- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065246269
作品紹介・あらすじ
「まことに、〈われ〉は、〈なんじ〉と出会うことによってはじめて、真の〈われ〉になるのである。わたしが〈われ〉となるにしたがって、わたしは相手を〈なんじ〉と呼びかけることができるようになるのである」。
「すべての真実なる生とは、まさに出会いである」。
オーストリア生まれのユダヤ人哲学者マルティン・ブーバー(1878-1965年)は、ウィーン大学で哲学や美術史を学んだのち、神秘主義的なユダヤ教の一派であるハシディズムに傾倒しつつ、ユダヤ人のパレスチナ復帰を目指すシオニズム運動に参加する。1916年にはドイツ語圏ユダヤ人の指導的機関誌となる『ユダヤ人』を創刊してその編集にあたり、またフランツ・ローゼンツヴァイク(1886-1929年)とともにヘブライ語聖書(旧約聖書)のドイツ語訳を行う。その後フランクフルト大学で教鞭をとるも、1938年にドイツを脱してイスラエルに移住。以後はヘブライ大学に勤め、エルサレムで人生を終えている。
第一次世界大戦に志願兵として参加し、塹壕のなかで着想を得て執筆されたローゼンツヴァイクの『救済の星』(1921年)の刊行後ほどなく、本書は敗戦の爪痕も未だ深いドイツで1923年に刊行された。
ブーバーの主著でもあるこの本は、「ひとは世界にたいして二つのことなった態度をとる。それにもとづいて世界は二つとなる」という一文で始まる。二つの世界のうち、一つは〈われ〉‐〈なんじ〉の世界であり、もう一つが〈われ〉‐〈それ〉の世界である。世界は、単に人間の経験の対象となるときには〈われ〉‐〈それ〉という根源語に属し、これに反して関係の世界は、もうひとつの根源語、〈われ〉‐〈なんじ〉によって作り出されるという。
「対話の思想家」と称されるブーバーは、さらに「はじめに関係あり」と語る。「私」ではなく「あなた」でもなく、〈われ〉と〈なんじ〉、そして〈われ〉と〈それ〉の出会いから始まる世界とは、どのようなものなのか。そしてそれは私たちの生に何をもたらし、どのように変えていくのか。ユダヤ思想のエッセンスに満ちた普遍的名著が、いま〈あなた〉に語りかける!
(原本:『孤独と愛――我と汝の問題』創文社、一九五八年)
【目 次】
第一篇 根源語
第二篇 人間の世界
第三篇 永遠の〈なんじ〉
訳者解説
学術文庫版解説(佐藤貴史)
感想・レビュー・書評
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人から聞いてばかりで恥ずかしいが、宮台真司がこの本についてイベントというので、どれどれと思って読んでみた。
Ich ind Du
が原題。
そもそも私には宗教的背景もさしたるものはなく、現実厳密になんじ、汝という根源語に傾倒するということからしてわからない。
わからないなり、に、というか、タイトルは汝と漢字のの言葉だが、本文では、なんじ、
われも我ではなく、われ、
われ、
それ、
なんじ
に基づく関係性、世界の認識についてだ。
経験とはなにか。
世界は人間の経験とはなんの関係もない。
世界からは人間の経験なんて全く無関心。
もの、物体は、たとえば木、は、それ、であろうが、私が意思を持ち意思において恩寵の励ましを受けるならば、私はその木と関係をむすぶことができる。つまりその木は、わたしにとり、なんじとなり、わたしはなんじのとりこ、なんじの、独占的な力のとりこになる
祈りは時間のうちにはない時間こそ祈りのうちにある、
犠牲は空間のうちにはない、空間こそ犠牲のうちにある。
現実を考えると確かにそうだなと思う。
なんじとわれとが出会うのは、ひとえに恩寵のたまものである。
われとなんじの出会位は直接的である。(いかなる観念形態も計画も入り込まない)
愛はわれとなんじのあいだにあるもの。表現する感情を愛だと言い張っても結局それは愛そのものがわからない人。相手を一途に憎悪する人間は、愛も憎しみもない人間より、はるかにいっそう関係に近づいている。
などまだ第一篇だが読んでいると、わかりやすさとわかりにくさ、自分の無理解や未理解感じつつも、なぜか昔読んで夢中になったシモーヌベイユを想起した。
後天的な認識がなかっだ時、原始的な関係において、原始人は極めて自然にわれ、なんじの根源語を語った
われ、と、それ、という根源語は、われが孤立してはじめて、つまり、自分をわれと認識してはじめて可能になる
など信頼できる言葉が滝のようにながれでる。
ひとは、それ なくして生くるこのを得ず、されど、それ によりて生くるものは、真の人間にあらざるなり。
という言葉は真理である、よく聞けとブーバーは呼びかける。自分の経験のために相手を利用する、赤裸々な過去にいきて組織化されるわれわれ人間の生活、社会、、
第一篇 根源語を読んで私の入れ物はいっぱいになり、たぶん今私に必要なのはこの部分であろうとも思った。第二篇人間の世界、第三篇永遠の<なんじ>までは、続けてまっすぐには読めなかった。また後日に。詳細をみるコメント0件をすべて表示