- Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065202050
作品紹介・あらすじ
ねえ君、わたしは生きていく。このクソみたいで美しい世界を。
魂を揺るがす、少女たちのレジスタンス。
創作が芥川賞候補になったわたしは、意外な人物からの電話を受ける。17歳のとき入院した精神科で、患者たちのボスを気取っていた「安城さん」だ。8年ぶりに再会した彼女は、別人のように痩せこけ点滴に繋がれながらも、変わらず悪態をつき、わたしの封印した記憶を甦らせていく。精神病棟で出会った仲間たちとの日々、救えなかった親友、そして子供時代の暴力―ー。長い沈黙を越えて、わたしは真実を語り始める。
デビュー作『ジニのパズル』で群像新人文学賞、織田作之助賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した注目の新鋭が、傷ついた魂の再生を描く圧倒的感動作。第33回三島由紀夫賞候補作。
感想・レビュー・書評
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どんなに血塗れでも、人間でないような存在になってしまったとしても、誰にどんな目で見られようとも、ねえ、生きていこうね。
そう言われたような気がしました。
本書を読んでものすごく感動したか、とか、学びがあったか、とかは正直あまり感じなかったけれど、読んでいて、どんなに後ろ指さされるような人間でも「人間」なんだよ、生きてていいんだよ、と強く言われているような、励まされているような心地になった。
同時に人間扱いされないことの残酷さも突きつけられた心地。そうだよな。誰だって尊厳を持って生きていたい。私も。
自分の話を聞いてもらった人のことは忘れない、というセリフがなぜだか印象に残る。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読む前は、想像を絶するような怖い話かと思ったけれど、全然怖くなかった。それもそうだ。化け物でなくて人間の話だもの。今でこそ、メンタルヘルスという呼び方に変わったが、その前はストレートな名称だった病院の話。
まさかと思うかもしれないけれど、自分で自分のことを虫けらだと思ってしまうこともあるんですよ。私の場合は、高校中退後、人の目を気にしすぎて疑心暗鬼に陥り、何もやる気がおきないまま、家に長く居るようになったら、今度は下の階の騒音に悩まされて、大きな声を出したり暴力的になったりで。訴えても自分勝手な対応しかされないのもあって、恐怖症に近い感覚で体が覚えてしまい、それ以後、近くで大きな音がするだけで(悪気とか関係なく)、体がビクッとしたり、背筋が緊張するのは未だに治りません。その後の独り暮らしのアパートを転々としたときも治らず、今の戸建て賃貸になって、ようやく落ち着き始めた感じ。ちなみに騒音以外は、もう25年くらい前になるのですが、それでも完全に無くならずに、今の自分の人生に引きずっているのはなんとなく実感しています。良くも悪くも自分とはよく言ったもんだ。
でも、こういうことしても、自分は自分だって思えます? こういうことを踏まえて成長していくんだよって? 自分で自分のこと信用できないのは、自分のせい? 人の迷惑省みず、こんなに弱くて情けないのに? 昔、壁をおもいっきり殴ったりした時に、本当に屑だなと自分で思いながらも、どうしようもなかった。だって、そうしたいから。そうせずには、いられなかったから。人とすれ違って、自分の悪口を言われた時に叫んだこともよくあったけど、それと同じ感じ。おそらく私だって、一人の人間として存在しているんだと誰かに訴えたかったのだと思う。誰かを特定しているわけではないけれど。そして、当然ながら孤独だった。これがいちばん痛かったと、今になってはっきり分かる。自分のことを認めてくれる人の存在が必要なことに。人の力って、馬鹿にできないくらい途轍もない可能性を秘めていることは、よく分かる。私の場合、単純なのもあるだろうけど、何気ない一言をかけられただけで、気分がガラリと変わることもある。当時ならなおさらのこと。そんな事を、この作品を読んで、とりとめもなく思い起こしては、忘れたくなる。
暗い話ばかり長々と申し訳ありませんが、本編においても、主人公の人生に光を与えてくれるのは、他の人間です。人って、どんなに壮絶な体験や思いをしても、それでもその先に求めるのは、やはり人なんだ。心の病気とはいえ、主人公の場合は、同じ病棟にいた「安城さん(彼女は、主人公にとっては良きセラピストなのかもしれない)」が肉体的な病気に罹った時に、憤ることができたり、家族の事を思い出すことで、どうしようもない孤独を実感して、今の立場を見直したりと、すごく繊細な心を本当は抱えているのに、自分を責めていることに、何とも言えないやるせなさを感じてしまう。人にはこう思えるのだから、自分にもそう思える可能性はあったのかもしれない。それなのに、私は自分で自分を傷つけてきたんだな。
それから、私が言いたいのは、そうした心の病気を抱えた人たちへの偏見の目。その姿や行動が、どんなに醜態を晒しているように見えても、その人はその人なりに自分の存在を切実に訴えているだけだし、そうなった経緯を想像してみてほしい。できますか? 誰にだってそうなる可能性はあるはずなのに、その人自身の過ちであるような物言いをしたり、安易にかわいそうなんて言わないでほしい。同じ一人の人間として生きているだけなんだ。 -
聞くことは人になにをもたらすのだろう。
語ること、そして書くことは自己と向き合う作業だ。その過程は、もしかしたら自己治癒につながるかもしれない。
読むこともまた、言葉を発しない対話だ。ページを繰る手が止まり、知らず知らずのうちに自らの過去やあの時の思いが引き出されてゆく。
では聞くことはどうだろう。
相手を救いたいとか、立ち直らせたい応援したいとか、自分を重ねるとかではなく、ただ聞くことに徹する。それがもたらすものとは。
作者にとっても、“安城さん”という聞き手なしにはここまで進むことはできなかったかもしれない。親友や仲間といった理解者には語れなかったことを異者に向けて語り終えたとき、主人公は“私たちは似たもの同士だ”と思い至る。
“人の話なんか時間が経てば、少しずつ忘れていく。けれど、自分の話を聞いてくれた人のことは絶対に忘れない”
自らを語るのではなく、切実に聞くことで相手の中に残り続けるということが印象に残る小説だった。
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本屋の中古本で面白そうだなと思って衝動的に買った。
正直よくわからないと言うか内容を上手く消化できない感じ。
読んでてずっと心に響かない。
買ってちょっと失敗したなと後悔した作品。 -
生きてて死んでる。
叫ぶような沈黙。
手を出しちゃダメなやつだった。
物語が核心に迫った時にそれは確信に変わった。
それでも出した手が、差し出された手を握りしめるように、本を閉じなかった。
私のボロボロの沈黙のミルフィーユが、何を守って何を壊してきたのかーー、
そんなことは知る由もないけど、たとえ精神に障っても、魂は撫でられているようだった。
最後には、光を感じられた。
読んで良かった、きっと読むべきだった。
そばにいてくれるぬくもりが今はあるから、目を閉じて祈ることができる。
こんなところでもサーミ族のヨイクがまたリンクして、魂を揺さぶる。 -
どんなあらすじかって上手く説明できない。
人間らしいとは何だろう。
一般的な人間は社会に取り込まれ、ネット上の見えないコミュニティにまで絡められている。しかし、精神病棟は違う。社会と切り離されて命だけで生きている。
この作品は、命だけで生きるということがテーマなんだと思う。命以外が溢れた社会で。身体を用いた表現が多いのもこのテーマに関連しているかもしれない。
「人が沈黙している時こそ、最も耳を傾けるべき瞬間なのかもしれないね」
人と人が繋がれるのは言葉を介してでなく、命を介してなのだと思う。
上手く説明できないのだけれど…
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読みにくい。と評価されているのを多数見かけていましたが、私には読みやすかったです。
恐らく、物語の多くが安城さんへの語り口調で進んでいくからかな?と思います。
痴漢にあっただとか、その時どういった心境だったとか、下着を買いに行くならその道で電車に轢かれて死んだ方がマシだとか、家族に真実を知られるくらいなら絶望的な孤独は可愛いもんだとか、私自身が誰にも話せなかったことに対してすごく共感ができて。
人が怖くてもこの本の主人公の考えがあるだけで私は随分と救われました。
もう少し、もう少しだけ、生きようと思える気がしました。 -
「世界を驚愕させるような突飛な行動に身投げする瞬間、それは自分の正義を信じて疑わなくなったときだ。」15ぺージ
時々、自分のこの考え、思いこそ正義だと溺れてしまいそうになる時がある。そういう時はたいてい自分を見失っていて冷静になってから後悔することがほとんどだ。だから〈わたし〉の言葉がときどき胸に突き刺さった。
pray…祈り、祈願、祈祷、祈りの言葉。
わたしから君へ切々と語りかけられていくスタイルで、『狂人日記』に登場する主人公の弟が言う「満員電車に乗るようにみんなと一緒に暮らしたい」というセリフを思い出した。君が言う「アパートを貸し切ろう」から始まったレジスタンス、トゥナイト。後半は疲れてしまった。