理系女性の人生設計ガイド 自分を生かす仕事と生き方 (ブルーバックス)

  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065231814

作品紹介・あらすじ

理系の学部出身の女性は増えているとはいえ、理系であることを生かして活躍する女性はまだ少数派で、その実態はあまり知られていなことも。そんな「リケジョ」はどんな場所でどのような仕事をして、どのようなプライベートライフを送っているのか、先輩リケジョ達の体験やリケジョを取り巻く環境がどうなっているかを、レポートします。
第1部では、リケジョの憧れの先輩たちが今までの理系女性人生を語ります。語ってくれるのは、東北大学の副学長で、生命科学分野の研究第一人者である大隅典子さん、東京大学教授で、今注目の流体工学を研究している大島まりさんのお二人。研究者として大切だと感じること、そして女性ならではの苦労話、これからの時代を見すえたアドバイスなど、これから理系を目指す女性、迷っている女性、理系の道を歩み始めた女性、理系女性と一緒に働く人などに参考になることが満載の内容です。また、第2部でさまざまな分野の研究者や企業で活躍する理系女性を取材しまとめている、日刊工業新聞社の論説委員の山本佳世子さんの仕事や理系の能力の活かし方、気持ちの持っていき方なども紹介します。
第2部ではリケジョが中学、高時代から大学、社会人へと進むなかで、どのような困難にあうことがあるのか、どんな悩みを乗り越えて進んでいるのか、といった実態をレポートします。また、時代の変化によって変わってきたことや、逆に変わらないことなどを大学、企業など分野や状況別に解説。女性だからと肩肘張る必要はないとしても、女性だからこそぶつかりがちな壁を知っておくと、慌てず対処できたり、ライフプランを立てやすくなるかもしれません。
大学での研究職、国立研究開発法人などの公的研究機関、企業も化粧品会社やライフサイエンス系のベンチャー企業などいろいろな業種を、また企業と大学両方での経験がある研究者など幅広く、さまざまな実例を紹介します。結婚や子育て、海外での経験とも絡めて、理系女子としての生き方をイメージする一助となる1冊です。

感想・レビュー・書評

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  • 挫折があっても大丈夫!ロールモデルを見つけて道を拓いて…理系女性の人生設計ガイド(大隅 典子) | ブルーバックス | 講談社
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83767

    『理系女性の人生設計ガイド 自分を生かす仕事と生き方』(大隅 典子,大島 まり,山本 佳世子):ブルーバックス|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000348337

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      理系女性 進路に悩んだら読んで 東北大教授らガイド出版 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS
      https://kah...
      理系女性 進路に悩んだら読んで 東北大教授らガイド出版 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS
      https://kahoku.news/articles/20210622khn000028.html
      2021/06/23
  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00287632

  • 物性研の所内者、柏地区共通事務センター職員の方のみ借りることができます。
    東大OPACには登録されていません。

    貸出:物性研図書室にある借用証へ記入してください
    返却:物性研図書室へ返却してください

  • 姫路大学附属図書館の蔵書を確認する→https://library.koutoku.ac.jp/opac/opac_link/bibid/BB00003619

  • 大隅 典子
    東北大学副学長。東北大学大学院医学研究科教授。
    1960年生まれ。1985年東京医科歯科大学歯学部卒業。1989年同大学院歯学研究科博士課程修了(歯学博士)、同年同大顎口腔総合研究施設助手。1996年国立精神神経センター神経研究所室長。1998年東北大学大学院医学系研究科教授、2002年同付属創生応用医学研究センター教授。2006年総長特別補佐。2008年同大ディスティングイッシュトプロフェッサー(卓越教授)の称号授与。2015年センター長。2018年副学長。専門は神経発生学、分子神経科学。著書に『脳からみた自閉症』(講談社ブルーバックス)、『脳の誕生』(筑摩書房)ほか多数。


    大島 まり
    東京大学生産技術研究所教授。
    1962年生まれ。1984年筑波大学第3学群基礎工学類卒業。1986年東京大学大学院工学系研究科修士修了。1992年同博士課程修了、博士(工学)。同年より東京大学生産技術研究所助手。2005年より現職。また、2006年より東京大学大学院情報学環教授を併任。2014年より国立高等専門学校機構理事。2017年日本機械学会会長。2018年より豊田中央研究所社外取締役。専門はバイオ・マイクロ流体工学。監修書『図解・世の中が見えてくる 大人の科学110』(永岡書店)ほか。


    山本 佳世子
    日刊工業新聞社論説委員、編集局科学技術部編集委員。東京工業大学、電気通信大学非常勤講師。
    1964年生まれ。お茶の水女子大学理学部化学科卒、東京工業大学大学院修了(工学修士)。
    日刊工業新聞社入社、記者として科学技術(化学、バイオ)、業界ビジネス(化学、飲料)、文部科学行政、大学・産学連携を担当。仕事と並行して東京農工大学大学院修了、博士号(学術)。産学連携学会業績賞受賞(2011年度)。文部科学省科学技術・学術審議会臨時委員。著書に『研究費が増やせるメディア活用術』『理系のための就活ガイド』(以上、丸善出版)。


    医師も考えたのですが、人の生死にかかわるほどメンタル面が強くないから難しいなと判断し、東京医科歯科大学の歯学部に進みました。

    ただ、今でこそ医学部や歯学部の女子学生は4割程度にまで増えましたが、当時はまったくの少数派でした。結婚してキャリアをストップさせる女性も実際多かったのですから、嫌がられたのもわからなくはないです。医学・歯学系は大学の他分野より組織としての力が強く、上下関係もはっきりとしていて、このようにやや理不尽なこともまかり通ってしまうこともある環境でした。 「大学院重点化」という国の施策が1990年代にあり、大学院の定員が大幅増になったのですが、当時はまだその前。大学院に進む人は、男性でもよほど根性のある人に限られていました。だから、「女の大学院生? 冗談じゃないよ」という研究室が多かったのだと思います。

    私の研究室には機械工学系と、文理融合の情報学系の学生が所属しています。  研究の専門は、バイオ・マイクロ流体工学です。聞いたことはあるでしょうか? 耳にする機会はそう多くないと思います。これは人間の体内を流れる液体に関する研究です。液体の流れのなかでも中心とするのはヒトの血液で、脳動脈瘤 や動脈硬化症などの循環器系の病気において、その原因となる血管の病変のメカニズムを明らかにし、医師が患者の診断や治療をよりよい形で進められるよう支援する技術の開発を目指しています。

    生まれは東京都千代田区。父も東大の工学系で、計数工学科の教授を務めていました。父の仕事の関係で、幼児期は米国で過ごしました。母は1950年代に米国留学をしてその後、通訳をしていました。当時女性で単身、留学をするなんて、かなり珍しかったそうで、若いときから進歩的だったようです。

     ほかに理系に進むきっかけになったことといえば、小学生のころから算数や理科が好きだったことでしょうか。帰国子女だったため、国語が苦手だったことも影響していたかもしれません。

     高校は東京都立の日比谷高等学校に進みました。自由な校風で、先生も自主性を重んじて生徒にあまり口うるさく指導せず、のびのびと学校生活を送れるところでした。  私の一日は硬式テニス部での活動を中心に動いていました。母には「あなたはテニス学校に入ったのね」と言われていました。

     学年が上がってからは試合にもそれなりに出ましたが、腕はそこそこ、というところでしょうか。それよりこの時代に体力を養ったことが、後で効いてきました。研究は体力勝負の面がありますから。それに高校生くらいのときに、「歯を食いしばって、簡単には音を上げない」という経験をしていることは、長い人生を考えると重要だと思います。また、友達にもずいぶん励まされました。

     国立大学の受験に「共通一次試験」が必須だった世代なので、5教科7科目を、文理の進路によらず広く学ぶ必要がありました。そのなかで古文は大の苦手でした。「こんなものをなぜ、学ばなくちゃいけないのか」「昔の言葉なんか、やっても無駄じゃないか」との思いもあり、勉強に身が入りませんでした。

     高校2年生の、文系、理系の進路に合わせたクラスに分かれるときには、迷うことなく理系を選択しました。そして大学受験は、理学部ではなく工学部で。この選択には、高校の先生や同級生が「どうして」と驚きました。  同じ理工系でも理学は自然の営みを解明したり、自然界を成り立たせている仕組みや理論を探し出したりする学問で、真理の探究です。これに対して工学は、技術などによって社会で役に立つ何かを創り出す学問です。私は橋とか機械とか、目に見えるモノや実感できるモノを創ることに興味を持っていたので、工学だったのです。父が計数工学を専門としていたのに加え、趣味が大工仕事で、私も家で手伝っていたのが影響したのでしょう。また石油危機が起こって、社会的にエネルギー問題が注目されていたので、「解決するのは工学だ」という思いもありました。モノづくりを通じて実社会で役立つことをしたい。だから、「女子が少ない分野だけど、大丈夫かな」という不安はあまり感じませんでした。自分がやりたいことを優先して進路を選択した感じです。

     余談ですが、私の2人の妹は、大学は文系に進学しました。すぐ下の妹は英文科卒業後、フランスで建築を学び直して、海外在住が長くなりました。一番下の妹も結婚後、大学に入り直して管理栄養士になりました。結果的に3人姉妹の全員が、理系の素養が必要な仕事に落ち着いたのです。

     大学院は他大学へ進学することを選びました。専門を深めるうえで、原子力や核融合をしっかりやってみたいと思ったからです。エネルギー問題の解決にも興味がありました。筑波大の指導教員にもすすめられて、東大大学院の工学系研究科の原子力工学専攻を受験しました。東大の学部からの「内部進学」ではない、他大学からの「外部進学」は少なくて、さらに研究室には女性は、私しかいませんでした。

     学生時代は自分を、女性として意識することはあまりありませんでした。「郷に入れば郷に従え」で、環境になじむのに必死でした。しゃべり方、プレゼンテーションの仕方、しぐさなどは周囲を参考にすることが多くありました。そのため男性っぽいとよく言われていました。今は教授となり、ダイバーシティが重視される時代でもありますから、女性に生まれついたことを否定することなく、自分らしさを出そうとしています。ただ当時はまだ、「博士だなんて、お嫁にいけない」「女性は 24 歳( 24 日)までが期限のクリスマスケーキ」なんていわれる時代でした。信じられませんよね。そのころは社会がそれくらい遅れていたんです。

     博士課程では、憧れの米国マサチューセッツ工科大学(MIT)に留学しました。アポロにかかわった多くの研究者たちの出身大学としてずっと頭にあって、留学を実現させたときには嬉しい思いでした。

     2回目の留学は博士号取得後、助手のときに、同じく米国のスタンフォード大学に行きました。結婚して子供を育てている女性研究者との交流で、「家庭か研究かを選択しなくてもいいんだ、両方できるんだ」と励まされました。

     留学によって、学生時代は米国の東海岸、助手になってからは西海岸と、異なる文化を味わうこともできました。帰国すると、今度は自分で研究室を構えるなど、自立した研究者としての活動を本格的に始めなくてはいけない時期でした。 30 代半ばです。でもそこではたと立ち止まったのです。「研究者として本当にやっていけるのかな」

    今まで通りのことを続けていくこと、研究者として進んでいくことは、私には無理なのではないか。「転職をするのなら 30 代半ばまで」との話が頭をよぎります。プライベートでも「結婚したいと思うけれど、この先もずっと独身なんだろうか」と漠然とした不安がありました。研究そのものもうまくいかず、スランプでもんもんとしていました。  そんなときに、転職仲介のプロから声がかかりました。「米国の投資銀行で働かないか。 10 倍の収入を用意しますよ」と誘われたのです。あのころは金融工学、つまり資金運用を数学や数理モデルをたてて数値シミュレーションを駆使して予測する分野が人気でした。私は研究で数値シミュレーションをしていましたから、米国の有名なヘッドハンティングの会社に声をかけていただけたのです。「いっそのこと、まったく違うキャリアで再出発してみるか」と心は揺れました。

     ところが帰国後、生研の研究室仲間の紹介で、脳外科の医師より「血液の流れと脳動脈瘤の病気の関係を、数値シミュレーションで調べられないだろうか」と提案されました。心臓シミュレーションの話が頭に浮かんで、即諾しました。調べてみると国内外であまり例がなく、また私の研究室の教授は懐が深くて、異分野への研究に理解を示してくれました。「これだ!」って思いました。こうして自分の研究テーマを見つけたのです。研究成果は患者さんに大きく役立つ可能性を秘めていて、社会に貢献できる仕事になります。

     期限を決めて「研究者としてあと2年間、がんばってみよう」という思いのもと、研究に励んでいた一方で、実はもう一つ別の活動を手掛け始めました。私のライフワークともいえる活動に発展してきた、子供たちへの科学技術教育です。  MITに留学中、クラスメートらが週末に地元の高校へ出向いて科学技術のおもしろさを伝える活動、いわゆる「アウトリーチ」を行っているのを見ていました。勉強や研究があんなに大変なのに、ボランティアの活動をしているのか、と興味が湧いて、私も参加することがありました。

     研究だけでなく教育についても、やれるだけのことはやろう、との思いも当時あったのでしょう。その取り組みがライフワークにまで発展するとは、そのころは思ってもいませんでした。

     科学技術教育体験や生研公開などを通じて、子供たちの親御さんに接すると、多くの人が工学部に対して持っているイメージが実際と異なることにびっくりします。とくに機械工学は、工場で機械整備をしているシーンを思い浮かべてしまうみたいです。

     また、最近の変化として、理系の概念がかつてより幅広くなってきたこともあげられます。以前は理系では伝統的に数学と物理の学びが必須で、高校まででこれらの科目が得意でなければ、なかなか理系に進めなかったのです。女性は数学や物理に苦手意識を持つことが多いこともあるのでしょうか。今でもこれらの教科が基盤となる電気、機械の分野は、あまり増えていません。  ただ理系でも数学や物理を多用する分野だけでなく、生命系の領域が急成長している現代社会において、明確に理系と文系の線引きができないような境界領域が、社会的に重要性を増してきています。環境やデザインといった分野もそうです。数学や物理が主となる硬めの理系ではない、柔らかめの理系分野での女性の活躍も多く見られます。

    私は、博士課程で学んだ流体力学と数値シミュレーションを活かして、原子力の分野から転換して、工学とライフサイエンスとの融合という分野に進みました。

     2017年に日本機械学会の会長に、女性で初めて就任しました。ちょうど120周年を迎える年に会長を務めました。

     夫と知り合ったのも実は機械学会に関連した国際学会において、でした。夫は9歳年下で、私立大学で教授をしています。同じ機械工学で生体力学の研究に従事していて、私が血液なのに対して夫は骨や筋肉が研究対象です。1年ほど付き合って、結婚したのは 42 歳。出産は 44 歳でした。娘は中学生で、家でも夫と研究の話をよくしますから、リケジョになりますかね。はたしてどうでしょうかね……。  結婚したい気持ちはずっとありましたし、「式を挙げるならこんなところで」と想像をふくらませることもありました。でも年齢が上がってくると、結婚は無理かな、とあきらめかけていました。だから周囲の誰もが、結婚の報告に「えーっ」って驚いていました。人生、行き当たりばったり。縁とタイミング、いろいろ重なっての家族です。

     社会って、変わるときにはものすごく大きな変化が短期間で起こるじゃないですか。女性活躍の社会環境もその一つです。あまり先のことは結局、わからない。だからこそ、無理して自分を抑えて、そのときの社会通念に従う必要もないかもしれません。やりたいと思うことに挑戦していってほしいと思っています。

    小さいころに一番、得意だった教科は国語でした。算数や理科は常に成績がよかったわけではありません。母が文章好きで、私の作文を指導したり、読書のための良書を選んだりしてくれたためでしょうか。日記のほか、小説らしきものを書いたりしていました。

    理科のなかでも化学に強くひかれたのは、出身の神奈川県綾瀬市立の中学校で「酸素と水素が反応して水ができる」という化学反応を模型で学んだときのことです。原子2つで分子を作っている酸素と水素が、ばらばらになって別のつながりをして、水素─酸素─水素の水分子ができる、と知って「こんなことが起こっているのか!」と感動しました。自然現象の理論的なおもしろさに目覚めて、理系の学びに憧れを持ちました。

     幸い、担当教員の丁寧な指導は私に向いていたのですが、キャリアの最初の挫折をここで味わうことになりました。実験がうまく進まなかったのです。1年間取り組んだ後に、「残念だけど、巡り合わせもあるものだから、研究テーマを変えよう」と先生に言われたのです。それはもう、大変なショックでした。それまで努力家の優等生で、「下手でも一生懸命やることに意義がある」「がんばれば道は開ける」と思っていた。なのに1年もかけて、がんばってきたのに、中止になるのか……と。でも研究とは、そういうものなのです。その研究対象において「こういうアプローチではうまくいかない」という情報を得たことは、十分に意味があることで、本人の実験スキルもこの間に身についている。要は、本人がそれを辛いと思うかどうか、だけです。

    この「自分に合っていて、自然体で力を発揮できて、幸せだと感じられるか」という視点は、キャリアや生き方を考えるうえで、とても大切なことです。親や周囲がいいと推すからというのが主な理由で、大学や就職先、結婚相手などを選んでいるのでは、困難に直面したときに弱いのではないかと気になります。もちろん最初からぴったり合うものが見つかるとは限りません。若い人にはあれこれ経験して、挑戦して、場合によっては所属組織やパートナーも替えて、その中から自分の道を見つけ出してほしいと願っています。

     希望がかなって科学技術部に配属され、バイオテクノロジーと化学を担当する科学技術の記者になりました。大学や研究機関において最新の研究成果を取材し、それをわかりやすい表現の記事に書き換えて、社会に発信する仕事です。研究の中身にも関心を持ちましたし、社会に影響がありますし、やりがいがありました。こんな仕事ができるなんてと感激しました。

    30 歳のころに企業ビジネスの担当記者に替わりました。化学業界でしたので、会社の担当は初めてとはいえ、雰囲気的に理解できると想像していました。女性記者は少なかったこともあり取材相手にすぐ覚えてもらえましたし、理系出身であるおかげで研究開発の発表などでは信頼してもらえて、有利な面もありました。ですが仕事の難しさは予想以上でした。

    相手は一部上場の大企業の社長や役員で、広報担当者も「メディアをどう使ってやろうか」という海千山千の人ばかりです。大学に「先生の研究のお話を聞かせてください~」と、学生気分の延長で行くのとはかなり違いました。掲載後に「こんな書き方をされては困る」とクレームが来ることがあるだけに緊張しましたし、業界の値上げの話や、不祥事ニュースの扱いなど、迷うことばかりでした。

    上司はミスや文章の仕上がりに厳格な人で、毎日怒られっぱなし。鍛えられたなあと今なら言えますけれどね。より価値のあるニュース記事を書きたいけれども他メディアとの競争も激しく、胃痛がひどく、薬も効かなくて参りました。

    そのころに結婚して、憧れのワーキングマザーになるつもりでしたが、授かりませんでした。子供もいない、記者は向いていないかもしれない。もっと自由度の高い小説家ならいけるだろうかと、仕事の傍ら数年間、小説の書き方講座に通ったり短い小説を書いたりしてみました。  でも結局、元に戻りました。多くの小説家は刺激的なものを創造できる人で、自分はそういうタイプとは違うなと思ったためです。それよりも社会的なセンスに自信があり、科学技術と社会をつなぐ記者に、やはり合っているのではないかと。また子供を持ちたい気持ちも純粋な願いではあるものの、実はエゴでもあるかもしれないと理解しました。夢はどんなに努力をしても、叶わないこともある。大人になるにつれてだれもが実感することですよね。そして前向きに「卒業」することができました。

     ある程度の期間、集中的に努力してみて、難しいのなら、「そうか神様は、私をその方向に導こうとしていないんだな。そっちじゃないんだな」と納得して、区切りを付けるという姿勢が身につきました。これが私の 30 代の最大の収穫です。

    もう一冊『なぜ女は男のように自信をもてないのか』という本を紹介します。最大のメッセージは、「女性はもっと自信を持たなくてはいけない」ということでした。  例えば組織の中での昇進の提案を、男性は「自分の能力よりずっとレベルの高いポストだ」と思っても、喜んで受けます。それに対して女性は、客観的にみて能力が十分であったとしても、ためらう人が珍しくありません。実際に、中央官庁の審議官クラスの元官僚で、大企業の役員も経験した女性から聞きました。「昇進を打診して、断った男性に会ったことがない。女性は『私なんてとても……』と言う人が時々いる」です。

     これらの男女の違いの要因には、社会的な規範や成長過程での環境のほかに、性ホルモンの作用があるようです。男性ホルモンのテストステロンは、闘争本能や力の誇示、スリルを好むことなどにつながっていて、女性ホルモンのエストロゲンは社交スキルや観察力、リスク回避などにつながっているそうです。私が驚いたのは、本の中で「たとえ能力が不足していても、本人に自信があるとそれが態度に表れ、周囲の人を引きつけ、結果的にプラスに働く」と書かれた部分でした。

    実はリケジョ、Rikejoという言葉は、本書を出版する講談社が商標登録をしています。

    次に大学における自然科学系の教員採用数を、2016年度の数字で見てみます。採用全体における女性の比率は 27・5%です。男性2~3人に女性1人というわけですから、それほど女性が少数派ではないことがわかります。ただ分野による差は大きくなります。分野別では多い順に、農学系が 25・7%、医歯薬学系が 24・7%。これに対して理学系が 17・5%、工学系となると 10・1%になってしまいます。同じ理系でもこんなに違いがあるのです。

    「研究」とは、ものごとを深く調べたり考えたりして、一般的にまだ知られていない知識や現象やその基となる理論などを明らかにする活動です。世界がどのようになっているのか知りたい、という知的好奇心に基づいて取り組む「学術研究」と、「このような課題を解決する方法を導く」といった目的に沿って進める「目的型の研究」などがあります。

    自然科学系では、「基礎研究」と、「応用・開発研究」「実用化研究」という言葉もよく耳にします。後々役に立っていくものの、最初は何に使えるかわからないものが多い基礎的なテーマを追っていく基礎研究から、そこで生まれた結果を応用し、実際に使える形へ発展させる開発を行う応用・開発研究、そして実用化に必要な最終的な詰めを手がける実用化研究、という流れで社会につながっていくためです。「基礎」と「応用」というざっくりした言い方をされることもあります。

    女性研究者には、「リケジョ」という言葉そのものが嫌いな人も少なくないように感じます。研究者には元々、誠実で堅実な人が少なくありません。年長の女性は多かれ少なかれ、男女差別の激しい時代を必死に生き抜いてきたのです。それだけに内容が伴っていないのに軽いノリで「女性」を売りにするということを嫌うのかもしれません。

    実際に取材に回ってみると、「女性だからと取り上げられるのは心外だ」といった反応をする人が、少なからずいて驚きました。「私は努力して、実力で教授の地位を勝ち取ってきた。女性だからと優遇されたのではない」という気持ちがあったのだと、今ならよくわかります。

     そういう会社では、理系女性は一般に少数派で目立つので、担当役員にかわいがられたり、活躍のチャンスを与えられたり、周囲から特別扱いされることもあるかもしれません。それでも若いうちはあまりやっかまれません。理系女性は異質な存在として、いい意味であまり気にされない面があるように思います。多数派の文系女性にとっても男性にとっても、外国人や特殊な技能をもった社外出身者にはあまり競争意識が働かないことがありますが、それと同様なのかもしれません。

     組織には肩書を上げることをキャリアの目標に据え、意に沿わない異動や、上司の言う無理も引き受けてきた人が少なくないと感じます。その中で、人間関係の苦労も少なく、なんとなくのんきにも見える少数派のリケジョは、古いタイプの男性から嫉妬の対象になるなんてこともあるようです。専門性に磨きをかけ、人間関係のいざこざに距離を置いてこられたのに、今度はそのことが憎まれる要因になるかもしれないのです。

    今回取材した年長の理系大学教授の女性は、かなりの割合で「学者の家系」である印象です。第1章の大隅典子さん、第2章の大島まりさんも、父親が理系の学者です(大隅さんは母親も理系の学者)。まだ大学への進学率がさほどでないころに、理系で大学院の博士課程修了まで志す女性は、学者が身近にいる環境で育った人が中心だったのでしょう。学者ならずとも、父親が技術者など理系だというケースが、リケジョでは多いかもしれません。私の場合もそうで、大学院の修士学生時代に父は亡くなりましたが、どうも娘の理系進学を喜んでいた節があることを思い出しました。

     複雑で多様、だからこそおもしろい「人と社会」に関心がある人は、文系的なセンスが高い可能性があります。研究では観察やデータ収集の手法で、重要な情報を集めて分析し、「社会において人間はこういうことをしている」という知を導きます。人の感情、人の営みで構成される社会が好きで、書いたり話したりするのが得意な人が多いでしょう。  これに対して「合理的な自然界の現象」など、筋道が通って納得のいく世界が好きな人は、理系的な考え方が優勢な人といえそうです。研究では実験や、数式を使ったコンピューター計算によって、「この現象はこんなメカニズム(仕組み)で起こっている」と証明。その仕組みを使って新たなモノやサービスをつくりだします。理論的な話や合理的なことと、それらを発展させたモノや仕組みが好き。あれこれ試すのが得意です。

    例えば病後のリハビリテーションをサポートするロボットは、医学と工学の掛け合わせです。離れたところにいる患者と医師をつないだ遠隔診療なら、医学と情報科学の掛け合わせです。

    理系を自然科学系でひとくくりにすると、女子比率は約 27%です。文系は2つに分けると、人文科学系が約 65%と過半数なのに対し、社会科学系は約 36%で少なめだとわかります。  2020年のデータで理系を見てみると、女子比率が最も多いのは医学部・歯学部・薬学部を合わせた医療・保健系で約 48%、半数弱です。次いで多いのが農学系で約 45%。理学系が約 28%、工学系が約 16%です。医療・保健系は全体数が多く、女性比率は近年、あまり変化がありません。女性の進学先として定着しているということができるでしょう。  これに対して理学系と工学系の1989年度はそれぞれ約 18%、約3%で、伸びが著しいことがわかります。実数データを見ますと、理学系在籍の女子学生は2020年度に約2万2000人で、1989年度と比べて約1・9倍です。同じく工学系は約6万人で、なんと約4・7倍にもなっています。つまり 30 年ほどの間に、理工系の学部には「女子がほとんどいない」状況だったのが、「女子が少ない」状況に、変わってきてはいるのです。理系女子学生の数字は、社会全体の女性活躍が進むのと歩調を合わせて右肩上がりです。女性の活躍の点で社会のリーダー層となる年代ではまだ女性比率が不十分ですが、学生の状況を見る限りでは、この先は期待できるのではないかと私は思っています。

     次に理学は自然科学の法則を明らかにすること、工学は自然科学の法則を使って社会に役立つ技術を導くことを、それぞれの研究の役割としています。理学と工学は近い位置にあり、研究者が双方を行ったり来たりすることは珍しくありません。

    一方、女子は理系科目の中では数学と物理より、化学と生物が得意で好き、というケースが少なくありません。先に理工系での進路でいうと、数学に重きを置く抽象的な分野より、生活に近い分野に魅かれる傾向があります。私もそうでした。「化学の道に進むことに憧れて、数学と物理はしようがないので勉強した」状態でした。

    また、高校の教師が一般社会における職業を幅広く熟知していない場合が多いことも背景にあるようです。というのは「子供が好き、教師になりたい」と思う学生は、文系の教育学部に進んで教師になるケースが多いからです。一方で「科学の魅力を子供たちに伝えたい」と考えて教師になる理学部出身の教師もいます。どちらにしても工学系や情報系の職種や学びを具体的に見聞きしていないこともあり、その方面には積極的に後押ししづらいという状況があるのでしょう。そんななかで、教師もさまざまな方面から情報収集をして的確なアドバイスをしようと努力していると思います。ただ、そういった事情もあることを認識して、女子生徒自身が、自ら動いて情報を集めることが必要です! 早いうちから多様な職業の人の話に耳を傾けてください。大学の学部選びもあまり早く絞り込まず、いろいろな選択肢があることを頭に置いておきましょう。

    そう、女性が苦手としがちな数学・物理の成績が、理系の進路選択のうえで決定的ではなくなったともいえるのです。

     私は、いくつもの数式を駆使するような人を「バリバリの理系」、そうではなくて、生き物や生命に関心を寄せるような人を「柔らかい理系」とそれぞれ呼んでいます。

     建築やデザインは伝統的な学問領域ながら、文理融合の色が強く、女性の志願者が多い分野です。工学部建築学科や、私立大学で近年新設が相次いだ建築学部において、入試科目は理系科目を受けることが基本ですが、文系科目のみで可能なケースもあります。そういう意味で「バリバリの理系」というより、前述の生物系と同様「柔らかい理系」といえるかもしれません。  志願者は社会や芸術への関心が高いタイプが多く、入学してからの学びも、建築を経済、芸術、文化の面からとらえるなど、理系と文系との明確な線引きがない形で進みます。この点からも「柔らかい理系」といえるでしょう。女子はデザイン分野にとくに魅かれるようで、女子学生比率は3~4割と、理系としては多い大学も珍しくありません。

    情報系も文理の両面です。

     情報技術をはじめ通信技術、ロボットなどを得意とする国立の理工系単科大学といったら、教員も学生も「バリバリの理系」の人しかいない世界に見えるでしょうか。東京都調布市にある電気通信大学(以下、電通大)はその一つですが、数少ない女性教員において、文理融合の専門性やキャリアを持つ比率が高いようで、興味を引きます。

    ところが、都市部の学力が高めの中高一貫女子校などでは、生徒のうち理系を選択する率が5~7割を占めるなど、決して理系の割合は低くありません。これは多くの人にとって意外なことではないでしょう。

     小学校高学年から中学校にかけて、男女の脳の発達段階には違いがみられます。大人になると違いはなくなるので心配はないのですが、男子は抽象化の概念が、女子は言語関係の能力が早く発達します。例えば数学で「比と割合」を学ぶ時期、男子は理解が高まる分野なので成績もよいのですが、女子はつまずきやすくなります。「やっぱり数学は女子に向かないのだな」と周囲の大人は考えて、そのように接しがちだそうです。けれども女子校なら、女子の特性を理解したうえで適切な指導をし、その壁を越えられるというのです。具体的には、数学のクラスは通常の半分の人数編成で、丁寧な指導をします。立体図形の学びでは、断面図を想像することが女子は苦手なことが多いため、実際に紙の模型を使って理解を促す工夫をします。

    もしも共学で男女とも違いのない指導を受けていたら、理系にいかなかったと思われる女子生徒が、それなりの割合でいると、その教諭は振り返ります。  数学でつまずいたから私は理系じゃないわ、と早いうちに結論を出さず、丁寧に教えてくれる人を見つけたり、質問にじっくり答えてくれる先生をつかまえてみたりすることもおすすめです。

    単独行動が好きなら、理系向きです。

     一般的な特徴として、女性は同性とのおしゃべりが好きで、楽しい仲間とグループで行動するイメージがあります。ところが理系の女性には単独行動を好む人も多いという面もあるようです。これも必ずしも理系だから、文系だからというわけではありませんが、ある程度の傾向としてということで、事例を紹介します。

     ある企業のダイバーシティ(多様性)推進担当の部長クラスの女性から聞いた話です。「女性のキャリア構築に向けて、まずは女性社員同士が親しく話せるような場を持とうとイベントを企画しました。ですが、技術系の女性はそういう集まりを好みません。

     それが引き金になって思い出したのは、筆者の理系の同級生女性のことです。今も数年に一度は、時間をとっておしゃべりする仲です。その彼女が「昔も今も、1対1で女性とかかわるのは大丈夫だが、女性ばかり3人以上という場は苦手。女性だけを集めた同窓会なんて、もってのほかと思っている」ということを最近になって知り、驚きました。

    楽しい集まりの主催者に「女性一人では参加しづらいでしょうから、女性のお友達を誘ってどうぞいらしてください」と言われて、その研究者が驚いたという件です。「女性は普通、一人で行動するのが苦手なものなのか」と振り返ったと言っていました。  文系にはもともと、人と社会が好きで文系の進路を選ぶ人もいますので、他人とかかわることに積極的な場合もあります。ところが理系は人の思惑とは離れたところで動く、自然科学の現象に興味を持ちがちなので、相対的に、人への関心は薄いという面がみられるのでしょう。  

     理系女性が文系女性の多い集まりに入ると、確かに浮く面があるかもしれません。「だれが何をしてどうだった」といううわさ話に乗らなかったり、誘われても「私は結構です。失礼します」と断ったりします。人は人、自分は自分。そういうスタンスが出てしまうのかもしれません。

     中高生の親御さんで、もしお嬢さんが人づきあいがどうも苦手かもしれないなと感じる場合には、「この子は理系が向いているのかな?」とその可能性を考えてみてもいいかもしれません。無理に周りに合わせなくても大丈夫な仕事も多くあるので、さまざまな可能性を考えて温かく見守っていってほしいと思う次第です。

     理工系単科大学では、この教育法が浸透していることによってより効率的に人材を育成できます。学生は比較的しっかり勉学に励んでいますが、これはもしかするとやや理系よりは時間の余裕を持ちやすい文系学生が学内にいないこともあって、遊びのお誘いが少ないためかもしれません。そのため卒業生を採用するメーカーなど産業界の評価は、全体的に高くなります。卒業する段階で理工系の専門性をしっかり身につけていれば、後は企業に就職してからの社内教育で視野を広めていけばよい、と長年認識されていたのです。

    社会において、男女の活躍の違いを阻むものが完全になくなったら、女子大は不要になるかもしれません。けれどもそうなるまでのあと数十年の間は、女子大に存在意義があります」と強調します。共学では現実社会そのままを持ち込んだ教育になってしまい、性別による役割分担なども固定化される傾向があるからです。

    なぜなら伝統的な男性組織は「指令」で動くのに対し、女性が多い組織は「共感」で動く傾向があるためです。  社長や学長など組織トップに就任するモチベーション(動機)も、男性はより上の立場を目指す「上昇志向」に裏打ちされるのが一般的ですが、女性は「周囲や社会のために」という意識が強いとも耳にします。さらにリーダーシップの重要性は組織の最上層部だけでなく、中間管理職などミドルクラスにも広がっており、女性に適した手法はこれまで以上に大事になってくるでしょう。

    私は学部がお茶の水女子大で、学科1学年 20 人がすべて女性だったのに対し、修士は東工大で専攻1学年 40 人に女子は1人となりました。女子大で自然に自立心を身につけたことで、大学院では男子が多いなかでもまあまあ渡り合え、結果的に正解だったと振り返っていです。

    理系は、自分には合理的で無駄のない、筋の通った考え方があると思っていて、それをとてもよいことだと考えていたりします。もちろん私もそうです。おしゃべりの相手が理系であれば、ざっくばらんでストレートな表現をしても問題ないことも多く、理系同士のよさを感じます。相手が文系であれば慎重にしなくてはいけない場面でも、理系なら気づかい不要のことも多いのです。ところがこれが 曲者 です。SNSでも指摘されることですが、自分と波長の合う人のコメントだけを受け入れていると、社会全体からみると偏った人になってしまう心配があるからです。

    理系は皆、合理的なので、気を付ける必要があります。もっと広く社会を見て経験したほうがいいのに、すぐ『そんなの意味ないよ』と判断して、それ以上の行動を起こそうとしなくなってしまうから」

    若いうちは理系に進路を固めたとしても、自分の可能性を早々に狭めてはもったいないことです。人生、何が起こるか、社会はどう変わるのか、まったくわからないものです。私も大学院修士課程の段階まで、新聞記者になるなんて想像しませんでした。第1章の大隅さんも第2章の大島さんも「さまざまなことに興味を持ち、間口を広げておいて」と繰り返し、口にしています。

    まずは研究とはなにか、そして少し前にはなかった、誰もがデータサイエンスを学ぶ必要性について解説します。これからの時代、文系にも必要なものですが、理系に進もうとするなら、特に重要な分野になります。

    真に女性の活躍を応援するタイプかどうか。それを推し測る、私が勝手に考える裏技をお教えしましょう。半分、笑いながら聞いてください。  その1。「男性教員のパートナーである妻が、教員・研究職である」。同じ専門分野で結婚したカップルは、学会仲間などに夫婦それぞれ知られています。仲が悪化した場合に隠し通すのも辛いですし、収入を含めて夫婦が自立していますので、仮面夫婦を演じるのではなく、必要なら離婚しているはずです。夫婦仲がよいならば、妻を通じて女性のキャリア確立に対して深く理解していることでしょう。セクシャルハラスメント(セクハラ)の心配は少ないかもしれません。  その2。「パートナーが自立した職業に就いている」。研究とは違う業界でも仕事を持つ女性と結婚して、ともに自立しながら一緒に生きてきたカップルです。女性に対する敬愛の念を持ち、女性の職業的な自立の重要性をよく認識していることでしょう。  その3。「娘がいる」。たいてい賢くて、かわいくて仕方のない娘でしょう。女子学生のあなたを、娘と同様に応援してくれるに違いありません。

    では、小規模な研究室なら面倒見がいいかというと、必ずしもそうとはいえません。学問は自立的に取り組むもの、という考え方に基づいた、放任主義の教員がそれなりにいるからです。

    ただ、最近の大学の環境を知る私は「昔なら大学の環境が快適だったけれど、この時代に大学にこだわり過ぎないほうがいいのではないか」とも思います。なぜなら、大学の伝統的なイメージから近年、大きく変わってきたためです。それは2004年度に行われた「国立大学の法人化」によります。それまで国立大学は文部科学省の下の一機関だったのに、独立した「国立大学法人」となり、組織が活動するための収入や支出に多大な気を使わなくてはならなくなったのです。国立の公的研究機関も同様に法人化しました。税金による国からの支援はもちろんかなり大きいままですが、「研究力を高め、社会からの信頼を得て、企業からの共同研究費や一般人からの寄付を集めていくように」といわれるようになったのです。

    結婚後の姓をどうするかという問題もあります。戸籍上、妻が夫の姓に「改姓」しても、その「新姓」とは別に、社会活動をする上では「通称」として「旧姓」を使い続けることが、今は難しくありません。大学でも企業でも届けを出せば、人事・給与などの公式書類を除いて、通称で社内外の活動をすることができます。夫婦別姓が法的に認められていないことは、男女の平等性の点での問題が残るものの、現実問題として「通称使用による不便はさほどではない」と当事者である私もそう感じています。  ただ、改姓による「新姓」を全面的に使う選択をする場合は、ちょっと注意が必要です。まだ仕事の実績が上がっていない若いときには問題ありませんが、研究論文や特許、署名入り記事などの実績を積み始めているのなら、同じ姓を使い続けることをおすすめします。論文や書誌データの検索エンジンでは、同一の名前でないと見つけられないリスクもあります。別人だと思われたら、せっかく積み上げてきた仕事の成果が小さく見えてしまうため、とてももったいないのです。

    内永さんは、グローバル社会のリーダーを考えるとき、理系(技術系)は文系(事務系)より活躍の可能性が高いのではないかと言っています。国も文化も価値観も違う多様な人が集まる場で、理系の学びで鍛えられる「論理」だけが共通のもの、コモンランゲージだからです。内永さんが学んだ物理学では現象がすべてで、必要なのは現象を説明する正しい論理です。きちんとした組織運営には、「著名なあの人がこう言っているから」などといった、あいまいな印象論は不適切です。

     上の役職になってからも、論理の正しさを第一とする理系女性の内永さんはつい、ズバズバと本質をついた発言をしてしまい、反省することが多かったです。

    実は私の名前は、2度のノーベル賞受賞者でもあるマリー・キュリーから父が名付けてくれたのです。父も科学者でしたから。ちょっと恐れ多い気もしますが、気概だけは持っていなくては、って思っています。今回の受賞者にちなんで、今年から来年に生まれた女の子には、ジェニファー、エマといった名前が多く付けられるかもしれません。

    研究以外にも、世界にはすばらしい女性の博士人材がいますよ。ドイツのメルケル首相です。物理学者で博士号もお持ちです。活躍している女性を目の当たりにすると本当、勇気づけられます。

  • 岐阜聖徳学園大学図書館OPACへ→
    http://carin.shotoku.ac.jp/scripts/mgwms32.dll?MGWLPN=CARIN&wlapp=CARIN&WEBOPAC=LINK&ID=BB00612495

    理系の学部出身の女性は増えているとはいえ、理系であることを生かして活躍する女性はまだ少数派で、その実態はあまり知られていないことも。そんな理系女性は、どんな場所でどのような仕事をして、どのようなプライベートライフを送っているのか、先輩リケジョ達の体験や彼女たちを取り巻く環境がどうなっているかを、レポートします。
    第1部では、憧れの先輩たちが今までの理系女性人生を語ります。語ってくれるのは、東北大学の副学長で、生命科学分野の研究第一人者である大隅典子さん、東京大学教授で、今注目の流体工学を研究している大島まりさん、理系の大学出身で大学や企業の事情に詳しい、日刊工業新聞社の山本佳世子さん。
    研究者や企業人として大切だと感じること、そして女性ならではの苦労話、これからの時代を見すえたアドバイスなど、これから理系を目指す女性、迷っている女性、理系の道を歩み始めた女性、理系女性と一緒に働く人などに参考になることが満載の内容です。
    また、第2部ではさまざまな分野の研究者や、企業で活躍する理系女性のリアルな姿を紹介します。仕事や理系の能力の活かし方、気持ちの持っていき方など、経験ある理系女性の事例を多く取り上げています。
    また、理系女性が中学、高校時代から大学、社会人へと進むなかでの実態を追っていくと共に、時代の変化によって変わってきたことや、逆に変わらないことなどを分野や状況別に解説。女性だからと肩肘張る必要はないとしても、女性だからこそぶつかりがちな壁を知っておくと、慌てず対処できたり、ライフプランを立てやすくなるかもしれません。
    大学での研究職、国立研究開発法人などの公的研究機関、企業としては化粧品会社やライフサイエンス系のベンチャー企業などいろいろな業種での実例を、幅広く紹介しながら、結婚や子育て、海外での経験などと絡めて、理系女子としての生き方をイメージする一助となる1冊です。
    第3部では、大隅さんと大島さんが現在と未来の理系女性のビジョンを語っています。元気がもらえる言葉も満載です。(出版社HPより)

  • 国立女性教育会館 女性教育情報センターOPACへ→https://winet2.nwec.go.jp/bunken/opac_link/bibid/BB11494026

  • 桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/book/643607

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著者プロフィール

東北大学

「2021年 『個性学入門 個性創発の科学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

大隅典子の作品

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