経済成長神話の終わり 減成長と日本の希望 (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881487

作品紹介・あらすじ

「日本復活のカギは新しい経済成長戦略にある」という政府の物語は、民主・自民問わずいまでもあまり変わらない。しかし、かつては有効だった「経済成長することはよいことだ」というシナリオは、高齢化と人口減が急速に進む現代の日本で、いまでも正しいと言えるのか? そもそも、2002年から07年まで続いた経済成長の間、私たちは「豊か」になったのか? 
本書では、米国、日本で企業弁護士としてバリバリのビジネスの現場で活躍を続ける著者が、「経済成長で格差がなくなる」「経済成長で環境問題が解決する」といった日本、欧米などでよく言われる言説がまったく根拠のないものであることを実証、さらに「経済成長神話」の誕生は、冷戦期に共産圏との争いに勝つためのものだったことを明らかにする。
「経済成長」という言葉の呪縛を解き、真に豊かになるための社会を探る。

感想・レビュー・書評

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  • 学びの多い良書です。

  • 出版から6年経って読んでみた。
    正直かなり良い本だとは思う。

    出版した時期が悪かったのか、かなり話題にならなかったのは運がなかったとしか言いようがない。

    経済学にどっぷりと浸かっているわけではない自分にとっては読みやすい内容だと思うし、様々な理論やアイデアをナラティブに紹介してあるので理解もしやすい。ただし同様の内容の新書や単行本は(現在では)数多くあるため、埋もれてしまっているのが残念。ボリュームにもやや問題があったのだろうか?

    想像するに、出版した時期が震災直後(と民主党政権時だったために)「日本人の多くが、長期的な視点を持ちにくい時期」だったのと、外国からの経済批判に対するアレルギーのようなものがあったのかもしれない。日本の経済(と経済学)は過去から現在まで「ほぼ輸入でまかなっている」のだから、日本人以外の指摘というのはたとえ経済学者ではなくともかなり信憑性が感じられるはずなのだが、なぜかいやがる傾向が強いように感じなくもない。(ピケティなどの左寄りの指摘はアレルギーが出ない体質というのもトホホな感じなのだが)

    本書での主張をかなり乱暴にまとめると「無理に経済成長を目指すのではなく、日本の社会にあった減成長による繁栄を目指すべきだ」という感じか。ただし、この「繁栄」という言葉の使い方はあまり日本に馴染みがないように思う。2012年の民主党政権時ということを考えると「国の繁栄」=「帝国主義的な搾取」としてしまう短絡的な思考が特に根強いかった時期だったように思えてならない。
    そう考えると、そもそも出版が早すぎたのかもしれない。

    とにかく内容はエクセレントなので「6年前でしかも民主党政権時の経済本?」とおもわず、まずは手に取ってみるのが良いと思う。

  • 大恐慌の時代は失業が大問題であり、完全雇用が重要な課題だった。大戦前、ハロッドとドーマーが、完全雇用を実現するには生産活動を増加させるしかないことを示した。戦後、国の再建のために生産高の増大と生産性の向上のために、49年にイギリスが経済成長を政治目標に盛り込んだ。アメリカでも、ソ連に対抗する軍備増強を推進するために、経済成長を最優先課題とした。東西冷戦が長期戦になると、ワイルズが最も成長した国が強大になるという論文を発表し、成長と政治が直接結びつけられるようになった。

    8章まで読んで撤退。

  • パブリ

  • 経済成長は必ずしも国民の幸せ(ハピネス)や国際的地位につながらないし、永遠にGDPを増やし続けることは不可能であり意味もない、という内容。基本的には著者の主張するデクルワサンスの概念に賛成である。
    ただどうすればよいのか、という点については具体性に欠けるし、減成長による繁栄は「本当にできるかな?」と思わざるを得ない。世界中の人々が一斉に考え方を逆転させて「減成長」に向かえば可能かもしれないが、他の大勢が成長を目指す中で自分だけ減成長を貫けば競争から脱落し、すべてを失うことにならないか?中途半端な「少し負け」なんてことは熾烈な競争社会ではありえないように思われる。勝つか負けるか二者択一であり、規模の経済を享受できない者は負けて全てを失う可能性が高い。だから皆が生産性を追及して成長を目指しているのだ。生き残りのために。

  • 著者のアンドリュー・サター氏はハーバード(物理学)卒の弁護士、ソニーでも勤務。今は立教大教授。
    雑誌の紹介記事を教授。考え方、大枠には多いに共感。特に、GDP成長が目的化してしまったこと、使用価値と交換価値のうち交換価値が重視されてしまったこと、年率数%の成長を数百年続けた場合の世界は現実的ではないこと等々。
    で、著者は減成長での繁栄・ハピネスを提示するわけだが、ここが個人的には上手く理解できない。なんだか違和感を感じる。
    結局は、資本主義で行くとこまでいって、格差が広がり続けた結果、革命でも起きなければ世界観がかわるのは難しいのでは。
    備忘録。
    ・経済成長は必要なぜ必要か、生活の向上、余暇拡大、雇用増大、格差是正、税収増大、年金維持等々。でも、GDPの成長が、必ずしも上述の課題を解決してくれるとは限らない。
    →確かに十分条件ではないし、必要条件でもない気がする。
    ・2000年~2007年で、日本人の一人当たりGDPは1.1倍になったが、世帯所得中間値は0.9倍に減少。
    ・政治になぜ経済成長を求めるのか
    ・無限の成長は、何かの検証結果ではなく、一つの仮定。
    ・年率3.5%の成長が、2000年続いたら、今の世界のGDP6000兆円か、36兆垓垓円に増加することになり、卵一個の値段が300万垓円。
    ・使用価値、靴を靴として使用する価値。一人当たりの使用価値って限界あるよね。
    ・交換価値、靴を別の何かと交換する事で享受する価値。交換価値の増大って要るか。
    ・著者の主張する「減成長による繁栄」は、GDP成長や、生産性向上を目指すのではなく、「より良い影響を与える製品・サービスによる質の向上(?)」

    斬新な視点をくれたいい本だが、でどうすんの?の点で上手く著者の主張が理解できず。

    そんなとこ。

  •  「GDPの成長=豊かさの増加」ということは正しいのか?これはまさに真の問いかけとなると思います。
     目先のことばかりではなく、利己的にならずに、長い目での皆のための共通善を考えていくということなのかなと思います。
     そして、各粒粒の、金融システム、教育、etc...と単独で考えるのではなくて、全体最適をどのようにできるということが課題なのだなぁと理解しました。

  • 流石ハーバード出身の米国人だけあって、今の日本のオカシな状態を冷静に判断してみえます。GDPの数値に一喜一憂して政策をやっている間は日本の負の連鎖を断ち切ることは難しいでしょう。
    しかし、実際経営をしている立場から言えば、減成長をめざす経営で舵取りすることは、不可能に近いといえます。実際日本の経済基盤が成長ありきでできているなかでは、難しい。
    やっぱり全てが破壊されて何もかも無くした状態にならないと、無理でしょうな。

  • 常に前年との比較を強いられ、成長し続けないといかんという“常識”はいつまで続くのか。ポスト経済至上主義に、「減成長による繁栄」をコンセプトとした国家運営の提案書。

    価値には交換価値と使用価値の2つの意味があると言う。
    交換価値のほうは、商品売って売り上げればいい。その価値はおカネで交換でき定量的に表せる。値引きをすれば当然その価値は下がる。
    使用価値とは、そのモノとは切り離せない本質と言ってるが、要は「交換価値では表せない価値」。だからそういう価値のモノに対して投資対効果では評価はできない。そこが分かってないと、本当に投資に値するものまで経費削減の名のもと削ってしまうことになる。

    読みにくくて先に進まないが、読者に熟慮を促す内容。前半の近代経済史みたいな話は、ちと疲れる。

  • 著者が外国人なので日本経済の見つめ方が客観的であったと思う。「成長神話」に捕らわれている日本に「減成長」の道筋を示している。生産年齢人口が減っていく日本にとって妥当な策だと思う。ただ、3年かけて書いたからか、少し議論が飛び飛びになっていて、読みづらかった。

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