波長ならば、個人的には「タッチ」よりも嗜好に合う。
幼げに見えて凄腕、判断力確かで逞しく優しく、飄逸さと情熱を適度に併せ持つ主人公の活躍が魅力的。
ストーリー展開は、初期の弱小愛好会昇格&個性派メンバー結集の辺りが一番のツボだった。
なので尚更、後半の深刻な恋愛関係には、苦しい読後感が後を引いてしまう。
あだち作品を含め、少年漫画の大半では、幼馴染みの男女関係は密度濃く扱われることが多い。
そうした対象に男性が抱く憧憬は、『幼少期の格好悪さも知りつつ見守ってくれる女性』を望む心理なのだろうか。
余所で「タッチ」との構成比較で解釈する向きを見掛けたが、この作品は、素材は似ても本質的に指向を異にするものと判別する。
幼馴染みの男女関係を突き詰めれば、逆説的に幼馴染みの概念を解放しなければならなくなる。
達也と南は個人として距離を縮めていったのに対し、比呂とひかりは位置だけはそのままに少しずつ距離が離れていた。
最後の明和との試合前、“用がなければ会わなくなった”台詞は端的にその事実を示す。
クライマックスとして盛り上がろうと、また英雄との勝負の結果がどうであれ、二人は既に結ばれる位置にはいなかったのだと漸く気付いた。
原作の結末を、ひかりを巡る比呂と英雄の三角関係の決着と見なす一部の評は、陥り易い近視眼的見地と言える。
そうした把握の仕方では、見落としや理解の及ばない範囲が生じてしまう。
真実、ひかりを賭けた勝負であったのなら、勝った筈の比呂と彼女の今後を匂わせる場面が有って然るべき。
けれど実際、二者関係の継続・発展の観点からは、描写はぶつ切れ状態で欠如し、予感すらさせない。
一方、“負けたら身を引くつもり”とまで言われた英雄は、改めてひかりに告白し前進が窺える。
三角関係の収束にしては、婉曲で難解で、収まりが悪い。
しかし、俯瞰する視点で、物語世界全体の中心に比呂を置くと、違った形が浮かび上がる。
それは、これが『少年の訣別と成長』の物語だということ。
彼にとって、ひかりは『別れゆくヒロイン』であり、春華は『これからを共に歩みゆくヒロイン』。
親近感と家族愛、異性感情が混じり合ったひかりへの想いを、引き摺るのではなく乗り越えて。
励まし癒し、支えてくれる春華を、新しいヒロインとして傍らに携えて。
構成上、逆の順序になったものの、『一人の少女と離れ、もう一人の少女と結ばれる、少年の青春』。
最後の勝負は、ひかりを奪うためでなく、彼女への想いを手放す決意に基づいた、比呂の覚悟の一戦。
ひかりの母の言葉、“負けてスッキリしようとしてない?”は、英雄に負ける=ひかりを諦めると安易な図式を連想しがちだけど、彼の意図は寧ろ逆にあったのだと。
かつて恋の舞台に出遅れ、微妙に残した蟠りを、(恋と野球は別物と認識した上で)グラウンドの勝負で昇華させる。
勝つことで気持ちを終わらせ、初恋を脱皮しようとした。
だからこそ、あんなにも勝敗に拘りながら、勝利の涙とは違う、完全な喪失感に泣いたのではないか。
ひかりを渡すまいとする英雄の動機付けを詰ったのも、明和の監督の“野球に恋愛を持ち込むな”との台詞もそれを裏付ける。
そもそも、スポーツの勝敗で個々の人間自体の優劣は測れないし、ましてや相性や心情を決めることはできない。
選ぶ権利なんて最初からない、比呂は三振を取っただけと言ったひかりも、あの打席が決して恋愛の勝負ではないと知ったのだろうし、自分から離れていく比呂の決心を感じ取ったが故に涙を零した。
英雄もそれが解かったから、己の見当違いを改め、野球とは関係のない部分でひかりと向き合い、捨て身の感情でもって率直に彼女を求めた。
比呂に負けた英雄と、比呂を失ったひかりは、ここから、おそらく初めて上っ面でない素を晒し、関係を培ってゆけるのだろう。
そうして、一つの恋へのケリと、強力なライバルを相手にする、二重のしんどさに疲れる比呂を支えたのが春華だった。
春華という居場所無しには、彼は、初恋の終結の困難を乗り越えきれなかったかもしれない。
辛い精神的作業を傍らで見つめ支え、戦場からの帰還を癒してくれる彼女がいればこそ、最後の最後まで闘い抜けた。
タイトルが『二人のヒーローと二人のヒロイン』である根拠は、まさにそこにある。
試合の翌朝、比呂を迎えたのは春華の笑顔であり、いつか彼女が搭乗する便で大リーグへ飛び立つ暗示が、彼の最後の台詞であったことも象徴的。
突き詰めれば、この少女抜きには、前述した少年の訣別と成長の物語は成立しない。
主人公の姿によって示されたのは、強い想いで繋がった幼馴染みと訣別する、喪失の苦痛。
そして、思春期に巡り逢った異性と心を通わせてゆくぎこちない初々しさと、未来へ続く歩み。
誰かから『旅立つ痛み』と、誰かの許で『再生する安らぎ』。
二つの成長段階を彼が通過するための、全巻だったのだろうと今は思う。
彼の中の二人の少女の位置付けや選択の理由を、読み手があまりに詮索したり、ましてや論争するのは、混迷しそうで難しいのだけれど。
仮定として相手の方から離れる事態を想定すると、それがひかりなら比呂は黙って身を引いても、春華ならば彼は自分から追い掛けていく気がする。
ひかりに対しては親しさに諦めが伴うのが常の所為か、関わりに敢えて働き掛ける姿勢はなく、一歩下がって見守っている。
しかし春華とは、未知の関係構築を手探りで辿ってきただけに、心配や動揺、嫉妬も盛大にある。
二方向の想いを抱える葛藤と苦悩の変遷が、比呂の『男』の部分を形成しているのではないだろうか。
最終話の時点で、彼を始め四人の立場は、初期と大きく変わったわけではない。
変わらない位置と、変えてゆくべきは自らの愛する姿勢だと、互いに悟(し)るための期間だったように見える。
彼らにとっての高校生活とは。
自分は読み始めて直ぐ比呂に惹かれ、読者と同じ視点で彼と出逢い恋する春華も好きになった。
時が経つほど、比呂以上に愛しく。
彼女にとって、周囲から莫迦にされる愛好会を最初に助けた比呂は間違いなくヒーローで、幼少期など知らずとも一生懸命に好きでいてくれた。
この懸命さ加減が鼻につかないのが良かった。
いい娘(こ)ではあるけれど、変に優等生振ってはいない。
己の気持ちにはすっきりと素直でいて、押し付けるガメツさが無い。
挫けそうな心をひっそりと奮わせ、折に比呂を諭し怒り拗ねても、それすら厭味にはならない。
不安に揺れ、思い出を大切に数えながら、卑屈にも卑怯にもならず、真っ直ぐ彼だけを見続けた。
比呂とひかりが気を許し合う様(さま)を見せ付けられたらいつ諦めても可笑しくはないし、実際に取り残されて辛い思いも沢山してきた筈。
それでも気持ちを強要したりはせず、自分が相手を慕うという心の方向性を失わなかった春華は、本物のヒロインだった。
彼女と比呂の想いが通じる過程は微笑ましく、本当に可愛くて。
不器用に奥手でも徐々に沁み入る存在となり、将来が予見される度に安堵し、比呂の告白には嬉しさのあまり、こちらまで泣いてしまった。
確かに、ひかりとの間に築かれた絆は、容易く敵うものではない。
けれど、彼の諦念や胸の軋みを、ずっと近くにいた春華は、少しずつでもきっと救っていた。
比呂が頑張ってこれたのは、当人の言うように、彼女の笑顔がそばにあったから。
代替ではなく一方的な受け身でもなく、彼は彼なりに春華を大事に愛しんできた。
やがては、きちんと向き合える唯一の人物として。
最後の試合では、直接彼女に関する描写は少なくなるものの、その分、深い台詞が散りばめられている。
“長生き――しろよな”とは、密かな求婚。
お守りをくれた少女への、勝たせてほしい願い。
そして、気を張り詰めて疲れる自分を励ましてくれる、彼女を見つめるまなざし。
長い日々を経て失ったものと引き換えに、新たに手にした勝利の女神を、彼はそこに視たのだろう。
あだち作品は、十代にしては大人びた人物らが、気の利いた表現や微妙な間(ま)で言外に語ることが多く、結構な洞察力が求められる。
必ずしも台詞が真実を指すとは限らないし、ニュアンスだけで示される場合も多分にある。
この世代の直向(ひたむ)きさや甘酸っぱさ、名付けられない戸惑いや感傷は、ある程度歳をとってからの方が浸れるのかもしれない。