- Amazon.co.jp ・本 (354ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065234006
作品紹介・あらすじ
謎を解かなければ。
私は作家なのだから。
人気作家・二階堂紡季には、
誰にも言えない秘密があった。
露呈すれば、すべてを失う。
しかし、その秘密と引き換えにしても、
書かねばならない物語に出会ってしまい――。
デビュー作『法廷遊戯』が、ミステリランキングを席捲! 注目の弁護士作家第3作!
装画/junaida
感想・レビュー・書評
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いじめ問題が登場人物たちを葛藤の渦に巻き込む! 社会派ミステリーの傑作 #原因において自由な物語
ミステリー作家である主人公が、自らの作品を綴るきっかけをもとに、高校生のいじめ問題に直面する。そんな事件にどうやら自らの恋人も巻き込まれているようで、いったい高校生たちの世界では何が起こっているのか…
深すぎっ 深すぎですよ!
いじめ問題の解決にここまで真摯に向き合っている作品を知りません。薄っぺらい問題提起と提案だけではなく、ミステリーを基礎にしながらも読者にグサっと覚悟を突き付けてきます。
出てくるキャラクターたち作家、高校生、弁護士たちが真剣に生きている様がぐいぐい伝わってきます。心理描写がとても上手で、罪悪感と罪滅ぼしと自分への罰が胸をうち、涙なしでも読めません。しかしこんな背景だと、誰しも破滅願望を持つかもしれませんね。
やはり本作は、イジメに対するテーマと作者の解答が一番の読みどころです。
世の中結論や結果だけで判断されてしまい、いじめ問題や法律もすべてがそう。どんな課題であろうが、被害者も加害者も近くにいる人も課題を知らなかった人すらも全員に責任がある。だからこそ自分たちは自身の知恵と経験で熟慮し、次の一歩を選択しなければならない。胸を張って自分の判断を信じる覚悟を忘れてはならないと思いました。
気になる点としては、あまりに問題意識が高い作品のためエンターテイメント性が貧弱なところ。論文かよっ、てほど問題に対する分析と考慮が深いので、楽しみを求めて小説を楽しみたい人には、ちとシンドイかもです。バランスが難しいですね。
しかし本作はとても高品質な社会派ミステリーです。読んでおくべき作品だと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトルからは内容が想像できなくて、とても興味をそそられた。
結末が知りたくて、そこ至るまでの過程を追いかけ、途中で投げ出すことが許されない。そして最後まで読み切った人だけが、感じることができる様々な思い、読後感。
読み応えあり。
結論に至るまでの過程を描くのが小説の役割。
どこまでも深く考えさせられた。
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物語の中では、スクールロイヤーの弁護士と
小説家が謎を解くために事件をたどっていく。
作者の五十嵐律人さんの二つの顔から、
語られる自由な物語。
いじめの問題をウイルス感染と喩えた点に
なるほどと、関心。
ターゲットを決めて寄生して、水面下で攻撃する。
そして免疫力が下がったら発症する。
宿主が弱ったら、また別へ寄生して移ろい
ウイルス自体は根絶しない限りなくならない。
個性を大事に!と云いながら
学校には校則や制服での制限がある。
人と人の関係やコミュニティ内では、
なんとなく違う、人との違いが
排除の標的になる。
加害者が被害者になる可能性は紙一重。
巻き込まれることを恐れ無関心を装う傍観者は、
消極的な加害者とも言える。
学校という狭い閉鎖的な社会は
脱げ場のない牢獄にも思えるし、
学生の期間は限りがあるのに、
現在進行形の時には永遠にも思える点も納得。
自由な意思決定のよる行為から生じた結果の
責任は負わなければならない。
『原因において自由な行為』
それは加害者も傍観者も同じだって事、
大人も子供も、どんな立場の人も同様に
自由意思と行為の責任に向き合うべき
と示された気がした物語でした。
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五十嵐律人というと、法律論をメインテーマの背景に極めて論理的な展開と犯罪行為の背景の抒情的なギャップが物語を強烈に際立たせているという印象があるが、本作は法律論的な部分は『原因において自由な物語』というタイトルに託し、物語の中での法律論はこの文言の説明にとどめている。更に、このタイトルは法律論として物語全体を象徴するだけでなく、二階堂紡季の辿り着いた作家としての立ち位置も示しており秀逸である。
物語は、法理の展開を抑えた分だけ、抒情的に流れるかというと、必ずしもそうではない。トリッキーな構成と散りばめられた伏線が余すところなくきっちり回収される気持ちの良さ。ミステリとして一級品である。そのうえ、テーマ性を明確にし読む者に「あなたならどう考える?どうする?」という鋭い問いを突き付けることで、単に結果における善悪という表面的な主張にとどまらず、能動的に物語にコミットすることを求めている。
そういう立場に読者を立たせるための小道具として「ルックスコア」と「故意恋」は見事としか言いようがない。AIの可能性と課題そして日本的同調圧力など諸々の社会課題への広がりもリアルに考えさせる。そのうえでのスクールカーストを取り巻く現状はなんともやるせない。いじめが悪いということなど誰もが分かっている。しかし、悪いというだけではなくならない。「経過こそが重要であり説得力をもつものである。だからこそ物語は力を持っている」という作者の思いが強く伝わってきた。結末は同じでも至る道は無限であり、過程を選ぶことこそが自由であり、そこにこそ「人を動かす力」があるのだろう。
タシュラーの『国語教師』を読んだ時にも感じた作者の「物語の力を信じる気持ち」が読む者の心に読書する喜びを湧き立たせている。本作は単にミステリの枠に収まらないものを感じる。現代社会の歪みをとらえ、そこにおける小説の持つ役割を定義した作品といえるのではないだろうか。 -
学校のイジメを題材にした小説の世界の伏線を実は真実である世界で回収する興味深い構成で物語が進みます。
イジメをウィルスと例え上手い表現だと感心した。
原因(イジメ)において自由(イジメには責任がつにまわる)物語にて私なりに結論つけた。
もしかしたら真逆かも知れない。
最後の最後まで伏線(原因)と回収(自由)に主きにおいた物語である。
私たちの生活にも十二分に自由の代償には責任がついてくる事を忘れてならない。
人間の基本的な欲求を個性として考えて行きたい。
弁護士スクールロイヤーの遊佐想護(原因)作家二階堂紡季(自由)で未来に託された物語だ。 -
人気作家・二階堂紡季。彼女はある秘密を抱えていた。しかし、恋人の想護が廃病院から転落し、状況が一変。プロットに残された一年前に同じ場所で起きた転落死の事実。真相を突き止めるために紡季は動く。たとえ秘密が暴かれたとしても──。
一年前と今回の転落、二つの事件を繋ぐもの。想護が護ろうとした想いは何だったのか。手繰り寄せるほどに人々の色は混ざって黒く染まっていく。紡季が抱えた創作への苦悩へも迫り、物語を紡ぐことの意味、その問いにも光が差す内容になっているのが見事。物語だからこそ伝えられるものがある。
学校でのスクールロイヤーの立場。弁護士の手では救えない人、解けない闇がある。それは校内でのいじめに限らない。被害者が加害者に逆転したり、ニュースの見出しや一方の意見だけを見て悪者を決めつけるなんて、日常に行われていることだ。目を逸らした複雑な過程にこそ、解決の糸口は残されている。
最後に好きな言葉を引用して終わります。読者が求めているのは、結末じゃなく過程への共感というのは納得の一言だった。物語のように、現実でも過程を愛することができたらいいのにね。
p.220
「平等は、機会を与えることで、結果を保証することじゃない。機会の付与は、道筋を確保すれば足りる。自主的に勝ち取るから、権利は価値を帯びる」
p.271
「だけど、小説は違う。一見すると不合理な結末でも、登場人物の内面とか、そうせざるを得なかった事情を丁寧に描写していけば、納得が得られるかもしれない。絶対とは言い切れなくても、そういう小説を何冊も読んできた。読者が求めているのは、結末じゃなく、そこに至る過程への共感だと俺は思ってる」
p.310
「始めるまでは霧に包まれていて当たり前なんだから、スタートラインを切る動機は適当でいいんだと思う。大事なのは、続ける理由だよ。先が見通せるところまで進んで、それでも引き返そうとしないなら、そこで初めて積極的な決断をしたことになる」
p.337
「誰かのせいにして悪者を決めないと、安心できないんです。どうしようもないくらい歪んでいるのに、みんな目を背けている」
p.344
加害者も、傍観者も、安心や娯楽を欲して他者を傷つける。
それぞれの選択が複雑に絡み合って、連鎖的に不幸が起きた。
誰もが無関係ではないし、誰もが責任を負う必要があった。最終的な結果だけを見ても、問題は解決しない。糾弾すべきは、無責任に積み重ねられた自由な意思決定だった。