- Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087717860
感想・レビュー・書評
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口語体で語られる、認知症を患ったカケイさんの人生。
“あの女医は、外国で泣いたおんなだ。と、おしえてやる。”という一文で始まります。
認知症を患っている“あたし”の語りなので、終始危ういバランスでもって、壮絶な人生が語られていきます。とにかく衝撃的な出来事がこれでもかとカケイさんの身には起きていて、目を背けたくなるような、耳を塞ぎたくなるような話も出てきます。
ですが、「かたり」の凄さに終始圧倒されました。のめりこんで彼女の話を聞いたって感じ。
カケイさんの人柄に、かたりに引き込まれ、惹きつけられます。
なんで芥川賞候補にならなかったのだろうか…と思う。あまり読んだことがないような雰囲気を纏ったこの作品を(始まりの方は“おらおらでひとりいぐも”に似ているのですが、間違いなく別物です)沢山の方に読んで頂きたい。
タイトルの『ミシンと金魚』の意味も分かりますし、デイサービスで面倒をみてくれる方たちみんなを“みっちゃん”と呼ぶ意味も分かります。
小説ってすごいなと、改めて感じた一冊。
ラストもたまらないです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
すごく切なくて、ずっしり感動して、本当に心に残る本だった。
認知症のおばあちゃんの一人語り口調の文体は個性的なんだけど、作者さんの力量か、すらすら読める。
ラストの「わるいことがおこっても、なんかしらいいことがかならず、ある。おなし分量、かならず、ある。」には、もう胸がいっぱいになった。辛いこと、切ないことを耐え凌ぐばかりでも、人生ってなんていじらしく、愛おしいんだろうか。
登場人物はみんな、いい人なだけではなく、アクが強いのだけど、だからこそ時折垣間見せる優しさが沁みる。みんな天国では、心の底から安らいでほしい。 -
認知症を患っている老女の一人称で話は、進んでいく。
デイサービスでお世話してくれる人は、みっちゃん。
彼女には、何でも喋る。
そして信頼している。
認知症とは、わからないくらいに喋りは饒舌でしかも面白い。
壮絶な人生を送ってきているのに恬淡とした語り口なので、逆におかしみさえ覚えてしまう。
暗い過去と思わずにいれたのは、そのせいだろうか。
今までには、ないかたちでの老いと女の一生を見た。
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認知症のカケイさんは、介護士からの介護を受けながら生活している。訪問してくれるヘルパーさんやデイサービスの職員など、すべての人たちをみっちゃんと呼んでいる…。「今までの人生を振り返って幸せでしたか?」のみっちゃんからの呼びかけに、自らの生き様を語り始めるカケイさん…。
カケイさんの人生は壮絶なものでした…この作品のタイトルがどうして「金魚とミシン」であるのか、介護士たちをみっちゃんと呼ぶ理由も解き明かされます。心に残ったのは、最後のほう、『わるいことがおこっても、なんかしらいいことがかならずある。おなじ分量、かならず、ある』という作中の言葉でした。やっぱり人生の大先輩の言葉は深みがあっていいなぁ~そう思いました。
筆者は現役のケアマネさんとのこと、関わっているお年寄りの生き様を個々の物語として受け止めているのだと感じました。ふと、ナラティブソーシャルワークの視点を思い出しました。 -
なんだろう。読み終えた今、全身に鳥肌が立っている。そんなに感動する内容だったろうか?答えはNOだ。
でも、50代後半のこの作者のデビュー作は、緩やかに流れながらも、壮絶で、力強く、もの凄い力量を感じさせる。
カケイは認知症を患い、介護を受けて生活している。そんなカケイにヘルパーのみっちゃんは『今までの人生をふり返って、しあわせでしたか?』と問いかける。
そこからはカケイのこれまでの人生の語りと現在との生活が混ざり合って物語は進んでいく。
カケイはヘルパーさん全員を『みっちゃん』と呼ぶ。その理由はカケイの過去から明らかになる。カケイの過去はあまりに壮絶で、カケイが認知症で良かったと思わずにいられない。
兄貴と広瀬のばーさんがスゴく良かった。 -
読んでよかった。泣きました。
2、3ページを図書館で読んで、借りるかどうかすごく悩みました。認知症のおばあさんの一人称の話し言葉で書かれています。「かぎかっこ」がなく、だらだらと文章が続いていて言葉が汚い。わざわざこの本を読まなくても他にも読みたい本がいっぱいあるし。
でも、次回の市立図書館の読書会の課題図書に指定されていて、かつ、キノベス9位。この本を読んで語りたい司書がいる。しかもキノベスの微妙な順位…この本を推したい店員がいる…。司書さんと店員さんを勝手に信じて借りました。
三分の一読んだところで、これ、ヤバいやつやん(泣ける本)と、気付きました。
このおばあさん、安田カケイはヘルパーのことを全員「みっちゃん」と呼びます。
自分の息子が2年前に死んだことも覚えていません。
話が進むにつれてカケイの少しずつ過去がわかっていきます。
お涙頂戴物はあまり好きではないのですが、カケイさんの語り口調のせいか、抵抗感が少なかった。読みにくいのかなと思っていたのに情景描写がよく頭に入り、最後、だいちゃんとチャンスに泣かされました。
デイケアに行くこと。施設に入ること。私の義父も今施設に入っていて、私自身もいつか認知機能が落ちて家族のお世話にならなくてはいけない。ちょっと怖くてちょっと寂しい。
カケイさんのようにみっちゃんたちに優しくなれるようなおばあちゃんになりたいなぁ。 -
圧倒的なものを見せられた感慨で、読後も、しばらくその世界から抜け出せませんでした。
一気読みでした。これは、とんでもなくすごい一冊です。
認知症を患い、デイケアに通ったり、介護を受けているカケイさん(おばあちゃん)。ある日ヘルパーのみっちゃんから「今までの人生、幸せでしたか?」と問われ、自分の人生を語りだすカケイさん。その人生は、とてつもなく波瀾万丈だった。
読み初めは、口の悪いお婆さんだなとびっくりしていたけれど、カケイさんの人生や人柄が明らかになってくるにつれ、その言葉遣いに、愛嬌や、偉大さまでもを感じるようになった。一人の女性としての尊厳のようなものを。
私が一番知っているお年寄りは、祖母だ。正直、少し苦手だった。かといって、祖母の何を知っているのかと思い返せば、驚くほど何もしらない。祖母が目の前にいる時、どんな行動をとって、どんな事を話していたか…それくらいしか知らないことに唖然とした。
病院の待合室で、ずっと、息つく暇もなく話し続けるカケイさんの様子から、亡き祖母もそうだった事を鮮明に思い出した。認知症気味で、昔のこと、現在のこと、気に病んでいること、楽しかったこと、全てが頭に混在して、とめどなく話し続けていたのだと、この本を読んで初めて、何となく理解した。
それは、苦労の証、愛した証、傷ついた証、失った証、悦んだ証、愛された証…色々だったのだ。
それなのに、あの頃の私は、ただただうるさい、年寄りの戯言だと、耳を塞いで、なるべく聞かないようにしていた。
「なんでもいいから食べて、精を出しなさい」子供の頃、食が細く、体も弱かった私に、祖母はしょっちゅうこう声をかけてくれた。今でも、その思いやりを含んだ声が聞こえてくる気がする時がある。その時はいつも思う。「おばあちゃん、もう、私、出産後太って、あまり食べない方がいいくらいに大きくなったんだよ」と。
おばあちゃん、ごめんなさい、ありがとうと、祖母が亡くなってから、一番強く思った。
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認知症を患う"あたし"ことカケイさんのひとり語りで進む凄絶な「女の一生」。
最初こそちょっと読みにくいかもと思ったけど、カケイさんのユニークで可愛い語り口調と、それとは裏腹な凄絶な人生に食い入るように読んだ。
今の事はすぐ忘れてしまうのに、昔の事は最近の出来事のように鮮明に覚えてるものなのが認知症。
認知症の方の脳内の時間の入り乱れってこんな感じなのかと少し知れた気がする。
カケイさんの中に鮮明に残っている記憶が、あまりにも辛くて壮絶すぎた。
あたしはいったい、いつまで生きれば、いいんだろう。
この言葉に胸がつかえて、たまらなくなってしまう。
側から見てるとわるいことと、いいことが同じ分量だったとはとても思えない。
だけれども、私にはしあわせな時が、確かにあった、とカケイさんは言う。
最後に手あとが見つけられてよかった。
兄貴や広瀬のばーさんの気持ちを知れてよかった。
みっちゃんに会えたかな。
人は生きてればいつかは老いるし、そしていつかは死ぬ。なんか凄く寂しい気持ちでズンとなったけど、不思議と読んだ後は穏やかな気持ちにもなれる作品でした。
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外からはわからない、周りからは読み取れない。
認知症になった方の頭の中。
だんだん、自分の意識だけが外に出せず、内に内にと、こもって行って孤立してしまう。
そんな認知症の感覚を聞いたことがあるが、本当なのかな。
いい作品なのだが、カケイさんの思考や回想が聡明すぎる気がして。
気になったのは、そこだけかな。
ただ、心身の不自由さが十二分に伝わってくる。
認知症になって、聡明な部分が一部残っていることが、本人にとって却ってツライことなのか、気が紛れてラクになることなのか。
そんな事を考えさせられた上質の作品であった。