世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062767132

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  • 酒田は「山形の中でまあまあでっかいけど、たぶん普通の地方都市」くらいの認識しかなかったけれど、そのイメージが少し変わった。久一がグリーン・ハウスやル・ポットフーをプロデュースする場面は痛快で面白い。アイデアマンとして久一を尊敬する。才能があっても、最後はやっぱりお金なんやな、と最後は少し寂しかった。

  • 極端にいえば、酒田に居たとあるボンボンの話。もう少し踏み込んで言えば、「地方文化を維持し育むための手法(昭和版)」。

    突き詰めれば「湯水のごとく金を使えば、地方であってもナンバーワンを取れる」という話。映画の話でも、料理の話でも、ましてや経済・経営の話でもない。正直、こんな人が親類にいたら心が安まらない。

    ただ…こういうボンボン的な立場の人が、軽薄な夢と希望を語り行動しなければ地方には文化は残らないのも事実で。田舎の現状を見ていると、「ボンボンが夢を見られた昭和時代は、まだまだ幸せな時代だったのかな?」と思うところがある。

    地方のボンボンが夢を見ず、夢と引き替えに立てたテナントビルに入った全国ブランドチェーンはそこそこのところで撤退する。残るのは絶望だけで、だからこそ気持ちよく人は立ち去れる。それが今の現実なのかな?と。

    いや…いまでも田舎で夢を見てる人はいるんだろうけど…それを発掘し現金化するのは、炭鉱を掘り当てるより難しいんだろうな、とそんなことを思ったりしてました。

    「寂れる地方都市」の現状を、ノスタルジー込みで客観的に見たい、と思う人にはなかなか面白い一冊。

  • 淀川長治が世界一だと羨んだ映画館「グリーンハウス」と、開高健がその味を絶賛したフレンチレストラン「レストラン欅」「ル・ポットフー」を山形の酒田市に作った男がいた。佐藤久一がその男。その佐藤久一の人生に足を止めたのが、著者の岡田芳郎。岡田氏は、電通時代、大阪万博でパビリオンの企画をやった広告マンで、電通を退社した後にライフワークとしてこの本の取材に取り掛かる。岡田氏は、「無理難題プロデュースします」(早瀬圭一著/岩波書店)で伝説の人物と紹介されている小谷正一の直系の広告マン。佐藤は、1997年1月に亡くなった。グリーンハウスは火災で焼失したが、レストランは2店現在も営業している。佐藤久一のダイナミックな人生に憧れ、とにかく山形に行って、今もあるフレンチレストラン「楓」「ルポットフー」に行って食事をしたくなった。本を読んだ後に、すぐに山形行きの高速バスを予約した。そして、酒田市のル・ポットフーでランチを食べた。ランチを堪能した後は、佐藤久一が眠っている墓参りに行ったが大雪で、墓石が半分ほど隠れてしまっていて見つけることはできなかった。2014年、2月7日。帰りの高速バスは大雪のため運休になり、新潟経由で東京まで新幹線で乗り継いで帰った。この日、東京は、歴史に残る大雪だった。
    (日本ブックツーリズム協会 テリー植田)

  • この恐ろしく長いタイトルの本を書店で見かけたとき、身体中に電流が走るのを感じました。

著者プロフィール

早稲田大学政経学部卒業後、1956年に電通入社。62年小谷正一のつくったプランニングセンター創設メンバーのひとりとして参加。その後、小谷が電通を離れても一生付き合いを続けた。営業企画局次長、コーポレートアイデンティティ室長などを経て電通総研常任監査役を務め98年に退職。大阪万博「笑いのパビリオン」企画、「ゼロックス・ナレッジイン」はじめ数々の都市イベントをプロデュース。電通のCIビジネスへの取り組みにリーダーとして、アサヒビール、NTT、JR、東京電力はじめ数多くのプロジェクトを推進した。

「2015年 『メディアの河を渡るあなたへ 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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