- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062882996
作品紹介・あらすじ
海軍の太平洋戦争への責任は陸軍に比して軽かったのか? 明治憲法下において政府・議会と並ぶ国家の主柱であったにもかかわらず、その責任を十分に果たすことのできなかった海軍の「政治責任」を、「不作為の罪」をキーワードに検証する。これまで顧みられることの少なかった「海軍と政治」の問題をはじめて正面から問う問題の書。
感想・レビュー・書評
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日本海軍の行動原理を検証するもの。
決して政治的ではなかったが、無意識にというか無自覚には政治的であったことを指摘する。それが日本を決定的な局面に追い込むことになったとも。
けどこの論考方法はどうかなぁ。とても腑に落ちない。はっきり言えば説得力に乏しい。取り上げている事例も適切とは思えない。残念。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
海軍の善玉悪玉論を越えて、日本海軍が日本の近代政治に与えた影響や、なぜそのような影響を及ぼしたのかについて解説されている。
全体のキーになるのが「侵官之害」で、海軍の管掌範囲意識から生まれる軍人は政治に関わらずという意識が状況によって政治への関与を抑えたり駆り立てたりした。
政軍関係だけでなく、全体を統べるものがない縦割りの官僚組織が陥りがちな弊害が指摘されていて勉強になる。 -
言ってみれば「日本海軍の“政治的行動”に観る日本的官僚主義」とでもいう具合で論旨が展開している。非常に興味深い…
本書は“海軍”と題に在るが、勇壮な海戦の物語や、軍艦の技術的な説明や、海軍が生み出した傑作航空機の話題が出ている訳ではない。“政治主体”(政策決定等に影響力を行使し得る勢力)ということになる“海軍”が「何をしたのか?」、同時に「何をしなかったのか?」を論じている。が、著者が断っているように“悪玉”とか“善玉”を論じたいのではない… -
海軍善玉論と陸軍悪玉論という言葉を目にする。戦前の日本は陸軍が戦争への道を開き、海軍は止めにはいった。しかし止めきれずにあの戦争に突入した。果たして、事実だろうか?事実としたらどこまで事実なのだろう?
幕末から明治にかけ、全くゼロの状態から建軍が始まった帝国海軍。四方を海に囲まれ、海軍の本分を発揮するには多額の予算が必要だったが、当時の国力では予算獲得は至難の業だった。特に1907年の帝国国防方針で、海軍の仮想敵国が米国と設定されてからは、さらに自らの組織としてのの本分を研究し、遂行するために多額の予算獲得を目指す、一官僚機構としては、至って健全な組織であった。
だが、予算獲得を至上業務に設定するあまり、政党政治崩壊後は陸軍や内閣に引きずられた。対米戦の決意という段階に至った時、事実上最終判断がゆだねられてしまった。対米戦が可能、とはとても答えられないが、不可能と答えると、過去の予算獲得の経緯や海軍の存在意義が問われかねない。あいまいな返答とならざるを得なかった。
悪玉善玉という理屈ではなく、単に一官僚機構としてストイックな姿勢。これが戦前海軍そして戦前日本の政府の姿だっただろう。 -
陸軍に比べ「海軍は政治に対して消極的」と一般に考えられているが、本書では違った視点から分析している。1920年代までは予算獲得のために政党に従属。情勢が緊迫した30年代からは、陸軍の政治介入案を自己利益のため修整しようとしつつ実際には追随。また現実に政治の中で軍事の占める割合が高まる中、軍事のプロとしての自負の下で業務を遂行するうち、主観的にはどうあれ結果的には政治に関わっていったという。
「軍人は政治には関わらず」という、シビリアンコントロール下では望ましいだろうプロ意識。これが、海軍の政治関与を抑制すると同時に、自らが専門と考える軍事の領域では却って政治関与に駆り立てる要因となったという逆説を筆者は指摘している。この指摘を踏まえると、悪玉と思いがちな艦隊派も少し違ったイメージで見えてくる。艦隊派であろうとなかろうと、予算確保は全ての官僚組織に共通の命題だ。そもそも筆者は冒頭で善玉・悪玉論の弊害を述べてもいる。 -
2015年4月新着