- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062924849
作品紹介・あらすじ
講談社創業100周年企画として刊行され、高い評価をえたシリーズの学術文庫版、第4巻。平安時代末期の源平の争乱から、鎌倉時代を経て室町時代後半に至る中世日本における天皇と武家の役割を究明する。中世に重視されたのは、父子一系でつながる一筋の皇統=正統(しょうとう)であり、多くの天皇が自らの皇統を維持しようと院政を目指した。源頼朝も正統の天皇を護るために武家を創り、鎌倉幕府が後鳥羽上皇と戦ったのも朝廷再建のためだった。室町時代、事実上の院政を執った足利義満など、中世の天皇と武家の実像を明らかにする。
〔原本:『天皇の歴史04巻 天皇と中世の武家』講談社 2011年刊〕
感想・レビュー・書評
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これまで考えもしなかったが、明治維新と共に、幕府と朝廷も終わった!との主張からこの本は始まる。朝廷とは今の天皇だけを考えておればイメージできない。天皇と貴族たちにより構成されていた機関。平治の乱は単なる信西・清盛vs信頼・義朝の戦ではない、後白河・二条の天皇親子の対立でもあったとは全くの驚きだった!そして後鳥羽と同母兄・守貞親王の正統争いが後鳥羽による承久の変の背景にあった!鎌倉での摂家・皇族将軍の思いの他の存在感の大きさ。後醍醐天皇の主目的は幕府討幕よりも、大覚寺統の皇位継承を確立させることに有った!南北朝時代と言いながらも、南帝の存在は京都朝廷には微々たる影響でしかないノイズ程度の位置づけに実はなっていた!持明院統内部での正統争いが室町幕府への影響を与えていた!天皇家内部の問題が歴史に大きく影響していたという驚きの真実の連続に圧倒的な迫力を感じた。この本では、北朝の天皇を正統な系譜として天皇の代数を数えていることが新鮮だった。これによれば、令和は127代。
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河内祥輔先生の持論は初めてだが変わっている
承久の乱で鎌倉方の文官(貴族)が京攻めを主張
するのは、王城の地に侵攻するという怖れはなく
①本来天皇になるべき守貞親王
②後鳥羽上皇は誤って即位した
③その治世は誤っており後鳥羽は「悪王」である
④義時追討の院宣は誤りなので正すべき
⑤守貞親王が存命なのは神意である
35年前の事柄から神意を坂東へ下った下級貴族
が妄想で思い込んで都攻めをしたという承久の乱
の解釈には納得できない(´・ω・`) -
平安時代は政治的には安定した時代であったが、それは不安定要因を克服し安定を回復する復元力を朝廷が備えていたということである。ここでいう「安定」の根源は、神代からの皇統の連続性、すなわち天皇の「正統(しょうとう)」が実現している状態をいう。著者は、このような安定の回復を「朝廷再建運動」と呼んでいる。問題は朝廷再建運動の主体であるが、時代が下るにつれ摂関家から上流貴族、武家出身の貴族へと身分が降下していく。そして最後には武家の棟梁がこれを担うことになる。ここに、朝廷と新たに成立した幕府とは、権力的な緊張関係にありつつも、朝廷は幕府の権威の源泉であり、幕府は朝廷の安定を望んで「正統」の確立に腐心した。この朝廷・幕府体制は、基本的には明治維新まで続く。もちろんその間、南北朝時代や応仁の乱があり、朝廷も武家も一時は瓦解の危機に見舞われた。特に朝廷では儀式を行う資金や場所の確保も困難となり、後に儀式の内容や場所を復元するに当たっては、『源氏物語』をはじめとする過去の宮廷文学が参考にされたという。明治維新後朝廷は解体され、戦後になると裸の皇室だけが残された。もはや時代は異なるが、われわれ国民は存続の危機に瀕する皇室を再建することができるのだろうか。
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第1部 鎌倉幕府と天皇(平安時代の朝廷とその動揺;朝廷・幕府体制の成立;後鳥羽院政と承久の乱;鎌倉時代中・後期の朝廷・幕府体制)
第2部 「古典」としての天皇(朝廷の再建と南北朝の争い;足利義満の宮廷;「天皇家」の成立;古典を鑑とした世界;近世国家への展望)
著者:河内祥輔(1943-、北海道、日本史)、新田一郎(1960-、東京都、法学) -
視点を変えれば歴史の見え方はこれほど変わるのか、というお手本のような印象を受ける。