムと英語への抵抗、アフリカでのキリスト教と一体化した「英語帝国主義」など、各地、各時代の英語をめぐる様相を明らかにしていく。そして、日本における英語教育の始まりと、森有礼の「日本語廃止論」の真相とは。
現代日本における一見、滑稽でさえある「英語熱」に浮かされた光景は、長い「英語の帝国」の歴史のあちこちに見られた。「英語の帝国」の構築を推進し、そこから利益を得た人びとは、ふつうの親たちを巧妙にこれになびかせるシステムを作っていたのである。こうした過去を見据え、「自己植民地化」を免れて未来を展望するために必読の書。

感想・レビュー・書評

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  • 英語の拡散とその需要のされ方についての通史である。

    紛れもなく帝国的な広がり方と言えるし、
    もしかすると帝国主義とは言語の不均衡な浸透を言うのではないかとも思える。

    しかし、当然軍事的な侵略のみで言語の浸透は起きない。
    当該地方の積極的な受け入れもあってこその不均衡な浸透である。
    つまるところ、それが「役に立つ」から喜ばれるという側面だ。

    京都に住んでいると外国からの旅行者を多く見かける。
    ヨーロッパだけでなく、アジア圏からも多く来ている。
    中国人か韓国人か台湾人か、区別はつかないけれど
    土産物屋の店員やホテルの対応は特に困らない。
    みんな同じように英語を話すからだ。

    これが支配言語があやふやで
    日本語を勉強しないと日本に行けないのでは大変だし
    受け入れ側も3、4ヶ国語話さないといけないのでは
    これはもうほとんど無理だと言っていい。
    それを英語だけで来訪客のほとんどをカバーできるなら
    これほど役に立つこともない。

    これを自発的な植民地化としてとらえるのは真っ当なことだと思う。
    真っ当なことだと思うが、この場合、防ぎようはないのではないかと思う。
    もしくは勝敗があるとすれば、
    言語の植民地化が始まる前から勝敗は決していたのだと言うほかないのではないか。

    今の日本語は間違いなく消える。平安時代の日本語はすでに
    日本の標準語ではなくて、明治維新からの教育とNHKによって
    薩長連合あらため大日本帝国が日本語を征服した。

    それとまた同じことが起きるだろう。
    そして、教育の力を持ってしても青森の人の話す言葉は
    僕には聞き取ることが困難だし、
    沖縄の人の言葉は単語からして何か違うが、
    同じ日本語を話していることになっている。

    200年後ぐらいには京都訛りの英語はねちっこいとか言われたりするんだろう。

  • 本書の核となるのはウェールズ・スコットランド・アイルランドにおけるイングランド語の進出の過程である。その後,インドやアフリカ,日本などの歴史についても触れている,日本の章では森有礼の「日本語廃止論」を読み解いている。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/692837

  •  イングランドの言葉である英語がイングランドの領土拡大に伴って、いかにして広まっていったかを説明しています。イングランドの隣国であるウェールズやスコットランド、アイルランドの人々の英語への学習熱がこの本から読み取れます。また著者はインドやアフリカ、日本などのヨーロッパ以外の地域での英語の広がりも説明しています。どの事例もその地域の人々が商売のためや出世のために英語を自ら学ぼうとしていたということでした。何百年前の人たちも現在の英語を学ぼうとする人たちと同じ動機であったことがわかります。
     本書の終章では英語の未来という節があります。英語以前に大きな力を持っていた言語としてフランス語が挙げられています。英語が普及した歴史も大切ですが、フランス語が国際的な影響力を失った過程も見ることも大切なのではないのでしょうか。力を失った言語が辿った道を観察することで、より英語の需要の高さが浮き出るのではないかと読みながら感じました。

    中央館3F:図書 830.2/H68

    https://opac.lib.niigata-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB22016242?caller=xc-search

  • 「英語帝国主義」の成立に、支配する側の強制が必要なのはもちろんだが、もうひとつ重要なのが、支配される側のこどもの将来を案じる親の気持ち。この親心がブリテン島から始まって、インド、アフリカと広がり、日本にも到達した。
    センター試験での英語四技能試験へと至る、長い長い歴史の流れがわかり、植民地主義の内面化とどう向かい合うべきか、を考えさせられる。

  •  「ブリテン近現代史」が専門の著者による、イングランドの英語がスコットランド、ウェールズ、そしてアイルランドを含めたブリテン諸島に広がっていき、そこからインドやアフリカを含むブリテン帝国へ(厳密にはp.129にあるように「ブリテン諸島とブリテン帝国の英語の普及は近現代に並行して行われた」らしいけど)、そして日本を含む世界へと広がっていく過程を観察し、英語話者と非英語話者(受容側)の態度はどうであったのかを解説する本。日本の章では、「英語公用語論」と関連して森有礼の話題と、そこに端を発して議論される昨今の英語教育についての見解も述べられている。
    英語史で勉強する外面史は、せいぜいゲルマン民族の大移動で英語話者が入ってきて、ノルマン人の征服があって、ルネッサンスがあって、移民たちによってアメリカに広がり、今ではWorld Englishesですよ、くらいな話だが、そういうこととは全く違う、もっとイギリスやインド、アフリカ、日本の当時の社会状況とか人々の様子を踏まえて、英語が教育されたり押し付けられたりしながら広がっていく過程を知ることが出来る。英語そのものの変遷の話はほとんどなく、英語という切り口で見た歴史の本、という感じ。
     まずウェールズとスコットランドの話が出てくるが、どれもおれにとっては新しい話。地図も載っていることは載っているが、語られている全ての地名が確認できる訳ではなく、ちょっと分かりにくいところもあった。興味深かったのはウェールズの「英語が話せない教員」の話。「南ウェールズの報告書のまとめの部分では『教職はほとんどどこでももっとも尊敬されず、もっとも悪評が高い職業の一つである。他の職業の掃きだめとして機能し、逃亡者の集まりと書かれる職業の一つである』」(pp.34-5)らしく、日本でも昔「でもしか教師」という言葉があったが、それとも全く状況が違う、ひどい言われようだなと驚いた。「男性で大工、指物師、宿屋経営(略)女性で、お針子、清掃作業員、家事使用人」(p.35)が前職だったらしい。スコットランドの話では「スコットランドというと私たちはそれがひとつのまとまりのある『国』であるとイメージしがちだが、じつはそうではない。」(p.54)らしく、ハイランドとローランドで「相互に相手を『野蛮』視することがやむことなく長く続いた」(同)ということで、この2つは人々や物の考え方も全然違うらしい。
     次にアイルランドの話で、まず「クロムウェルによるアイルランド侵攻」(p.96)というものがあったらしく、本当にそういう歴史を勉強したことないなあと反省した。何千名も虐殺して、「クロムウェルがカトリック教徒を集めて焼き討ちにした教会」(同)というものすらあるらしい。そして、学校教育によって現地語が衰退して英語が広がったというのは分かるが、後からインドや日本の話の中でも出てくるように(p.132の「被支配者の『飛んで火にいる夏の虫』によっても普及していく」という表現が面白い。あるいはインドの「ラモハン・ロイ症候群」(pp.140-3))、住民の方がそれを望んで、つまり「アイルランド語は『自殺』した」(p.120)という側面があり、さらに「自殺幇助に問われるのは国民学校というより生垣学校」(同)(「生垣学校」は体制に反対するような貧民層の学校)というのが、現実はそうなのかと思った。
     インドの話では、言語政策上に重要な影響をもたらしたマコーリーという人の話が出てくるが、中でも興味深いのは「インドに滞在した間、マコーリーはインドのどの言語についても学ぼうという努力を行っていない。これは、マコーリーのヨーロッパ言語を用いた読書の幅の広さが驚異的であったことを考えると、困惑するような文化的な視野の狭さである」(p.148)という部分で、どんなに博識で常識がありそうな人でも偏見によっていくらでも知識や見識が狭いものになるということを示す例でもあるし、人種差別を乗り越えるのは難しいことだとかいうことも、特に今の時勢柄、思ってしまう。あとはインド人が教科書から英語を学んで、「教育システムにおける口語英語への不十分な配慮などから、『文語の香り』がするバブー英語が生まれた」(p.161)ということで、おれも口語で堅い単語を使いがちだと指摘されたことがあるので、この人たちの「バブー英語」と似たようなもの?なのか?と思った。
     あと、最後の日本のところでは、英語教員としては興味を持たざるを得ない、というか、森有礼に関する一般的な誤解(ただ、その誤解は「これらはすべて英語で書かれて転回されたために、日本での受け止め方も必ずしもすっきりと行かず、これまで多くの『誤解』が生まれた(p.229)だとすれば、皮肉というか本末転倒な英語使用だったという感じで、複雑な気持ちになるけど」とか、「英語の授業は英語で」と「早期教育」の言説を探っていく感じは、関心を持って読めた。(20/06/21)

  • ふむ

  • 英語がいかにウェールズ、スコットランド、アイルランドで広がり、アメリカやオーストラリアに広がり、その他植民地に広がり、日本や韓国といった直接的に英語を必要としない国々で親が子に教えようとやっきになっているのかという事情がわかる本。オストラーの英語に関する未来予測やカチュルによる円を使った世界諸英語のモデル化など、あまり英語の歴史に詳しくないので勉強になったし面白い。

  •  本多勝一にとって、英語に迎合する彼らは植民地状況下の「飛んで火に入る夏の虫」であり、文化的自殺である。歴史的にも、隷属化を進める「忠僕か幇間(タイコ持ち)」の役割として宗主国の言語を使う輩もかならずでてくるし、むしろその方が多い。本多は、英語が支配者側=宗主国の強制の他に、被支配者の「飛んで火に入る夏の虫」によっても普及していくことをよくとらえている。(p.132)

     ここでわれわれが注目するのは、こう言った「翻訳」や「発信型」の教科書という「膨張する円」の一つである日本での英語のあり方である。「翻訳」や「発信型」の教科書は、開国を余儀なくされて世界的な英語の世界に放り込まれた明治のような時期における「言語帝国主義」への抵抗や歯止めの形態となる。(p.231)

     森有正はおそらく、日本、すなわち「膨張する円」=「非公式帝国」にもひたひたと押し寄せる「英語の帝国」を感知していた。このように圧倒的な「言語帝国主義」にそのまま屈するのではなく、これを受け止めつつも何とか対抗していくのが「翻訳」や「発信型」の教科書であった。「翻訳」は現地語が存続する余地を残すために英語への抵抗や歯止めとなる。「発信型」の教科書も現地文化を盛り込むために一方的な押し付けを食い止める。現に、「外郭の円」では英語が小学校から「教授言語」となったが、「膨張する円」での多くでは英語は中等教育段階での「教科」としてとどまった。「教科」としての英語を教える「発信型」の教科書をつくることは「言語帝国主義」への抵抗となる可能性があった。(pp.232-233)

    「今、英語を学ぶということは、イギリス人という英語民族を先頭にしての西洋の支配、非西洋人に対する支配、抑圧、収奪、差別の歴史をいやおうなしに学ぶということだ。英語をしゃべる人間たちが犯した悪行について学ぶということだけではない。英語そのものが、あるいは英語教育そのものがそこで重要な役割を果したことを知ることでもあるにちがいない()逆に言うと、そういうことを学ばないような、あるいは教えないような英語教育はまったくのところ無だ」(小田実)(p.250)

  • 一番の問題点は、文章がひどすぎて内容に集中できないことである。この著者はフィリプソンの『言語帝国主義』の訳者の一人。さもありなん。

    しかも、この本の引用文献にあるような英語史・社会史の文献をそこそこ注意深く読んでいれば予想がつく内容で新たな発見はほとんどない。

    著者は「「グローバル・ヒストリー」と「英語の普及」を結びつけた政治社会史的な研究」だと誇っているようだが、成功しているようには思えない。

    かなり研究が進んできたWorld Englishes関連の文献から引用がほとんどないのも気になる。

    講談社選書メチエで初めてひどい本に出会った。

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著者プロフィール

1951年生まれ。著書に『英語の帝国』(講談社選書メチエ、2016年)、訳書にアーミテイジ『思想のグローバル・ヒストリー』(法政大学出版局、2015年)他多数。

「2018年 『近代世界の誕生 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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