- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062881906
作品紹介・あらすじ
日露同盟か、日米提携か、相互安全保障システムか。日英同盟が空洞化し、中国をめぐって欧米との軋轢が進むなか描かれた外交構想とは。
感想・レビュー・書評
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戦前日本における安全保障政策の変容を、当時の指導者の考え方に焦点を当てて分析している。
ケースとして、山県有朋、原敬、浜口雄幸、永田鉄山、を扱っている。
①山県有朋:パワーポリティクスの考えに基づく、国益の追及。中国を間接的にも影響力を及ぼそうとする。
②原敬:英米との共同歩調を取る。軍隊を用いた侵略的行動ではなく、経済権益・通商圏の拡大を目指す。山県のあり方では総力戦体制を戦えないとする=平和的交易型産業国家
③浜口雄幸:原敬の考えを踏襲し、さらに拡大させる。国際連盟を実行力ある平和維持組織として、活用し尊重する。そのために多国間条約に基づく平和尊重。枢密院を形骸化させ、軍隊を支配下におく。
④永田鉄山:パワーポリティクスの信奉者。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦前、特に両大戦間期の日本の安全保障構想はどうだったかってのを山県有朋、原敬、浜口雄幸、永田鉄山の四人をあげて検討する。
全体の説明がくどいぐらいのところがあって、そこはおつむのそんなよくないおれには理解するのにありがたい。
明治末の山県有朋は欧米列強による中国分割を避けて保全しつつ、日本の影響化におこうと目論んでいた。また、日英同盟が空洞化し日米関係が悪化するにつれて日露同盟の道を模索する。1916年の第四次日露協約では開戦した場合の軍事援助の密約があった。しかしロシア革命で帝政ロシアが崩壊し、日露協約は破棄され密約が公表されると日本は国際的に孤立した。
第一次大戦期、山県有朋ら藩閥官僚勢力と対抗した原敬は、米国の国力や中国への影響力を考慮して、多少の犠牲を払っても米国と協調すべきと考えていた。また、大隈内閣の二十一カ条要求やら何やらで中国のみならず列強からも野心を疑われ孤立していたところ、援段政策をやめ、新四国借款団へ加入するなど対米英協調に切り替えた。また、米のなすがままにならないようアジアにおいて米英のキャスティングボートになろうとの構想を持っていた。米のなすがままにならないようにという点では集団安全保障機関としての国際連盟にも期待をしていて、強制手段としての武力行使ができるよう兵力分担に応える義務があると考えていた。
昭和初期の浜口雄幸は、原内閣以来の国際協調を重視しつつ、満蒙政策については国民政府による統一を容認する姿勢だった。九カ国条約などに示すような多国間協調のもと統一された中国が発展すれば日本の発展にもつながるとの考えからだった。また、戦争を違法とした国際連盟の次期大戦防止、東アジアの平和のために重視し、軍縮にも積極的に対応しようとしていた。自国の軍事力による抑止よりも国際連盟、ワシントン軍縮条約、九カ国条約、不戦条約などの多層的多重的な条約網による戦争抑止システムを重視した。
これも昭和初期の永田鉄山は一夕会のメンバーで、統制派の指導者となる。彼はヨーロッパ滞在中の第一次大戦の経験から戦争が総力戦になり、政治経済関係の複雑化から世界大戦が誘発されると考えていた。そこから総動員態勢の構築、資源の自給、工業の発展、軍備の近代化を目指した。それが満州事変、華北分離工作へと繋がった。
戦前日本の指導者たちの世界戦略から現代日本が学べることは多いと思う。 -
今だからこそ、この時代の日本を冷静に分析することが必要に思う。
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山県有朋、原敬、浜口雄幸、永田鉄山の安全保障構想についてそれぞれ述べられ、比較している。
比較が適切かと言われれば、なかなか難しいが、この手の切り口で、わが国の戦前の安全保障について、歴史を元に述べられているのは珍しい。個人的には、面白かった。 -
山県:日露提携により英米への対抗を図る構想はロシア革命により瓦解。そこで日本単独での段祺瑞援助により中国を影響下に置こうとするが、段政権の行き詰まりによりこれも挫折。
原:中国に対しては満蒙を除き基本的に不干渉、経済的手段による交易型産業国家を目指す。英米、特に米の国際的影響力に着目し、提携を考える。また同時に国際連盟による集団的安全保障にも期待。
浜口:原を引き継ぎ、国際連盟やロンドン海軍軍縮条約は「世界の平和維持」のためとして、東アジアでは九か国条約は国際連盟を補完するとして、それぞれ積極的に評価。
永田:国際連盟の実効性には疑問、あくまでパワーポリティクス重視。想定される次期大戦に備えた国家総動員体制の構築、そのための中国大陸からの資源確保の方策が不可欠と考える。
筆者の著作を読むのは初めてだが、原と浜口を評価し、一夕会、後には統制派を悪の権化のごとく考えているのが見てとれる。しかし、関東軍と陸軍中央の中堅幕僚に政策が引きずられていった背景には当時の国民の支持もあったことには触れられていない(本書の範囲を越えるからかもしれないが)。また、現在のアジア大平洋の安全保障を考える時に国際連盟とそれを補完する集団的安全保障としての九か国条約を暗に示唆しているなど、いささか現実と遊離した理想主義ではないか。国際連盟を理想は理想としつつそれでは永久平和は実現できないとした永田の認識が、その後の国際政治の展開と戦後の国際連合まで考えると最も正しかったのではないか。山県は国外出兵時には国際協調を重視していた、また永田や武藤章は後には国民政府との協調や不拡大を重視するようになった、という評価もある。本書は4人の構想をざっとつかむには良書だが、絶対視はしない方がよいと考える。 -
分かりやすい。
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永田鉄山の現状認識は恐いくらい正確。でも、不可避な戦争に国家総動員で立ち向かうべく中国の資源を確保する(そのためには領有も辞さない)しかなかったのだろうか。。
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山形有朋。原敬。浜口雄幸。永田鉄山。戦前の4人の政治家(といっても永田は陸軍軍人)の安全保障構想を検討した内容。なぜにこの4人なのかはイマイチ分からなかったが、それぞれの国際秩序認識の違いが鮮明で面白かった。
山形有朋は日露同盟による東アジアでの米英に対する勢力均衡を志向する。が、ロシア共産主義革命をきっかけに、日本とロシアとの秘密協定(軍事同盟)をロシア側からばらされ、これをきっかけにして米英中の不信感が高まり構想は瓦解する。
原敬は米英協調による交易型産業国家を模索したが、志半ばで暗殺される。
浜口雄幸は国際連盟を重視した。もちろん連盟の欠陥や力不足を認めていた。アメリカが不参加なのと、米英の影響力の大きさも認識していた。連盟の欠陥を補いかつ米国の意のままにならないようにするにはどうすればいいか?浜口は多層的多重的な平和条約(ロンドン海軍軍縮条約、九ヶ国条約)が連盟を補佐し、かつ米英の力に制約を加えることができると考えた。もっというなら国際連合と各種平和条約による平和を保つ集団安全保障システムを構築しようとした。が、彼も志半ばに暗殺される。
永田鉄山は次の戦争を見据えていた。第一次大戦の教訓は国力と国力の戦いでモノの多寡が勝敗を決する。つまり国家総力戦である。戦争を遂行するために、モノの生産供給から経済、社会、国家の仕組みを根本的に変えなければならない、と考えた。そして次の戦争に備えるため不足資源を中国大陸に求め国家総力戦体制を築こうと構想した。
昨年読んだ細谷雄一「国際秩序」に紹介されていた国際秩序の基本原理「均衡」「協調」「共同体」の体系をもとに4人を分けてみるとさらにわかりやすい。
勢力均衡)山形有朋。永田鉄山。
協調)原敬。
共同体)浜口雄幸。
戦前政治家の安全保障観の違いがよく分かった。ただ、本書の内容は研究者や歴史・国際政治を勉強している学生やこういった話が好きな人にお薦めで、一般向けでない気がする。 -
山県有朋,原敬,浜口雄幸,永田鉄山の四人を軸に,WWIからWWII前夜にかけての日本の安全保障構想を見ていく。特に山県と原,浜口と永田の間で国際関係をどう眺めるかという視点の違いが際立つ。著者はこれまでにもこの四人についての著書を何冊もものしているようで,各人の思想についての深い洞察が感じられる。
パワーポリティクスの視点と国際連盟に期待する平和協調の視点のせめぎ合いは,少し前に読んだ『国際秩序』でも強調されていたが,本書でもそれを確認することができた。ただ満蒙地域の重要性は原,浜口といえども否定できなかったことに当時の日本を考える上で簡単でないものを感じた。
しかしまあ山県を除く三人は非業の最期を遂げてるんだよね。いやな時代だよほんと。