- Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087476699
感想・レビュー・書評
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聞き書きが実に上手くて、簡潔にヤンチャで粋で魅力的な人物像がそっくり写し取られている。桜は山桜、彼岸桜、大島桜の三種が自生で、染井吉野はクローンとはしらなんだ。
いいことがいっぱい書いてある。
P40 色気を通り越すと、色香に変わる。これが日本語表現のええとこです。(中略)乳母桜は、自分で枝や幹を少しずつ枯らしながら、多きなっていくんです。自分で調整しとるんですわ。身体がもたへんですからね。でもどこかを枯らすけど、どこかに花をつける。それが知恵ですわ。
そやから、みるほうもたたえてやらんといかん。(中略)ただし、女性に色香を出させるには、男もやらんといかんことがある。それは「支え」や。(中略)はっきり言っとくけど、やっぱり女性は美しいほうがよろし。美しくあってほしい。男は少々ややこしい風采をしとっても、女のためにがんばればよろし。
P53 人知れず咲く自生の山桜を見つけたとき、これこそ、一人でする花見の醍醐味ですわ。
P104 自然が相手でも人間が相手でも、理解しあうということは大事なことですわ。勇む・野口との仕事の場合でも、どこで折り合って、どう勧めたらいいかということが、やはり大事でしたな。だから、同じ辛抱でも、ただの辛抱と違いますわ。(中略)相手を理解しようという気持ちが少しでもあれば、辛抱が辛抱でなくなるし、相手もまたわかってくれるんです。そうすると、あるときは、イサムのグチのほうがわしの下になる事だって出てくるわけや。(中略)向こうが「こうせい」といったときは、今度はわしのほうが下や。それでどうしようもないときは、また二人で考える。
しかし不思議なもんやね。そんなわがままな人でも、なんか心が通じてくるんやから。あっ、この人はこんなことを考えているのと違うか、って思うとその通りやったりすることがあったりすると、いつの間にか、わしは芸術の世界に足を踏み入れているわけです。
P152 人にはそれぞれに好きな理由があるし、わしだって、そのとき、その時に惚れた、はれたはありますわ。「桜は好きや」それだけでいいのと違いますか。
P160 あちこち見んで、自分が一本だけの桜をずっと見ていたら、それがよくわかるということですわ。子供だって、そうでしょう。毎日のように顔を合わせているから、心や身体の変化がわかるんやけど、他人の子供のことはようわからんでしょう。(中略)そういう花見の仕方を十年していると、いつの間にか、人間が桜に合わせるようになるんです。自分が相手に合わせなければ、しゃあないということがわかってくるはずですわ。
P170 人間がひとつ便利になれば、自然がひとつ壊れていくって言うことを、だれぞがもっと言わんとあかん。え、わし?もうええわ。さんざん言っても、誰もわしの言うこときかへんもの。
P175 桜だけ植えても、上手く育たんのや。やっぱり、他のものから刺激を受けんとあかんのです。巨木といわれる桜は、競争に打ち勝ち、負けたやつを肥料に変えて大きく成長していったんです。ところが、今は最初から一本だけにして、競合させないようにしてしまう。人間から見れば、それはなんだかいいように思えるけど、木にとってあれほど苦しい立場はないです。誰も助けてくれへんから、全て一人でせおわなあかんことになる。
P199 中庸語があるというのは、それだけ文化が深いということだと思うんや。
P206 風向きは地方ごとに違うから、当然、地方によって家の向きは違ってくる。(中略)ところが、今の家は、さっき言った、自然と闘う、または自然に耐えるという「箱」やから、あっち向いたりこっち向いたりしているわけや。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
京都に有名な桜守がおり、桜の季節には自宅の敷地を一般開放して、桜見物をさせてくれると聞いてから、一度観に行きたいと思っています。
その桜守の本を、この桜の季節に読んでみました。
インタビュー集になっています。
三代目佐野藤右衛門という、伝統を受け継いでいる、重々しい名前の人ですが、軽快なテンポで小気味いい話し口調。
天保時代から続く歴史ある造園業を、今は息子に家督を譲ったため、桜守三代目として全国を飛び回っています。
祇園が大好きで、暇さえあれば芸者の元に通っているような軽口を叩きながら、しかし桜のこととなると、とても真摯でまっすぐな心意気を見せる桜守。
桜を通じて、自然への感謝の念を忘れた今の人間の心に警鐘を鳴らしています。
私たちは、美しく花開いた桜をいつくしみ、観賞しますが、そうしているのはたった5日間だけ。
桜守は、花の咲かない残りの360日も含め、1年中桜を見守っているというセリフが響きました。
京都といえば、有名なのが円山公園の桜。
これは、以前の桜が寿命で枯れてから、彼の父親が新しく植えたものの、なかなか花が咲かずに世間の批判を浴びたそうです。
ジェーン台風が京都を直撃した昭和25年、父親は二世桜が心配で、大嵐の中を木にしがみついて守ったと語っていました。
そのすさまじさを想像して、鬼気迫るものを感じました。
桜守も言っていますが、まともな感覚では勤めあげられない、覚悟のいる職業です。
父親とともに成長した家の桜が、父親の死とほぼ同時に枯れたため、それで観音像を作ったというエピソードは、大きな古時計のようでした。
愛情のこもった心は、植物にも通じるものなのでしょう。
岐阜の御母衣(みぼろ)ダムに沈む村から、昭和35年に樹齢500年の荘川桜を2本移植した話も載っていました。
あまりにさらりと話していたので、うっかり読み飛ばしてしまいそうになりましたが、その後調べたところ、相当な大事業だったそうな。
移植した桜の木は40tもの重さで、ダム建設に匹敵する費用が掛かったそうです。
それでも、村が湖底に沈んだ住民にとっての心の支えとして、やはり桜は象徴的に必要だったとのこと。
桜守は、年に一度は必ず状態を確認しに行っているそうです。
日本中の様々な桜について語っています。
染井吉野はクローンなので、実がならないというのはショッキングでした。
そこで、個性がある武骨な山桜を彼は愛するそうです。
北海道は、あまり桜というイメージがありませんが、根室の清凉寺の千島桜、伊達市の石割桜、そして利尻島の択捉桜などの話が載っていました。
広島の被爆桜は、ぜひ一度見てみたいものです。
関連話として、スイカを食べるのが早い人を「山桜」ということも知りました。
花(鼻)より葉(歯)が先に出るからだそうです。粋ですね。
桜餅に使う葉は大島桜だそうです。
「右近の橘、左近の桜」と言われますが、もともと皇居には、中国から渡ってきた梅が植わっていたのが、国風文化が起こって、梅から桜に変わったそうです。
あれも元は中国伝来のものだったわけですね。
それが桜という日本オリジナルのものに変わったというのは、日本人の好みに沿ったためでしょう。
遠山の金さんの桜吹雪は染井吉野だ、という、専門家らしい指摘にはさすがと思いました。
染井吉野は、明治の初めに染井村の植木屋がはやらせたものなので、江戸時代には存在しない、つまりウソだそうです。
なんということでしょう。時代考証をしっかりして、山桜の刺青にしないといけませんね。
美しい花を見ると、人は優しい気持ちになりますが、高山に咲く花を、けなげだ、可哀そうだといって、そこから持ち去り、地表で根ごと植え替えるようなことはしないでほしいと訴えています。
植物は、自生しているところの環境が一番で、そこにしか育たないから、人の感覚で勝手に環境を変えてはいけないとのことです。
もっともです。
江戸時代は、つましいながらも歳時記に則った風流な生活が送れたものと思っていましたが、当時は花見に女性は参加できなかったそうです。
八っつぁんや熊さんたち、長屋の男衆だけで、女性は弁当を作った程度。それは残念なことです。
江戸ものを読むと、ときどき女性たちの華やかな花見のシーンが登場しますが、あれは無かったということですか。
どこを読んでも、桜守の愛情と心意気がいっぱいに詰まっており、多少乱暴な言葉の裏に優しさが見え隠れする、武骨ながらも粋な一冊に仕上がっています。
なんといっても、彼が、桜と共に、白粉を塗った祇園の夜桜も愛してやまないのが、人間らしくて親しみが持てます。
「色気」と「色香」は違うものだという彼は、人生の色を愛する、いなせな男性だと思いました。 -
すごく面白くて共感することがたくさんあり、影響を受けた。
女性に色香を出させるためには男性の支えが必要で、男は女を守るもの、そして男と女がくっつくのは単なる相性だということが妙に納得できた。求めていることがどんどんシンプルになっていく。
知識があっても知恵が無いと滅びていくだろう恐ろしさを感じているので、今のうちにいろんなことを考えてやってみて知恵をつけて生きたいと強く思う。
人間も生き物のなかのひとつと考えると、なんて身勝手な行動をしているのだろうと気づかされる。自然の摂理があるから必ずしっぺ返しがくるだろうと私も思っている。既に起こっているだろうとも思う。
自然には流れがあり物語がある。そうなった理由がある。それらに興味を持ち理解する努力から見えてくるものがたくさんありそうだ。 -
毎年、桜が咲く頃に必ず読む本。
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何故だかわからないが、泣きながら読んだ。誰かが何かを想う気持ち、「好き」ということに触れたからだろうか。
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佐野藤右衛門・語り、小田豊二・聞き書き「櫻よ「花見の作法」から「木のこころ」まで」を読む。
京都にて桜守を営む三代目から一年を通じて聞き出した、桜を通じての自然との共生話。
春・夏・秋・冬、それぞれの季節に・・・。
時に厳しく、時に労わるような語り口で語るその言葉は、閉ざされた現代の我等の眼を開いてくれる。
桜をこよなく愛す三代目が託す、自然共生のあり方とは?
華の三日だけでなく、その三日に至る過程の一年こそ、桜は美しいのだ・・・・・・。
桜の花の下、そっと一年、樹のあり方を見つめたくなる一冊。
桜の傍に寄り添ってみませんか?