- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062762939
作品紹介・あらすじ
アイドルの女の子を好きなふりをしたり、気になる男子の名を寝言で呼んだらどうしようと修学旅行で眠れなかったり-著者がゲイであることに悩み、認め、周りにカミングアウトしていく、さわやかで感動を呼ぶ青春記。
感想・レビュー・書評
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この本の単行本が出版されたのが2002年のこと。自分はまだ11歳だった。
「ボクの彼氏はどこにいる」
なんてシンプルで分かりやすく、そして柔らかさのあるタイトルなんだろう。11歳の自分がこの本を見たら、どう思ったんだろう。
その頃のゲイとしての自覚はまだぼんやりとしたものでしか無かった。もしもこの本を手に取っていたら、自分の人生を良い方向に向かっていただろうか?
いや、あまり自信が無い。感化されて早まって、空回りなカミングアウトをしていたかもしれない。
結局、今がこの本を読むべきタイミングだったのかもしれない。
(続きは書評ブログでどうぞ)
https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E6%9B%B8%E8%A9%95%E6%84%9F%E6%83%B3_%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%81%AE%E5%BD%BC%E6%B0%8F%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%AB%E3%81%84%E3%82%8B_%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%A4%A7%E6%88%91詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本が2000年代のゲイ青少年像をつくったといってもいいんじゃないだろうか。そのへんの街にいる、悩んだり苦しんだりしている、オネエってわけでなかったりする、カッコよかったりするんだって。
パソコンとの出会いから世界が広がっている様とその喜びを書いてあるところは胸が熱くなる。若い頃って多くの人が閉塞感に取り巻かれたりするけれど、中身が何であるかに限らずそういう気分でいる人たちには共感をもってもらえると思う。また、同性愛者の権利などに注目しながら法律学者になろうと思っていた大我さんが、そのこと(学者や知識人の立ち位置になること)に逃げのような思いを感じるようになり、市井の人々のなかで生きていこうと思うようになるくだりもすばらしい。多くの人に、特に若者に読んでもらいたい。 -
本書は石川大我さん(以下、石川)という方の自伝である。
彼は同性愛者である。そんな彼のゲイとして生きていくことを自覚するまでの過程の話である。
本書の中に、次のような文章がある。
「「タイガくん、彼女いないの?」
日々の生活で何気なく交わされる言葉。こんな質問にも常に気 をはっていなければいけない日々の生活から解放されて、自分 の思うこと、考えることを思う存分話せるようになりたい。」 (P.12)
ここからわかることは、私たちが日常はなす言葉の端にも、性への規範が染みついているということであろう。石川が男であるということで、相手は女性であることが強制されるのである。なぜ相手は女性でなければならないのであろうか。
そもそも、男性とは何か。女性とはなんであろうか。男性と女性の違いというのは身体的な特徴の違いである。その違いしかない。
違うということとはなんだろうか。
違いということが成立するためにはなにが必要なのであろうか。それは、同じということが必要である。違いということは同じということがその存立には不可欠であるということである。違うことと同じことは根底は分割不可能である。なぜなら、相互がお互いの概念が存立において必要だあるからである。であるのならば、違うことも同じことも「同じこと」であるのではないだろうか。
ただそれだけのことでしかないのだ。 -
○○第一世代、になれるチャンスが、だれにでも人生のうちには何度かあるように思います。「第一世代」になれた人は、手さぐりの闇のなか一歩を踏み出したり、一筋の光をひとより先に感じることができた人たちです。
インターネットを使うことで、それまで出会うことのなかった人と知り合うことができるようになりました。
出会うことのなかった、知られないままそこにいた、さまざまな、マイノリティ。いまではLGBT、と表現されるようになったひとびとの中にも、インターネットに光を見いだしたひとがいました。著者の石川さんも、その一人だと思います。
たまたま、自分も世代が同じだったので、教室の中が男性と女性ではっきり分かれ、話題の中身のアイドルも、女性と男性にはっきりわかれていた当時の雰囲気がすぐ思い出されます。
本当は光GENJIの話がしたいのに、浅香唯のファンを装いながらでなければ仲間でいられない苦しさ。それを思うだけで胸が苦しくなります。
いまおもえば、ほんの30年ほど前の日本は、息苦しくて、生きにくい世の中だったと思います。昔がいまよりよかったなんて全然思えません。かつての日本が美しく、いまの日本は腐っていると本気で思っているひともいるようですが、わたしにはそうは思えません。
出会うべき人が世の中にいることに、パソコンのモニター越しに気づいた瞬間の興奮、鼓動が、自分にも似たところがある人には、きっと伝わるはずです。
一歩を踏み出す前の不安、予想されるネガティブな反応をこえ、ほんとうの自分を開示して生きる生き方を、読みやすい文章で実感させてくれます。
第一世代があった上で、現在の状況があります。
世界が変わったあとになってから、元の世界をイメージすることは難しいことです。とんねるずのかつてのキャラクターを今の世の中でみて笑えるかどうか。または、懐かしめるかどうか。かつての世界、当時を生きたひとたちに、その見識と態度を問われる題材ではないかなぁ、と感じます。 -
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考えさせられます。
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単純にゲイの人のいきづらさを綴った本というよりも、いかにインターネットが社会的なマイノリティである人々にとって強い見方であったかを示している本。若干ベタつく感じのする文章ではあるが、それほどアクが強いわけでもなく、そこそこ読みやすいのは良いところ。また、過度に感傷的過ぎるわけでもなく、自らの存在に対する社会の無理解や拒絶といったネガティブなシーンを冷静に描写し、反論している部分も良かった。
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主張は分かるのですが、読み物としては特段のインパクトはないように感じました。
ある程度、BL小説を読みふけり、リアルゲイやらビアンやらの知識をそこそこ持ち合わせておいて読むと感動にはかけるという印象。
カミングアウトの三か条(自己肯定感の有無、経済的自立、仲間作り)や、カミングアウトの必要性についての思考を促すところ、カミングアウトは終わりではなくて理解しあう対話のための始まり、というまとめ方には納得しました。セクシャルマイノリティが幸せに生きられる社会作りを、人と人との繋がりを、という主張も前向きです。 -
同性愛をオープンにしている政治家の石川大我が苦悩していた過去とオープンにするに至った過程を記す。
ゲイに限らずマイノリティの人達が本当の自分を出せずに苦しむ姿がとてもリアルに感じられた。当たり前のことが違うことがどれだけ苦しくどれだけ孤立感を感じるか。ネットを通してコミュニティとつながり自分らしい人生を得ていく姿もとてもリアルに感じられた。
文庫版にはさらに両親へのカムアウトの様子なども語られている。
マイノリティが自分らしく生きる為には自己肯定感が必要であり、その為には同じような人とのつながりが欠かせないのだと思う。さらにそれらが進む為には社会が理解を示すことがとても重要だと思う。