黒い海 船は突然、深海へ消えた

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065304952

作品紹介・あらすじ

その船は突然、深海へ消えた。
沈みようがない状況で――。

本書は実話であり、同時にミステリーでもある。

2008年、太平洋上で碇泊中の中型漁船が突如として沈没、17名もの犠牲者を出した。
波は高かったものの、さほど荒れていたわけでもなく、
碇泊にもっとも適したパラアンカーを使っていた。
なにより、事故の寸前まで漁船員たちに危機感はなく、彼らは束の間の休息を楽しんでいた。
周辺には僚船が複数いたにもかかわらず、この船――第58寿和丸――だけが転覆し、沈んだのだった。

生存者の証言によれば、
船から投げ出された彼らは、船から流出したと思われる油まみれの海を無我夢中で泳ぎ、九死に一生を得た。
ところが、事故から3年もたって公表された調査報告書では、船から漏れ出たとされる油はごく少量とされ、
船員の杜撰な管理と当日偶然に発生した「大波」とによって船は転覆・沈没したと決めつけられたのだった。
「二度の衝撃を感じた」という生存者たちの証言も考慮されることはなく、
5000メートル以上の深海に沈んだ船の調査も早々に実現への道が閉ざされた。
こうして、真相究明を求める残された関係者の期待も空しく、事件は「未解決」のまま時が流れた。

なぜ、沈みようがない状況下で悲劇は起こったのか。
調査報告書はなぜ、生存者の声を無視した形で公表されたのか。

ふとしたことから、この忘れ去られた事件について知った、
一人のジャーナリストが、ゆっくり時間をかけて調べていくうちに、
「点」と「点」が、少しずつつながっていく。
そして、事件の全体像が少しずつ明らかになっていく。

彼女が描く「驚愕の真相」とは、はたして・・・・・・。

感想・レビュー・書評

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  • 2023年講談社ノンフィクション賞 
    2023年大宅壮一ノンフィクション賞
    2023年日本エッセイスト・クラブ賞

    モヤモヤしか残らなかった。読み終わっての感想である。
    書き手や作品に対してではない。人生やこの世の不条理さに対してのモヤモヤである。

    本書はフリージャーナリストが漁船沈没事故に関して関係者への取材を通して国の調査結果に対する矛盾に迫るノンフィクション作品だ。

    2008年6月に発生した犬吠埼沖合で発生した漁船の沈没事故を覚えているだろうか。乗組員20名のうち助かったのはたった3人。残りの17名は死亡もしくは行方不明となった我が国の海難事故史上でも稀にみる重大事故だった。
    昨年発生して連日大々的に報じられた知床遊覧船沈没事故、いわゆるカズワン事故の死者・行方不明者が26名でありこれに匹敵する被害規模である。

    カズワン事故は国民の多くの記憶に刻まれていることに異論はないだろう。しかし本書の題材となっている犬吠埼沖合漁船沈没事故を知っている、ないし覚えている国民は意外な程少ないのではないだろうか。

    この事故を私も覚えていなかった。本書を読んでなんとなく、そう言えばあったよなと思い出した程度である。おそらくこれが世の大半の人々の感覚ではないだろうか。

    この沈没事故の2週間程前に秋葉原通り魔事件が発生しマスコミは連日大々的にこの事件を報道していた。結果、沈没事故の報道が相対的に少なくなったということもあまり記憶に残っていない原因の一つだろう。

    本書を読んで驚くことが多々あった。
    国の海難事故の重要度を判断する基準では、
    旅客船>商船>漁船となっているとのこと。本書で取り上げられている沈没事故は重大事故認定はされているものの国の基準では旅客船の事故で死者が1名でも出れば重大インシデントの認定を受けるが漁船の場合は5名未満の死者ならばその認定はされない。
    海については素人であり軽率なことは言うべきではないとわかってはいるが、それにしても国は漁船事故を軽視していると言っても言い過ぎではないだろう。人の命に軽重はないだろう。

    国は長期間かけて調査した結果、“沈没の原因は大波”との結論を出した。
    船を所有する水産会社の社長は、生存する社員の証言と食い違うとし、「納得がいかない」と話す。生存者は国の調査に対し、事故発生時、2度の衝撃と「構造物が破損するような音」があったとし、「船体に傷が入っているんじゃないか」と証言していた。船体からは大量の黒い油も漏れ出ていたという。
    生存者の証言のポイントとも言える“2度の衝撃”と“大量の油”は過去に発生した日昇丸事件(1981年4月9日)やえひめ丸事故(2001年2月9日)の生存者の証言と見事に一致する。

    では日昇丸事件やえひめ丸事故の発生原因は何だったのか。大波ではない。

    そう。潜水艦だ。

    日昇丸もえひめ丸も潜水艦と衝突して沈没したのだ。

    しかし犬吠埼沖合漁船沈没事故について、国の調査機関である運輸安全委員会は長い時間をかけて調査した結果、原因は波と結論づけた。但し、波とした場合にはさまざまな疑問が残る。2度の衝撃や大量の油はなぜ発生したのか。当時は悪天候でもなく現場周辺の他の漁船は大波にも遭っていないという。

    本書では、犬吠埼沖合漁船沈没事故の原因として潜水艦との衝突の可能性に言及しつつ国の調査のあり方に疑問を呈する形では終えている。

    感想を述べたいと思う。
    労を惜しまない取材を重ねて、小さな事実を積み上げて真実に迫る、ノンフィクションの王道をいく作品と言ってよい。新しい事実に迫っていく過程はとてもスリリングで途中からページをめくる手が止まらなくなる。一点だけ難点を言えば、同じことの繰り返しがとても多いこと。著者の思いが強いだけに繰り返しが多くなるのだろう。その点を差し引いても星5つ評価は揺るがない。

  • 【まとめ】
    1 沈没事故発生
    2008年6月23日、犬吠埼沖北緯35度25分、東経144度38分の場所で、第58寿和丸が転覆した。沈み始めたのは激しい衝撃からたったの1~2分後。傾きが一気に増してからは、ほんの数秒しかなかった。船が沈んでいくとき、周囲には寿和丸船団以外の他の船はいなかった。船首が完全に没したのは事故発生からおよそ40分後、午後1時50分頃と推測される。
    ブリッジに備え付けの非常用位置指示無線標識装置(EPIRB)は、水没すると水面に浮上して救難信号を発信する仕組みになっているが、なぜか信号は発せられなかった。

    6月23日の夕刻、海上保安庁の救難機が上空から現場海域を撮影している。その写真を見ると、中央にやや濃い油膜、その左右に薄い油膜が上から下に向かって広がっていた。
    救助に向かった僚船の乗組員たちは、事故後、国の運輸安全委員会の聴収で現場海域の異様さを口々に語っている。
    「濃いところの範囲は(直径)100メートルくらいですか。真っ黒いのが印象でした。その風下に薄い帯状になって1000メートルくらいありました。風上の濃いところから風下の救命いかだの間が薄かったです。その距離が1000メートルくらいでした」

    乗組員20人のうち、生存者は3名、遺体として収容できたのは4人、行方不明者は13人にも及んだ。


    2 事故原因は波なのか?
    事故当時の天気は、風は10メートル、波の高さは2メートル程度であり、海上風警報も出ないほどの弱さであった。全長48メートル・重量135トンの船を転覆させるレベルの気象条件ではない。しかも第58寿和丸は安全性が極めて高いパラシュート・アンカーを使用中だった。「パラ泊」は安全な漂泊方法の基本として、船舶関係者に定着している。

    考えられる事故原因は船の損傷だ。
    現場海域には事故のすぐ後から広い範囲で黒い重油が浮かんでいた。そのことは生存者3人も明確に口を揃えている。第58寿和丸の燃料油タンクは船底にあり、波で転覆したとしても、船底の重油が一気に外へ漏れ出るような構造にはなっていない。「エア抜き(空気抜き管)」と呼ばれる、各燃料タンクから甲板へと突き出た管がある。船体が大きく傾けば油はエア抜きから漏れ出るが、突き出た管の開口部が海中に沈めば、水圧が蓋の役割を果たすため油は漏れ出ない。寿和丸の場合、転覆は一瞬だったから、船底が大きく損傷しない限り、大量の重油が流出することはない。

    しかし、国の調査で事故の原因は「波」とされた。
    本当に波で転覆したのだとすれば、同一の状況下で僚船にはなんの影響もなく、なぜ第58寿和丸だけが被害に遭ったのか。衝撃の後、船全体が沈下したのはなぜなのか。


    3 事故調査の矛盾
    生存者の一人である新田は「甲板に水が入っているところを終始見ていない(ので波が原因とは思えない)」と語っている。
    また国の調査は、第58寿和丸から漏れた油の量を一斗缶1つ分程度だと推定しており、その内容に新田は怒りをあらわにしていた。
    「一斗缶1つだなんて、馬鹿としか思わない。あり得ない。一斗缶1つくらいしか油が流れ出ていなかったとしたら、誰も油まみれにならない」

    僚船の乗組員、杉山も次のように述懐する。
    「秒速30メートル近い台風とかだったら、パラやってても危険だっていうのはある。ですけど、あの時は15メートルから20メートルも吹いてなかった。10メートル以上はあったと思うけど、吹いてるって感じじゃない。その程度の風だったんです。それに、魚見台から見ても他の船は見えない。衝突による事故だとしたら、ぶつけた船はすぐ近くにいるはずだけど、他の商船とかは見えなかった」

    初期の事故調査にあたった横浜地方海難審判理事所は、当初船底損傷を疑い、海洋研究開発機構に対し、潜水艦調査船を用いた潜水調査を非公式に打診していた、と報道されている。当時の新聞報道によると、理事所は「何らかの理由で第58寿和丸に船体損傷が起きた」「潜水艦と衝突した疑いもある」と考えていた。

    しかしその後、理事所の調査を引き継いだ運輸安全委員会は、事故から3年近くを経た2011年4月に、異なる見解の報告書を公表している。
    報告書によると、第58寿和丸は漁具等の積載方法に問題がありバランスを崩したままで、転覆しやすい状態だったという。さらに、生存者や僚船の乗組員らが目の当たりにした大量の油については、推定約15~23リットル、つまり一斗缶1つ程度の量しか流れ出していないと結論付けている。専門家によれば、この数値は、甲板上に突き出たエア抜きから転覆時に漏れた場合の推定油量と一致する。油の量がその程度だったから、船体は損傷していないとの論理立てだ。

    事故原因に関する見解は、理事所とその調査を引き継いだ運輸安全委員会との間で真っ向から食い違っているのだ。

    事故当時理事長だった喜多は、筆者の取材にこう答えている。
    「寿和丸の原因は波じゃないでしょう。早過ぎますよ、(転覆してから)沈むまでの時間が。そうすると、どうしても穴があいたっていう感じになる。波が入ってきても排水されている。海水は第58寿和丸にたまっていなかったと思うんですよね」

    では、運輸安全委員会はどういう検証を経て「原因は波」と結論づけたのか。
    事故調査報告書における事故の原因をまとめると、以下のとおりとなる。

    ① 船の漁網が海水などを含み重量が増加。また、大量のロープ類等を操舵室の天蓋に積載などした結果、船体の安定性が悪くなっていた
    ② チェーン、網、浮き子の積み付けが原因となって初めから船体が右舷側に傾斜していた
    ③ ②の初期横傾斜のため、船体の動揺により魚網が右舷側に横移動し、バランスを崩した
    ④ 放水口が機能していなかった

    ところが、これら4つのポイントは、当事者たちの証言とことごとく食い違う。

    酢屋商店社長の野崎は、最初に報告書を見たとき「あり得ない状況を組み合わせることで、どうやったら波で転覆させられるかを一生懸命考えたような内容だ」と思った。その最たるものが、重量2トンもの漁具をブリッジの上に積み上げていたとする推定だ。重たいロープ類を高い場所に上げていたため、当初から船体のバランスは崩れ、波で転覆しやすい状態になっていたとしている。しかし、ブリッジの上部にわざわざ2トンもの漁具を持ち上げるというのは、あまりに非現実的だ。漁師たちは「そもそも重くて上がらないよ」と一笑に付している。
    また、「放水口が機能していなかった」という指摘について、報告書では、第58寿和丸とは関係のない類似船型の網船を調査し、「放水口に銅板を溶接して塞いだ閉鎖工事跡が複数認められた」と記した。類似船の状況がそのまま第58寿和丸に当てはまるかのような、ミスリードを引き起こしかねない記載だ。実際、筆者が会った専門家の何人かは誤読し、第58寿和丸自体が放水口を溶接して塞いでいたと思い込んでいた。

    野崎は筆者に向かって断言した。
    「第58寿和丸の放水口を工事して塞いだなどあるわけがない。年に1度の点検時に造船所が勝手に塞ぐこともあり得ない」
    放水口に関する報告書の指摘については、生存者の豊田も強く怒った。
    「あり得ないよ。改造して口を閉じたら、いざという時に船の機能に支障が出るでしょう?絶対に塞いでない。放水口の周辺はスノコになっていて、ロープなどが放水口を塞がない構造になっているんです。放水口の水はけに問題があると感じたことなどないです」

    最大の疑問点は「流れ出た大量の油」だ。第58寿和丸の燃料タンクは船底にあり、構造上、船底が損傷しない限り、大量の油が漏れ出ることはない。そして多くの関係者は周囲の海が油まみれだったため、何らかの理由で船底が損傷したのではないかと考えていた。
    しかし、報告書が示した燃料の流出量は約15~23リットル。あまりに少ない。報告書はこの「約15~23リットル」という推定値を根拠として、「船底外板に亀裂等の損傷を生じた可能性は低いものと考えられる」と結論付けた。外部からの力で船体が損傷したのであれば、もっと大量の油が漏れたはずだが、漏れた油は「約15~23リットル」しかない以上、船体損傷は考えられない(損傷が沈没の原因ではない)という論理立てである。
    船底損傷を疑う生存者や僚船乗組員らの証言は明らかに無視されていた。
    油の量については、油濁の専門家である大貫と佐々木の両名も「約15~23リットルという少量のはずがない」と断言している。

    運輸安全委員会の関係者に取材を進めていると、国の事故調査の進め方がわかってきた。
    まず、事務方である事故調査官たちが当事者への聴取を行う。委員と相談しながら調査を進め、報告書の方針を考えていく。事故調査報告書が素案として形になると、運輸安全委員会・海事部会の議論のテーブルに上がる。委員たちは、報告書の内容に矛盾はないか、文章の書きぶりはそれで良いかどうかといったことを議論する。海事部会では、事務方の調査官らは委員の質問・疑問に答えていく立場だ。逆に言うと、委員が一から報告書案を作成することはないし、事務方が作った素案が海事部会の審議過程で大きく変わることもまずない。そして最終段階に入ると、専門委員にも部分的に見解を求める。言葉を換えれば、委員や専門委員は事務方による筋書きを追認しお墨付きを与える立場と言える。

    おそらく、事故原因を特定できなかった運輸安全委員会は「波が原因」という海保の見立てに追随して結果ありきの路線を進み、海事部会で議論を進めたのだろう。船体損傷が原因だとしたら、当然「損傷は何故生じたか」「何とぶつかったのか」を追加説明しなければならない。事を荒立てぬような方向で調査をまとめるには、報告書の辻褄を変えてしまうのが一番楽だ。
    第58寿和丸の取材に着手した当初、筆者は、運輸安全委員会は何らかの真実を隠すために潜水調査を拒み、強引な報告書を作成したのではないかとの疑念を持っていた。それはある意味、買いかぶり過ぎだったのかもしれない。実際にはリソースが限られるなかで、「教訓を残す」という役割を外形的に整える仕事をこなしただけのように思えた。


    4 潜水艦激突説
    報告書の内容が間違っているとして、ではいったい何が第58寿和丸を沈めたのか?クジラではない、波でもない、氷山でもない。周囲に僚船以外の船は見えず、レーダーに怪しいものは映っていない。それでも船底に大きな傷を与えることのできる、速度と質量を持った物……。
    合理的な選択肢は、潜水艦である。

    2001年、民間船「えひめ丸」と米国海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」の接触事故が起こった。えひめ丸が沈没に至る状況は、立て続けの2度の衝撃、短い時間での沈没、周囲の海に浮く大量の油など、第58寿和丸の状況とそっくりであった。
    また、1981年に発生した「日昇丸」と米原子力潜水艦「ジョージ・ワシントン」号の衝突事故では、ジョージ・ワシントン号が一切の救助活動をしないままグアムの米海軍基地に帰投している。事故後、艦長は「当艦が核ミサイル積載艦であることが明らかになるのを避けるため」潜航を命じたと語っている。

    米国ミネソタ在住のジャーナリストである薄井は、事故の真相究明より軍事機密の死守や自己保身に徹する米海軍の様子を目の当たりにしてきた人物だ。彼女は「水面下の潜水艦は洋上の船から見えず、事故そのものを隠す可能性は時にあり得る」と語った。

    筆者が民間船と潜水艦の衝突事故の件数を調査したところ、1970年以降、把握できるものだけで、世界で30件近く起こっていたことが判明した。2年に1件以上のペースで潜水艦との衝突事故が起こっているのだ。


    5 元潜水艦隊司令官の証言
    筆者は、事故当時に海上自衛隊の潜水艦隊司令官であった小林正男に取材を行った。

    以下は小林の証言だ。
    ・寿和丸がエンジンを止めて漂泊していたとすると、潜水艦のパッシブソナーでは探知できなかった可能性がある
    ・自身がかつて乗っていた「あさしお」で、潜航と浮上の訓練中にケミカルタンカーに接触する事故が起こっている
    ・潜水艦がぶつかったというエビデンスを出そうとしたら、船体を調べるしかない
    ・潜水艦が何かにぶつかった場合、確認のために浮上する。何かの理由で浮上しないほうがよいと判断した場合でも、安全な海域まで潜航し、そこで浮上する。いずれにしろ、潜水艦の損傷具合(船内への浸水と外部の損傷)を確かめなければならない

    筆者は核心に迫る質問をぶつけた。第58寿和丸の事故は潜水艦との衝突として説明できるのか。
    小林「(寿和丸の衝突が潜水艦によるものだと仮定するならば)まず最初に、ぶつかりそうだから入れ(潜れ)という命令を出して、例えば潜水艦のセイルがぶつかって。それで(避けようとして急速潜航したことで潜水艦の)後ろが上がったものだから、しばらくして後ろが(寿和丸に)2度目にぶつかったというぐらいしか(想像つかない)」
    潜水艦の中央上部に突き出ているのがセイルだ。潜望鏡や吸気口などがその中に格納されており、必要に応じて海上に向けて出し入れする。そのセイルが最初にぶつかり、直後に船尾が衝突した可能性がある、ということだ。

    ではそれはどこの国の潜水艦なのか?小林は「日本のものではあり得ない」と語気を強める。

    「事故艦の艦長が隠蔽できるような余地はありません。また、その上司である隊司令などが隠蔽を図るかというと、それもあり得ない。隠蔽は辞職も覚悟する必要のある大きな規則違反です」「僕がはっきり言えるのは、第58寿和丸の事故原因が日本の潜水艦であれば、私が知らないはずがないということです。それに、隠蔽していて後に判明した場合の代償が大き過ぎる。日本の場合、隠すことは不可能です」

    では、アメリカの可能性は?小林は米軍の潜水艦が日本近海でどう行動しているかを把握していたのか?
    小林「把握していません。というより、全く把握してないです。米海軍と海自は別なんです、お互いに」
    ――アメリカの潜水艦が民間の船舶と衝突しても、日本が知らない可能性は十分にあり得ると?
    小林「日本は知らないでしょうね。知るわけがない」

    筆者は驚き、言葉に詰まった。
    米潜水艦の行動を日本側は全く把握してない?
    米艦が日本近海で民間船と衝突しても日本側は必ずしも知らされない?

    米軍と自衛隊は密接な関係を持ち、普段から合同での訓練も重ねている。当然、情報連絡体制も密に築かれているものだと思っていた。しかし、自衛隊は知らない、知らされないだろうと小林は語った。

    外務省局長を経験した元外交官は、米軍と自衛隊との関係について次のように述べる。
    「第58寿和丸が潜水艦と衝突したのだとすれば、その国は普通に考えればアメリカでしょう。当時の国際情勢から言っても、あの海域で活動していた潜水艦は日本とアメリカです。それにアメリカなら隠し通すということは十分あり得る。日本近海でアメリカの艦船が事故を起こし、多数の民間人が犠牲になったという事実が公になったら、在日米軍基地(の整理・縮小)問題に発展しかねない。アメリカなら隠そうとしますよ。潜水艦は軍事機密だから公文書も表に出ません。機密は絶対。軍人は退役しても喋らない。戦争をする国とそうでない国では、機密のレベルが全然違うんです」

    現在、筆者は真相解明のため、米国への開示請求および運輸安全委員会への裁判に臨んでいる。

  • 2008年6月、千葉県犬吠埼沖350㎞に碇泊していた福島県いわき市の漁業会社所属の底引き網漁船『第58寿和丸』が、突然"転覆沈没"。この謎の事故原因を追ったルポルタージュ。国の調査機関は自然災害として処理したが、生存者や救助者の証言から"事故"の可能性を考えた著者の、真実を探る過程がとてもスリリング。いま現在(2023年12月)未解決ではあるが、真実が解き明かされると良いと思った。

  • 我が故郷の漁船が千葉沖で沈没。
    もっと知ってもらいたい。
    どこかの国の潜水艦がぶつかった?
    ・・・結論は「波」、17人もが犠牲になった大事故が・・・
    果たして真実は?

  •  2008年、千葉沖で漁船が転覆、そして直ぐに沈没した。近くにいた仲間の船も異変に気づき、急いで救助に向かった。しかし結果は、救助された方は3名。収容された遺体は4名分のみ。あとの13名は行方不明で、現在も海の底に第58寿和丸と共に留まっているとされている。

     どうしてこの惨事が起こったのか?救助された3人の証言で、2度の、種類の異なる、何かがぶつかり、破壊されるような大きな音がしたということと、多量の油が漏れ出て黒い海と化していたという2点の重要な事実がわかる。風も波も比較的安定していて、転覆原因とは考えにくかった。しかし、事故から3年経ってやっと公表された報告書には、原因は「波」であると記されていた。

    フリージャーナリストと伊澤理江さんは、たまたま知ったこの事件が気になり、次第にのめり込んで情報収集に奔走する。その取材は、事故関係者を思う執念の長期にわたる調査で、僅かながらに知り得た情報や専門家の意見により、報告書とは別の原因を探り当てる。

    この本において、一番心に残ったのは、沈没した漁船の福島にある会社、酢屋商店の社長、野崎哲さんの人柄や生きる姿勢だった。事故にあった自分の会社の大切な漁師やその家族を心から思う姿勢に心打たれた。この転覆事故から3年、次は東日本大震災が襲う。漁業を営む野崎社長にとって、度重なる試練だ。会社を立て直そうとなんとか踏ん張っていた中の更なる被害に、徒労感、絶望感は想像を絶するものだったと思う。もう心が折れてしまって当然だ。それでも、福島の漁業会長でもある野崎社長は、福島の漁師たちのために立ち向かった。

    野崎社長が心を動かされた、石牟礼道子さんの詩を紹介する「花を奉る」の章は特に心に残った。

    心に残った文
    決定的な真実がなければ、第58寿和丸にまつわる事柄は、書くに値しないのかといえば、そうではないはずだ。たとえ公的な記録から外れていたとしても、関係者の声に耳を傾け、事実を丹念に拾っていけば、記録に残す価値があるものは、はっきりとした輪郭を伴って浮かび上がってくる。

    大きな絶対的な力に何もできないとただ屈するのではなく、信念をもって立ち向かうジャーナリストと、度重なる不条理にも腐れず、「どろどろの中でも立つ」野崎社長の姿に、大いに励まされた。

    そして、事故の原因を、証言に真摯に向き合い明らかにしようとするこの本が、多くの人の目に届くことが、事故に遭われた漁師さん達にとって、大いに力になると感じた。

    ちょっと繰り返しの情報も多く、途中読むのが辛かったが、それも執念の取材の証ということだろう。

  • 「黒い海」書評 「事件」疑う情報 謎の真相追う|好書好日(2023.03.04)
    https://book.asahi.com/article/14852948

    犠牲者17名「沈みようがない状況で沈んだ漁船」の謎を追った『黒い海』著者で2児の母・伊澤理江さん。真相解明にのめり込む母を前に、不安がる子どもたちへかけた言葉とは 真実を埋もれさせちゃいけない【前編】|話題|婦人公論.jp
    https://fujinkoron.jp/articles/-/9752

    「危ねぇから起きろ!」とっさの叫びもむなしく、中型漁船は次の瞬間「あり得ない事態」に(伊澤 理江) | 現代新書 | 講談社(2022.12.17)
    https://gendai.media/articles/-/103235

    伊澤理江さん「黒い海」に大宅壮一賞 漁船沈没「埋もれた声」拾い集めて国調査の矛盾に迫る|好書好日(2023.07.18)
    https://book.asahi.com/article/14955530

    『黒い海 船は突然、深海へ消えた』(伊澤 理江)|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000372379

  • 真実を真剣に調査もしてもらえていない。
    軽んじられた人命。読んでいてとても恐ろしくなりました。このように揉み消された事件は他にもたくさんあるのかもしれません。

  • 伊澤氏の真摯に事故に向かい合う姿勢に感服します。
    事故に対して客観的であろうと、様々な視点から検証と証言を集める手間と労力に、読者は著者の言わんとする事に強く共感してゆく。
    生存者の証言を無視した結果ありきの国による結論への懐疑、それに対する調査報道の難しさ。国の判断した事故原因に抗う困難や軋轢を思うと、この本を上梓された伊澤氏と出版社に賞賛を送りたい。

  • 2008年6月23日午後1時過ぎ、小名浜の漁船第58寿和丸は、2度の度重なる衝撃のあと、わずか1〜2分程度で転覆し1時間足らずで沈没した。大量の油が漂う中、3名は何とか助かったが、4名が死亡、行方不明者は13名の大惨事となった。

    その後事故調査委員会によって原因調査が出されるが、救助された乗組員や救助に向かった他の船員の証言とは、大きく乖離した結論であった。
    しかも出された時期は、本来なら1年の間だが、3年ほど経過した東北大震災のあとで、注目を敢えて外すかのようなタイミングだった。

    本書は、その調査結果に疑問を持ったジャーナリストの伊澤さんが、証言者を含めた関係者だけでなく、海難事故に詳しい人、また元自衛隊の潜水艦艦隊司令官、元外交官などから、各々の立場での意見を集め、真の原因にアプローチしたドキュメンタリーだ。

    事故調査委員会の報告からは、直接の原因は大波によるもので、海に流れ出た油は少量の約15〜23L、漁具などの積み方が不適切で船体が最初から右に傾き、放水口が機能していなかったという他の要因も挙げられた。
    乗組員側の主張は、波はむしろ穏やかで、大量の油が流出したのは、何かと衝突したためと考えられると言うものだった。

    当初の調査担当の海難審判庁は、実際に海を熟知する船員経験者らが構成員だったが、組織統合によって船舶の運航に携わった経験のない運輸官僚たちで構成する国交省海事局が担当することになったと言う。
    当初から、大きな衝撃があった直後に転覆していると言う事実から、潜水艦との衝突が可能性として出されたが、当該部署が担当になってからは、それも闇に葬られるが如く取り上げられず、出来レースのように波が原因とされる。
    沈んだ船(5800mの海底に沈んだとされる)を調査して欲しいとの嘆願書が提出されたが、予算や技術的な難しさがあると、否認されている。
    ちなみに事故の解析を国土交通省所管の「海上技術安全研究所」に120万円で委託しているが、17名の人が行方不明あるいは死亡ということは、一人頭にすると7万円程度。たったそれだけの調査で事故原因を片付けられているのだ。(政府は全く調査をしようとしていない)
    また、「しょこたん」の愛称で知られるタレントの中川翔子が、TV番組で調査船「しんかい6500」に乗船。岩手県沖で5351mの深海まで潜水している。

    伊澤さんだけでなく多くの関係者が、潜水艦の可能性(状況的に米国、しかも過去何度も隠避していることが分かっている)が高いと考えているが、外交問題になりかねない話題に対しては、運輸安全委員会という官僚組織がリスクを取るとは考えられない。そして秘密保持を盾に出しても黒塗りの議事録プリントのみ。

    未だに政府・官僚の隠蔽体質は変わっていない。政治家も官僚も、かつては志を高く持った人だったに違いないのだが、その世界に入ると、人の命の大きさも考えない輩となってしまうのね。
    ニッポン、本来にこの先大丈夫なのかね。

    その後の震災に伴う、汚染水の問題も取り上げられているが、地域に土着することでしか生きていけない小名浜の漁師たち、彼らと同じ立場の福島の漁師たち、東北の漁師たち。
    他方で、第58寿和丸の事故調査や原発事故に携わった官僚ら「国」側の人々は数年ごとに次々と異動して(昇格しながら)職責を替えていった。
    「国」とはいったい誰のことなのか?

    深く深く考えさせられた。

  • 2008年6月、千葉県銚子市沖の太平洋上でカツオ漁を行っていた中型漁船の第58寿和丸は、碇泊中に突如として沈没し、17名もの犠牲者を出した。これは事実である。
    生存者の証言によると、碇泊にもっとも適したパラアンカーを使っており、天候による影響も考えられない。周辺には船団を組む僚船が複数いたにもかかわらず、第58寿和丸のみが転覆し短時間で沈没。
    また救出された当時は海面に大量の重油に覆われていたという。
    関係者としても何故沈没することになったのか不明のまま月日が経ち、事故から3年も経過してからようやく事故調査報告書が公表される。
    船から漏れ出たとされる油はごく少量とされ、積荷による船の傾斜と、偶然に発生した大波によって転覆し沈没したものだった。
    あまりに不可解な内容だった。
    著者は、とあるきっかけから、この事件について知り、地道に当事者へのインタビューと調査を進めていく。
    そここら導かれた事件の全体像が見えてくる。

    不可解な出来事と思えるような事故や事件がままある。その際、直後の速報報道は大量に流れるが、続報が聞こえることはまずない。ひっそりとコレコレこうでした的な原因が報告される。納得出来ない場合、状況証拠から推論はいくらでもできる。推論だけだと、それは所謂陰謀論的なものになってしまう。

    しかし本作では、調査で明らかになった点と点を一つづつ繋いだまさにノンフィクションである。

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著者プロフィール

伊澤理江(いざわりえ)
1979年生まれ。英国ウェストミンスター大学大学院ジャーナリズム学科修士課程修了。英国の新聞社、PR会社などを経て、フリージャーナリストに。調査報道グループ「フロントラインプレス」所属。これまでに「20年前の『想定外』 東海村JCO臨界事故の教訓は生かされたのか」「連載・子育て困難社会 母親たちの現実」をYahoo!ニュース特集で発表するなど、主にウエブメディアでルポやノンフィクションを執筆してきた。TOKYO FMの調査報道番組「TOKYO SLOW NEWS」の企画も担当。東京都市大学メディア情報学部「メディアの最前線」、東洋大学経営学部「ソーシャルビジネス実習講義」等で教壇にも立つ。本編が初の単著となる。


「2022年 『黒い海 船は突然、深海へ消えた』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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