- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062923927
作品紹介・あらすじ
日本、日本人、日本語、日本文学等々、わたしたちは、当たり前のように「日本」といい、自分たちをあらわす国の名(国号)として、何ら疑わずにいる。しかし、その名がどういう意味をもつかということについて、共通の認識をもっているであろうか。小学校や中学校で、「日本」という名の意味を教えられた(あるいは、いま教えられている)だろうか。
国歌・国旗については制度化されており、国号が「日本国」であることはたしかだが、その名の意味に関しては、あいまいなのである。これは、明治以来、国定教科書においても、「国体」が強調された昭和戦前期においても、なんら変わりはない。
その答えは、「日本」の名がどのようにして生まれ、どのような歴史をたどってきたかを見渡すことでしか、見つけられない。
本書は、そうした国号「日本」の来歴について、その登場から近代に至るまでを、ていねいに、厳密に、かんがえようとしたものである。
感想・レビュー・書評
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古代にその後の時代で言うような「日の本(ひのもと)」という訓みと理解があったのか?という疑問からのスタートでしたが正直色々それどころじゃない目からウロコがいっぱいありました。
まず古代ってやはり漢籍や漢文の理解があるのとないのとでは全然視野が違ってくるんだろうなと思いました。平安時代に日本書紀の講書が度々行われてますが(長くて数年かけて行われる)この当時に日本書紀に対する意欲すげえなと。矢田部公望なにものなの…おれもその講義受けたかったわ…
″「日出る処」って言うけど中国から見たら確かに日の出る方向だけど日本から見て国の中から日が出るわけじゃないのに「日出る」とかいう???(意訳)″って質問した某参議、私ちょっと日出る処表現のイメージ固まり過ぎててその発想無かったわ…って感動した。
概ね中華思想におけるあくまで配置的な「日本」という表現からきてるという印象で、自主的に「日本」を国号として名乗り始めたわけではないという感じでした。もちろん制度化して正式に倭から日本になるわけですけども。あと王朝名として見るべきという話もなるほどでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
断念する
残念です
日本の文字が古事記に出ないとあるが
乞食は多氏が自分の家系を神に結び付けるため偽造した歴史書(偽書)だから、マジメに理屈こねてもダメ
712年にできた古事記に、713年に諸国に命じた風土記編纂によりまとめた記事が記載されている事実
※日本書紀にはない -
「日本」という語が「日本天皇」と詔書の中で用いられ『日本書紀』も唐や朝鮮半島を対象とした対外的呼称として使われだしたが、もとは中国の文献に現れる扶桑などと関連する地理的用語から派生したものだった。その後平安時代の日本書紀の注釈読解で東海姫氏国などの称とともに中国古典を元にして様々に議論されるも自国のアイデンティティを表す語として「やまと」への関心へシフトしていき、「日本」の語釈はアマテラスや大日如来を絡めた解釈へと変わっていく。そして近代、天皇のしろしめす我が国の「国体」についてはあれほど熱心に国民に説いていた政府も、日本という国号に関してはほとんど触れることができなかったという。 新出の「祢軍墓誌」に関する考察も著者の考えを補強する。
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「日本」は大宝令で定められ、粟田真人が「日本国の使」として初めて遣唐使派遣され、(702年)正にその時は唐時代の則天武后(実は「周」を名乗っていた。」によって「日本」が認められたことから日本がまず名乗ったと思っていたが、中国から見て東の国という意味もあり、当に東夷であるという意味かもしれないとは全くの目から鱗だった。確かに日本においては日は国の中から上るのではない。あくまでも中国の視点からだとも言えるのだから。東晋の恵帝の時代(290~306年)にも日本という文字が見られる、必ずしも我が国だけでなく、朝鮮半島も含んでいた可能性があるなど、国号としての意味だけではなかった可能性など、新しい知識も多く、驚いた次第。倭の文字が千八人女の組合せだという話は愉しい。