日本人の死生観 (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065257494

作品紹介・あらすじ

仏教学に民俗学の方法を接続し、日本人の宗教を深く掘り下げた五来重。本書は、厖大な著作を遺した宗教民俗学の巨人の「庶民宗教論」のエッセンスを知るのに最適な1冊である。
日本人の死生観とは、すぐに連想される「ハラキリ」や殉死など、武士道的なものだけではない。貴族や武士の死生観、いわば「菊と刀」ばかりでなく、「鍬」を持つ庶民の死生観は、一体どんなものだったのか。本書では、教祖・教理・教団から成る西洋起源の宗教や、文献研究と哲学的思弁にこだわる仏教学ではなく、仏教伝来以前からの霊魂観や世界観が息づく根源的な「庶民の死生観」を明らかにしていく。
著者によれば、庶民にとってあらゆる死者は一度は怨霊となる。それは鎮魂によって「恩寵をもたらす祖霊」に変えなくてはならない。そのための信仰習俗や儀礼の有様を探索し、日本列島を歩きに歩いた著者の視線は、各地に残る風葬や水葬の風習、恐山のイタコと円空仏、熊野の補陀落渡海、京都の御霊会、沖縄のイザイホウ、遠州大念仏、靖国神社などに注がれる。
巻末解説を、『聖地巡礼』『宗教と日本人』の著者・岡本亮輔氏(北海道大学准教授)が執筆。〔原本:角川書店、1994年刊〕

感想・レビュー・書評

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  • 日本人の死について、民俗的・宗教的視点から人間の死にまつわる思想・文化芸能に関する過去と現在のありようについて紹介した著作。

  • その国の文化や価値観を知りたいと思った時に、死生観や、それに基づく葬儀の方法などは、とても興味深い指標になる。日本で火葬が普及する以前は、風葬(特定の場所に置いて風化させる方法)や水葬(船や桶のようなものに入れて川や海に流す)やり方が一般的だったらしい。死者は穢れたものとされ、死亡して間も無くは祟るものとして避けられていた。安置された遺体が白骨化することで穢れがなくなったと解釈されるが、そのための必要な期間が約2年でこれは仏教の3回忌にあたる。それまでは遺体の周りに枝を払った木を植えたり、草で覆い隠したらしいが、これを青山というらしい。なるほど。死を語ることは多くはないが、文化の理解としては非常に面白いと思った。

  • 日本人の死生観 五来重 講談社

    足で学んだ宗教民族学者が
    各地に残るアミニズムを含む
    死生観を掘り起こす中で
    出合った宗教観
    肉体の死と霊魂の関係
    腐敗に対する穢れと浄化
    迷える魂を救う祈りと祀り
    葬祭や埋葬に対する思いと儀式を綴ったもの
    風葬や水葬
    生まれ変わりやあの世についての記録

  • 複数の論考や講義録を併せて『日本人の死生観』と題したもの。著者の研究が仏教研究から出発していることに留意すると分かりやすい。
    以下要点を箇条書きで。ネタバレ注意(?)





    ・死後の世界=他界 現世の延長・投影 死者の国
    山/海・島(常世、理想郷でそこでは歳を取らない)がのちの浄土観念や聖地・霊場形成の基底にある 例: 水葬、風葬、→恐山、熊野、補陀落渡海
    正者の国と水平的に観念される場合が多い

    ・怨霊→和魂/荒神など→神・仏
    罪・肉体そのものの穢れが清まらないうちは、死者の霊は荒魂であり、怨霊であるので封じ込めることが葬制・墓制の根本となる 例: 結界、両墓制、トーバ、サンマイ
    祭らなければ祟るが祭れば子孫や共同体に恩寵をもたらす

    ・怨霊: すべての新魂+供養されない霊(=餓鬼)+非業の死を遂げた人の霊魂 
    ・鎮魂の方法:(1)圧えつける…遊部の神楽、相撲、足踏み (2)追い立てる…鎮送、お盆 (3)閉じ込める構造物を作る…殯など

    ・罪・穢れを生前に減らしておく手続き、少数の金持ち個人よりも多数の庶民が合力した方がすべての人が得る現世・後世の幸福は大きくなるという庶民信仰→行基・空也の社会事業の基底

    ・擬似再生儀礼: 脱皮のように生まれ変わることで成長するという観念 例: 生まれ清まり神楽、成人儀礼、逆修、入道、往生決定、修験道における即身成仏

    ・贖罪死という概念
    (a) 個人の贖罪死: 自らの罪業を自らの死によって償うことで永遠の安楽を得ようとする ほか苦行など
    (b) 集団のための贖罪死: 集団が罪によって受くべき飢饉・疫病などを逃れるため、一人の人間が集団全体の罪を背負って死ぬ 犠牲を素直に受け入れる精神構造→軍人勅諭・徴兵に適合か



    民俗学に疎く方法論を知らないため(そんなに断言してよいものか…?)と思いつつも、興味深い。神話学や比較人類学も発展した今はもっと研究が進み精緻化されているのかもしれない。

    例えば生まれ変わりとして出てくる成人儀礼・若衆宿的なものは、人類が文明を獲得し他の動物とわかたれた過程を再現する儀礼とも関連するだろう。鎮魂と芸能の関連についての記述は、『イリアス』におけるアポロクロスの葬儀における競技大会を想起させる。

    宗教学・民俗学について興味を持たせてくれる一冊でした。

  • 原始信仰、神道、仏教、その他派生した信仰を詳しく解説しながら、仏教がいかに日本に広まり、なぜ定着したのか、なぜ日本人に受け入れられたのかを解説する。仏教の布教の特徴(既存の信仰や習俗に合わせる)やベースとなる土壌(古くからある習俗、信仰、儀礼)を予備知識のない人にもわかりやすく説明している。
    文章は読みやすく、量も文庫でちょうど良い。しかし内容がしっかり盛り沢山なので、一度読んだ後他の本や資料で知識をつけた後で再読するとさらに吸収できるかもしれない。

    霊魂観
    古代あるいは庶民は死というものは「集団のなかのひとりのの死」と捉えられる。現代の個人の死のように寂しさ懐かしさの対象だけではなく、恐ろしい災害のもととなる荒魂という存在となる。
    恐ろしい災いをもたらさないように魂を鎮める儀式をする。

    水死者を拾うと幸運
    水死者を海で拾って供養すると豊漁となる言い伝えがあるが、その拾う機会の多いのは死者供養のために流したものを拾っているからである。
    確かに、台風の後のような時ならともかく普通そんなに偶然に流れてくることなんてないかと納得した。

    熊野信仰
    熊野詣の参道では死者に会うことができる。なつかしいと思ってよく見たら3年前に死んだ人だったというような話が伝わっている。(幻想的な雰囲気。ぜひ歩いてみたい。)
    烏が神聖視されること、古墳がほとんどみつかっていないことから、水葬あるいは風葬の卓越したところであったと考えられる。(なるほど!)

    風葬
    羅生門の上に死体がおかれていたのは風葬のため。(そうだったのか!)
    日本人は風葬は高いところに持っていこうとする。埋葬するようになってからも山の高いところへ埋めようとする。それで山の上に霊場ができるようになる。
    なおヒルコを流したのが水葬の原型。

    追善供養
    葬式の時にわらじ脚絆をはかして頭陀袋に穀物と六文銭をいれ、杖を持たせ笠をいれてやるのは永劫の苦しい旅を軽減してやるために行なう。

    擬死再生
    成年になる儀式として、大峯、立山、白山に登るのは、子どものわれは死んで新しい大人のわれになって出てくるということ。
    こういう前知識を持って登るとまた感慨が違うんだろうなぁ。
    修験道では人間が生まれ変わって仏になる。しかし庶民信仰では罪と穢れを取り去って健康で清浄な魂としてよみがえるのが擬死再生だと。
    なお、火葬場開きをする時にまだ使っていない竈年寄りが入って出てくると後生がよくなる=死ぬ時に迷惑かけず長く苦しまない。というものがあるらしい。

    山中他界
    特に古代は死者を山に葬った。風葬、野葬、林葬など。
    そこから、野辺送りを山行きと言ったり墓を山と言ったりする。死出の山路という言葉も。
    地獄谷、賽の河原という地名がつく山は他界信仰のあった山といって良い。
    立山、白山にもそれがある。
    そして、山の神は川を伝って里に下る。
    霊山が源流の川で宗教儀式をやるのはそのためである。

    古来の信仰と仏教
    地獄と極楽の仏教の教えと黄泉と常世の古代の考えと置き換えられたので仏教がここまで受け入れられた。
    死後の世界観も、古来の考えに仏教の地獄と浄土が重なったもの。

    中間神霊
    火の神、雷の神山の神…これらは皆祟る神で、目的地のゴッドになっていない。

    靖国神社
    靖国神社の問題にも筆者は触れた。
    その賛否ではなく、靖国神社をなくしてほしいというのであれば戦死者を供養する場がなければならない。
    そういうものを作ろうとせずに批判してはいけない。
    また、本当に鎮魂されるためには浅草の浅草寺や川崎大師のような、誰もが普段着で行ける場にする必要があるという。今のままでは鎮魂が終わらないと。

    信仰
    なぜ自分がこのような悲劇に遭うのか、に応えるためにはやはり宗教や信仰がこたえていく。それができないときに新興宗教が生まれる。

    葬送
    死出の旅路のために置いた笠が、由来がわからなくなって墓上構築物ととらえられて、傘を寺に置くようになった例。時間と共に儀式や作法の意味が忘れられてしまい違うことをしている例。
    墓の近くに大きな木があるのは、供養のために植えたもの。仏教が渡る以前はそうしていたので神社の近くに墓があるところもある。

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著者プロフィール

五来重(ごらい・しげる)
1908‐93年。茨城県生まれ。東京帝国大学文学部印度哲学科を卒業後、京都帝国大学文学部史学科国史学専攻卒業。高野山大学教授を経て、大谷大学文学部教授、同名誉教授。専門、日本民俗学、宗教史。著書に、『五来重宗教民俗集成』(全8巻)『五来重著作集』(全12巻・別巻)の他、『仏教と民俗』『高野聖』『熊野詣』『山の宗教』『日本の庶民仏教』『四国遍路の寺 (上・下)』『円空と木喰』『日本人の地獄と極楽』など多数。

「2021年 『修験道入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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