- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065237823
作品紹介・あらすじ
人びとを救いのない業報の束縛から解放する、恩寵と救済の宗教――大乗仏教は、どのような思想的変転の中から出現したのだろうか。「さとり」と「廻向(えこう)」という大乗仏教のキーワードを軸に、その独自の論理を解明していく。
「マーヤー夫人の処女懐胎」と「マリアの受胎告知」など、ブッダとイエスをめぐる説話に驚くべき類似がいくつも見られるのはなぜだろうか。本書はまず、仏教とユダヤ教、キリスト教など、西アジアの諸宗教の影響関係を聖典文献学から探る。なかでも、ペルシアに栄えたゾロアスター教がメシア信仰や阿弥陀仏信仰、さらに大乗仏教の成立に与えた影響に着目する。
また、自分の積んだ善業の結果を「さとり」という超世間的なものに転換したり、自己の功徳を他人に振り向けたりする「転換の思想」すなわち「廻向」は、「業も果も本質的には空(くう)である」という「空の思想」に支えられている、という。そして、この阿弥陀仏信仰と「空の思想」を両輪として、大乗仏教は育まれたのである。
原始仏教と他宗教を比較する広い視野から、難解な思想を平易に説き明かす。巻末解説を、チベット学の今枝由郎氏が執筆。
『「さとり」と「廻向」――大乗仏教の成立』(講談社現代新書1983年刊、人文書院1997年刊)を改題して文庫化。
感想・レビュー・書評
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歴史上のブッダは本当はどんな人でどんなことを考えていたのか、というのは、とても興味深い問いで、そういう本はたくさん出ている。そういうのがあれば、わりと読んでしまうのだが、何冊か読む中で大体のところが見えてきた。
で、次なる疑問は、「大乗仏教」はどのように生じたかということで、その辺りの私がまだよくわかってない領域で、ズバリのタイトルのこの本を読んでみた。
これはとても読みやすい本で、かつ知らないことがたくさんあって、眼から鱗がたくさん落ちた。
一時、仏典と聖書に登場するエピソードに類似するものがあり、それは仏教から聖書への影響があるのでないかという研究が 19世紀にあった。が、調べていくと偶然似ているだけのものもあるだけだったり、テキストとしての成立の時代を吟味すると、聖書より後に仏典に類似したエピソードが追加されたと考える方が良さそうな状況らしい。
で、キリスト教が仏教に影響したのかというより、むしろゾロアスター教が、仏教とキリスト教の両方に影響を与えたと考えた方が自然だと著者はいう。このあたりの論考は、すごく面白い。
で、そこから話しは、より具体的に大乗仏教の成立についての論考に入っていき、歴史的な状況、仏教内部での派閥争い、輪廻概念の変化、空の理論の発見などなどが説明されて、説得力がある。
こういう仏教関係の本は、仏典を細かく分析していくところから議論を進めるものが多く、素人的には大体途中でわからなくなっていくのだが、この本は、テキストも紹介しつつも、当時の時代背景を分析していく中で、大乗仏教が生まれた原因を分析していく感じで書かれている。
あと、仏教における終末論がとても面白かった。仏教の世界観というか宇宙観がわかって、面白くて、ある意味、キリスト教的なところもあると思いつつも、結局、みんな救われるところが面白いし、終末を待たずとも今救済が可能なところがすごいなと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
疲れた
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非常に平易な文章で書かれており、読み易いです。とは言え、ジャーゴンを習得していない門外漢として読み始めたところ、やはり二、三度以上は再読しないと最低限の理解にすら及ばないかなあと感じました。少しずつ再読してみます。ゾロアスター教に幾つかの宗教のルーツがあり、仏教もその揺曳であった、というお話。成る程。
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多数の経典を元に原始仏教から大乗仏教のおこりを概説。
前半のキリスト教などの対応の紹介などは余り関心は抱かなかったが、インドにおける他民族侵略の時代背景や修行に専念することが可能な聖者のみに救いの可能性がある小乗から、民衆へ救いの手を広げる大乗へとの繋がりは比較的わかりやすく読めた。
副題のさとりと廻向の論理も丁寧。
(途中期間を空けて読んでしまったので、文献や用語についていけなかったりはしたが)
不勉強ではあるものの個人的に多くの宗教は排他的であるように見えたり、死後の世界を信じていないことから信仰心はないものの、その中で仏教の無常感や数十億年単位の時代・宇宙観、現世利益と距離を置くところには興味は感じている。
本書が仏教の入門書としては適当という訳ではないが、機会があれば他の本も読んでいきたい。 -
(後で書きます。付論に「仏教の終末論」あり。本論と付論末尾に参考文献リストあり)
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大乗仏教の話なのだけれど、自分には宗教を求める人間の観点からその歴史を文献と今の自分を撚り合わせて辿るような本だと感じた。
前半部分で、キリスト教に出てくる話とジャータカの話の類似性についての研究の歴史がある。文献学と史学的な確かさから影響をしあったことはないようだが、検証の過程で人間が宗教を求めていくことを確かめていて、それは同時に読んでいる自分の中を確かめるようでいて学術的な表記以上のものがある。
ゾロアスター教(拝火教)との関連性に言及したり、初期仏教からの経典の解説もあり、これは浄土教以外の仏教諸宗派、修験道の方が読まれたらどんな印象なのだろうと思った。視点がたくさんあって面白い。
後半で「空」について、
”戦乱と略奪に明け暮れ、無常と苦をいやでも痛感させられている民衆にとって、空の思想は、奥深いものでありながら、実はもっとも身近な、受け入れやすい思想であった。”
とある。ああ、これはそうかもしれないと思う。現代社会で生命の危機をある程度感じないで生きている今、この「無常」というのは生き死にのレベルで感じにくいのは確かた。ほんとうはそうじゃないんだけど、常に自分の隣に死があるという生活ではない。
空と輪廻のところは抜粋しようがないので、是非読んでもらいたい。ここにダイジェストを書くことがまた台無しにしてしまうことなのだ。
最後の[付論]仏教の終末論は、こんな感じの世界観があるのだというのを浄土教から読んでいる自分は初めて知った。こういう思想の土台があって輪廻というのを考えるとまた違った感覚で見ていくことができる。
どういう人におすすめかと言われてると、どういう人でもOK!全然仏教を知らない人でも面白く読める文化的知識的幅広さ。そして仏教関係の方でもそれぞれの視点から新しい気付きが得られるのではないかという感じがする本だ。真言宗の人とか読まれたらどんな感想かなとも思う。
学術的かと思わせて、自分の中で読んでいくことの広がりに驚く一冊。