9月9日9時9分

著者 :
  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (393ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093866095

作品紹介・あらすじ

愛される快感と、「人」を想う難しさ――。

バンコクからの帰国子女である高校1年生の漣は、日本の生活に馴染むことができないでいた。そんななか、高校の渡り廊下で見つけた先輩に、漣の心は一瞬で囚われてしまう。漣は先輩と距離を縮めるが、あるとき、彼が好きになってはいけない人であることに気づく。それでも気持ちを抑えることができない漣は、大好きな家族に嘘をつくようになり……。忙しない日本でずっと見つけられずにいた、自分の居場所。それを守ることが、そんなにいけないことなのだろうか。過ぎ去ればもう二度と戻らない「初恋」と「青春」を捧げ、漣がたどり着いた決意とは。
三浦しをんさんも大絶賛!!気鋭の作家が挑む傑作長編、満を持して刊行!
バンコク在住の著者だからこそ描けた、国境を超えた名作!!

「影を帯びながらも、なんてまばゆい小説だろう。痛みを抱えて生きる私たちに寄り添って、「きっと大丈夫」とささやきかけてくれるようだ。」 ――三浦しをん


【編集担当からのおすすめ情報】
大人でもハッとさせられるシーンの連続に、ページをめくる手が止まらない。主人公の漣が感じている純粋な疑問や違和感に、気づけば一緒になって悩んでいる。読むたび自分が丸裸にさせられ、無垢な部分を呼び起こされ、読み終えたころにはたくさん成長した気がする。それも読むたび何度でも。こんな読書(ゲラ読み)経験は、これまでもなかなかありません!
忙しく過ごす大人のあなたに、絶対に読んでほしい一冊です!!

感想・レビュー・書評

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  • 『はじめて人をこんなに好きになった。でもそれは、好きになってはいけない人だった』。

    人を好きになる、それは人間としての根源的な感情の一つです。そんな感情が初めて芽生える年齢は当然に異なりますが、さまざまな調査を見てみると、おおよそ10歳前後という数字が見えてきます。10歳というと小学校4年生位の年齢でしょうか?少なくとも私はそんな年齢に”初恋”はしていなかったという自信?があります(笑)。一方で、恋人ができた年齢となると、おおよそ16歳という数字が登場します。こちらは高校1年生位になるでしょうか?はい、こちらは勝ちました(何に?笑)。辻堂ゆめさん「あの日の交換日記」のレビューに書いた通り私はそれ以前に、同じクラスのある女の子と交換日記をしていました。嗚呼(遠い目)。

    人を好きになる感情、その相手は当然に異なります。同じクラスの彼、通学途中で見かける彼、そしてずっと年上の大人なあの人…その対象に制限などありません。内心の自由は憲法に保証された権利です。誰を好きになろうがそれはあなたの自由です。

    しかし、この世には『好きになってはいけない人』という言葉がある通り、そんな感情には大人な事情が立ちはだかる場合があります。大人な事情、それは多種多様です。古の世であれば、敵国通しに生まれた彼と彼女の物語、まさしく悲劇なドラマが描かれていく舞台が思い浮かびます。そう、『好きになってはいけない人』を好きになる、それは内心の自由と引き換えに人の世の永遠の悲劇でもあるのだと思います。

    さて、ここに『好きになってはいけない人』を好きになってしまった一人の女子高生が主人公となる物語があります。父親の仕事の都合でバンコクに八年暮らした記憶をいつまでも大切に思う女子高生の心の動きを具に見るこの作品。バンコクに暮らす作者の一木けいさんのリアルな彼の地の描写に魅せられもするこの作品。そしてそれは、そんな女子高生が『好きになってはいけない人』という言葉の意味を噛み締めて生きていく様を見る物語です。

    『中二の夏まで、私はひとりで道路を渡ったことがなかった』というのは主人公の漣(れん)。そんな漣が家に帰ると『ちゃんと電車に乗れた?』と母親が訊いてきました。『乗れたよ。何歳だと思ってるの。あ、でも』と返す漣は『電車に乗り込むときなんとなく、お尻を触られたような気がした』と今朝の出来事を話します。『どんな人だった?』『若いサラリーマン』と話していると、『もしものときはこれ使って』と『険しい顔をした姉が入って』きました。『防犯ブザーくれるのこれで二個目だよ』と返す漣に『ほんとうに怖いときは声なんか出ない』と『震える声で』言う姉。そんな『姉の考えを否定するようなことは言ってはならない』というのが『両親と私の、暗黙の了解』でした。『ふとしたことで落ち込み、人と会話できなくな』る姉。そんな姉がこんな風になってしまった過去を漣は振り返ります。父親の『バンコク赴任』が決まり、『短大進学』の姉を残して家族三人はタイへと移り住んだのが漣が『保育園の年長組』の時のことでした。それから八年、『姉がタイへ遊びに来ることは一度もな』く時は過ぎます。その一方で『短大卒業後一年で結婚を決めた』姉は修一と婚約し、結婚を決めます。しかし、結婚式に、姉の友だちが『誰ひとり出席していなかった』のを不思議に思った漣。そして、やがて帰国した家族は、『また姉といっしょに暮らすように』なりました。『私たちがタイにいるあいだに結婚して離婚した』姉。『なんかお姉ちゃん、変わったよね』と思うもその言葉は家族の中で禁句となっていきます。一方で、日本の高校に通い出した漣は『タイの人たちは温かかった』とかつての日々を懐かしみます。その原因の一つが、朝の電車、『スーツを着た小柄な眼鏡の男』が毎日のように痴漢を繰り返すようになったからです。『この人痴漢です!』が言えない漣。そんな漣は『校内で何度か見かけ』るある先輩のことが気になり出します。そして、ある日『連絡先を交換してくれませんか』『お友だちに、なれませんか』と声をかけた漣。しかし、『無理に決まっているでしょう』と言われてしまいます。一方で、朝の電車での痴漢行為が止まらず、友人からアドバイスされた通りシャーペンを伸びてきた手に突き刺した漣。しかし、男は『堂々と臀部を摑んで』きました。そんな時、『なにすんだよ!』と声を出す男、そんな男の手を『学生服の男子が摑』み、『ホームに引きずり出し』ました。それは、あの先輩でした。『わめき散らすスーツの男』はやがて警察に連れて行かれます。そして、ベンチに腰掛けて話す二人の間に始まった漣と朋温(ともはる)の恋の物語。しかし、そこには『好きになってはいけない人だった』という未来が待ち受けていました。

    “愛される快感と、「人」を想う難しさ… 過ぎ去ればもう二度と戻らない「初恋」と「青春」を捧げ、漣がたどり着いた決意とは”、なかなかに上手い表現の内容紹介に思わず唸るこの作品。とは言え、私がこの作品を手にした理由は内容紹介が気にいったわけではなく、その書名にあります。「9月9日9時9分」というなんとも不思議なその書名。日付だけでも時間だけでもないその両方が、しかも『9』が四つも並ぶというその書名には、なんだこれは?と思われる方も多いと思います。そんな書名の理由が、内容紹介の最後に記されたこんな一文にありました。”バンコク在住の著者だからこそ描けた、国境を超えた名作!!”、そう、この作品の作者である一木けいさんはタイのバンコクにお住まいです。そして、そんなタイで話されるタイ語にこの作品の書名に繋がる理由が隠されています。主人公の漣はこんな風に語ります。

    『タイ語で九は、ガーオっていうの。同じ音で「進む」っていう意味の言葉があって、人気のある数字なんだよ』。

    日本では『九って、苦しいを連想させてむしろ縁起悪い』というのが多くの日本人の中にある感情だと思います。『国が変わるとラッキーナンバーも変わるのか』、漣と付き合う朋温がそんな風に思うのは読者の感情を代弁したかのようです。物語は、そんな『9』が並ぶ日付が、ある場面で登場し、この作品の書名がここから取ったのかという物語が描かれていきます。

    そんなこの作品の主人公の漣は、父親の転勤に伴い『保育園の年長組』から八年間をバンコクで過ごした後、帰国、慣れない日本での生活をスタートさせていきます。そこに非常に細かく描かれていくのがタイの情景です。そんな中から三つをご紹介しましょう。まずは、交通機関内のマナーに触れたこんな一文です。

    ・『子どもが電車に乗り込んでくると、大人たちはさっと立ち上がり席を譲る。車内に貼られた「老人やけが人、妊婦さん、お坊さんには席を譲りましょう」というマナー広告には同時に「子どもにも譲りましょう」と書いてあるのだ』。
    → 『お坊さん』というのは、イメージとしてのタイっぽさがありますが、『子ども』に席を譲る、これは、日本にはない感覚だと思います。小さいお子さんを抱いた親子ではなく、単に『子ども』という点がポイントです。『社会科見学でクラスメイトと乗ったときは、一斉にタイの人々が席を立ったので驚いた』という主人公の漣。国が違えば考え方も大きく異なるのがよくわかります。

    次に、食事風景からこんな描写を。

    ・ラーメン屋で『すごくゆっくり食べるんだな』と、朋温から言われた漣という場面。『タイの人は麺をすすらない。それがマナーだから。箸ですくった麺をスプーンに載せて、ゆっくりゆっくり口に入れる』というタイの社会で育ち、自分もすすれないという漣。
    → ポイントは、タイで『麺を勢いよくすする日本人がいたとしても、彼らは眉をひそめたりしなかった。日本は麺を豪快にすすって食べる文化だと知っているから』という点です。タイという国の人々の心の持ちようを感じさせる表現です。

    そして、漣がタイと日本をこんな視点で比較します。

    ・『日本はOKの基準が高すぎるのかもしれない』。そんな例として『たとえば少々の雨なら、タイの人は傘を差さなかった。長靴を履いている人も見たことがない。むしろ裸足だった。雨脚が強まると、頭にコンビニの袋をかぶる人もいた』。
    → 『傘を差』す基準は若干の幅があるとは思いますが、『裸足』や『コンビニの袋』は日本ではありえないと思います。『日本でそんなことをしたらきっと即SNSに投稿される』と思う漣。なるほど、さもありなんという感じがします。そんな日本での暮らしを『時々息苦しくなる』という漣。夥しいタイの描写がそんな漣の心の内を代弁しているかのようにも感じました。

    海外における人々の日常を描いた小説は他にもあります。有名なものとしては西加奈子さん「サラバ」でしょうか。イラン、そしてエジプトという二つの国をリアルに描写する作品ですが、やはり実際にそこに暮らした経験がある西さんだからこそ描ける世界があると思います。そして、この作品の一木さんは、今もバンコクに暮らしていらっしゃいます。そう、現在進行形でタイを見続ける目があってこそ気づく日本とのさまざまな差異がこの作品では強い説得力を生んでいます。この作品では主人公の漣に、そんな一木さんの瞳で見える景色を語らせていく、それがリアルなものとなるのは当然なのだと思いますし、そこから見えてくるものもあるのだと思いました。私と同じようにたまたま書名でこの作品に興味を持たれた方には、作品に描かれるタイの描写には是非ともご期待ください。ガイドブックでは読むことの叶わないリアルなタイの人々の暮らしを垣間見ることができると思います。

    そんなこの作品は主人公の漣がタイからの帰国後に進学した高校で偶然に出会った先輩・朋温との恋愛風景が描かれていく前半とその後の後半に大きく分かれます。その前半は紛れもない”恋愛物語”です。内容紹介にある”「初恋」と「青春」”が少し恥ずかしくなるくらいに描かれていきます。

    ・『朋温とかかわると、時間の進み方がおかしくなる。ものすごく速くなったり、まったく進まなくなったりする』。

    ・『渡り廊下で出会ったあの日から、私の目に映るものはどんどん輝きを増していく。何もかもがこれまでと違いすぎて、どうしたらいいかわからない』。

    そして、

    ・『木漏れ日に、彼が発した声の粒がきらきら漂っているような気がする。絡まり合った視線をほどきたくないと思う』。

    そんな風に描かれていく漣の心の内は、読んでいるこちらもドキドキしてしまうほどに純真無垢な少女の眼差しを強く感じさせる見事な描写です。こんな風に思われてみたい(笑)と、朋温に嫉妬してもしまいそうにもなる、それが物語前半に漂う雰囲気感です。それが、中盤から後半になって、この作品に秘められた本来の色が一気に表に出てきます。それこそが、

    『どうして私たちはこんな風にしか出会えなかったのだろう。はじめて人をこんなに好きになった。でもそれは、好きになってはいけない人だった』。

    そんな風に漣が思い悩むことになる朋温との関係性。

    『何があっても私たちの関係は、誰にも知られてはいけない』。

    そんな漣の深い悩みの先には、姉に隠されたまさかの過去の物語がありました。そこに描かれる物語は、表紙のどこか楽しげな三人の人物、ほんわかとした雰囲気感とは正反対にあるもの、タイではラッキーナンバーとされる『9』が四つも並ぶ書名は、逆に日本で『9』という数字から想像される”苦”を感じさせる内容が描かれていきます。単行本400ページという結構な物量のこの作品は、メンタルがやられている時にはあまり読まない方がいい、それくらいに重々しい内容に変化し、胸を苦しくさせられる読書が待っています。”どんな形であれ、希望は見える終わりにしたいと思っていました”と語る一木けいさん。そんな一木さんは”その後の彼女の人生は、読者の方に想像してもらえたらいいですね”と続けられます。そんなこの作品は、希望が垣間見える中に静かに結末を迎えます。しかし、その後の登場人物たちの未来を思う時、そこにはなかなかに複雑な想いが去来するのも感じました。

    『この空がバンコクに繫がっているなんて信じられない。私にとってタイは、もはや遠い国になってしまった』。

    そんな風にかつて暮らしたタイのことを懐かしむ主人公の漣。この物語では、そんな漣が”初恋”の人を強く想うその先に、『あの人に恋すること=噓をつくこと』と思いながらも高校生の青春をひたむきに生きていく姿が描かれていました。バンコクに暮らす一木さんだからこそ描けるリアルなタイの描写に感嘆もするこの作品。予想だにしなかった重々しさの極みとも言える物語展開の珍鬱さに心痛めるこの作品。

    インパクトのある書名に思わず手にした読書の先に、私が敬愛する三浦しをんさんが”影を帯びながらも、なんてまばゆい小説だろう。痛みを抱えて生きる私たちに寄り添って、「きっと大丈夫」とささやきかけてくれるようだ”と評されるその感覚。そんな感覚が痛いほどに伝わってくるのを感じる、ある意味、問題作とも言える、そんな作品でした。

  • 『9月9日9時9分』なんて縁起の悪そうな数字のタイトルだと思っていたらタイでは九が一番人気のある数字だそうです。

    この作品の主人公タイからの帰国子女の漣は高校一年生で日本に戻ってきます。
    そして高校で偶然好きになったひとつ上の先輩朋温は年の離れた姉のまどかの元夫の弟でした。
    まどかはDV被害に遭って夫の修一とは離婚し、今でもDVを思い出し、どこにも出かけられないくらい傷ついていました。

    漣と朋温の交際はさわやかでとってもせつなさが伝わってきて幸せになってもらいたいと思わずにはいられません。高校生で親に付き合いを隠しているのはつらいだろうなあと思いました。
    漣の「別々の場所で幸せになるくらいなら同じ場所で不幸になりたい」という気持ちが印象的でした。
    「姉はもちろん修一さんにも元気になって欲しい」という前向きな漣。
    しかし漣は朋温に姉のためを思い「他に好きな人ができた」と別れを告げます。

    DVというのは病気のひとつなんだなあと思いました。
    この小説のテーマでしょうか。

    「もし曜子が私の立場だったらどうする?」
    「跳びこえるに決まってる」

    漣はあれほど怖がっていた痴漢を朋温にもらったピンクのハチマキでつかまえます。
    漣にはいつかきっと幸せが訪れると思いたくなる物語でした。

  • 強く成長した主人公ですが、ハッピーエンドなのかどうか。家族、人間関係の難しさと素晴らしさを同時に感じられる物語。タイの素晴らしさだけは、文句なく感じられた。

  • 「はじめて人をこんなに好きになった。でもそれは、好きになってはいけない人だった。」

    家族には決して言えない相手を好きになってしまう話。
    好きになってはいけないのにどんどん深まってしまう好きの感情。それと同時に自分の中に急速に広がっていく暗闇。家族は大切だと思っているのに嘘をつき続けている後ろめたさ。やましさ。
    それらの感情の描写が素敵で、共感せざるを得なかった。

    好きと気付いた時の、相手のことについて少しでも知りたい知りたい知りたいという欲求が丁寧に描かれていた。片思いって、確かにこんな感じだったなあと。

    漣はタイ・バンコクからの帰国子女。ところどころでバンコクを懐かしむシーンが描かれる。
    東南アジア、私も何カ国か滞在したことがあるけれど
    確かに、日本とは違う優しさと温かさがあって、生きやすい場所だった。

    タイトルは、タイのラッキーナンバー・9にちなんで。
    自分のありのままを受け入れること。
    いろんな考えがあるということを知ること。
    やましい恋愛がテーマの作品で、暴力や痴漢も出て少し胸糞悪い気分になる描写もあったけれど、読後感は不思議と爽やかで優しかった。

    「別々の場所で幸せになるくらいなら、同じ場所で不幸になりたい」という言葉が、切実で響いた。

    • まことさん
      衣都さん。こんばんは。

      衣都さんのレビューがとても素敵だったので、魅かれて図書館に予約していました。
      やっと読むことができました。
      ...
      衣都さん。こんばんは。

      衣都さんのレビューがとても素敵だったので、魅かれて図書館に予約していました。
      やっと読むことができました。
      あらためて、衣都さんのレビューを拝見したら、これはやっぱり読みたくなるな~という書き方をされていて上手いですね。
      恋愛小説はあまり得意でなくて、ちょっと敬遠していましたが、この小説はそんなに読みづらくなくすんなりと読めました。
      どうもありがとうございました!
      2021/06/19
    • 衣紅*海外在住さん
      まことさんこんばんは!
      私のレビューがきっかけで読んでくださるなんて、そしてほめてくださるなんて、
      私にとってこれ以上ないお言葉です。とても...
      まことさんこんばんは!
      私のレビューがきっかけで読んでくださるなんて、そしてほめてくださるなんて、
      私にとってこれ以上ないお言葉です。とてもうれしいです(*^^*)

      この作品は確かに、恋愛小説に抵抗がある方でも読みやすいですね。DVに関する描写がメインになっていたのも、被害者支援につながる活動の一環だと後ろのページに書いてあり、納得でした。
      こちらこそわざわざコメントしてくださりありがとうございました!

      2021/06/19
  • 皆さんの評価が高かったので楽しみに読んだのだけど、私にはあまり合わなかった。
    物語の展開があまりにも唐突すぎて、「え?」っとなる場面が多数。
    いきなり好きになって、家族のことがあるから離れて…と、気持ちが入っていかなかった。
    バンコクの様子が描かれている場面はリアリティがあってよかった。

  • 一木さん初読み♬

    バンコクからの帰国子女である高校1年生の漣は、先輩の朋温と恋に落ちる。
    だけどそれは好きになってはいけない人だった。

    高校生のキラキラした恋愛小説か〜と思ったけど、なんか思ってたのと全然違いました。

    うーん、これはちょっと辛すぎる〜(TT)
    家族の気持ちもすごく分かる。
    でも人を好きになる気持ちって、そんな理屈じゃないし、、
    漣と朋温のその時その時の気持ちに、胸が痛みました。
    高校生といえど、まっすぐな2人の事が気になって、なんとかならないのかなと祈るような気持ちで後半は一気読み。

    それと同時にDVの事についても考えさせられた。
    DVを受けた人の身体だけじゃなく心の傷の深さ。
    そしてDVしてしまう側にも、心に何かしら抱えてるものがあって病んでしまってる事も多いという事。

    それぞれの未来が明るいものになればいいなと思う。
    9月9日9時9分。
    タイでは縁起がいいとされる9という数字。
    いつかこの時に2人がまた出会えますように。

    ︎︎︎︎︎︎☑︎︎︎︎︎︎︎印象に残った文章︎︎︎︎︎︎☑︎︎︎︎︎︎︎

    「別々の場所で幸せになるのなら、同じ場所で不幸になりたい」

    「悲しい気持ちはよく分かる。気力が湧かなくて、何もする気にならないだろうけど、目の前のことをひとつひとつやっていこう。とりあえず目標60日。」

    #2

  • 作者一木さんのバンコクへの愛慕や憧憬に満ちた思いとは裏腹に、物語は生々しい夫婦間DVにまつわる家族の問題に流れ着く。

    帰国子女の生きづらさ、母親が外国人である家庭の貧困問題、DVによる離婚で傷を負った人間の困難等々、問題はてんこ盛り。
    書き過ぎの感。
    どれもこれも・・・と説明過多で、抑制して読み手の想像に委ねる部分がもっとあれば、書きたいことがむしろ際立ったと思う。

    逆に、主人公漣が先輩の朋温(ともはる)に心を囚われ、2人が心を惹かれっていく機微は、もう少し丁寧に繊細に描いて欲しかった。見えないまま進展。

    自分と他者(家族も含めて)との境界線が曖昧な人物が多く登場したことも残念。
    それぞれの登場人物たちに事情を抱えさせてはいるが、多様な人物造形とメリハリが欲しいのだよなあ。

  • 高校一年生の漣は一学年上の先輩、朋温に恋をした。
    お互いに惹かれ合う二人の想いは許されるものではなかった。朋温は漣のお姉さんの元夫の弟。元夫はお姉さんに暴力を振るっていた。離婚以来、お姉さんはずっと家にいて、精神を病んでいる。

    漣と朋温はお互いの家族に秘密で付き合いを続けるが、お姉さんの病的な監視によって二人の関係は明らかになってしまう。家族の前で別れを告げるものの、想いの火は消えない。

    旅先のバンコクまで朋温が追いかけてきたり、朋温のお兄さんと話したり、DVについて勉強したり、それぞれに事情を抱えた友人たちと交流しながら、少しずつ成長していく漣の物語。

    ---------------------------------------

    絶対に暴力を肯定することはできない。相手を痛めつける行為は蹴ったり、殴ったりすることだけではない。言葉で責め続けたり、金銭的に支配することも暴力だし、電車のなかの痴漢行為だって暴力だ。それらのすべては絶対に肯定されるべきではない。

    暴力は許さない、と念頭に置いた上で言いたい。
    漣とまどかの両親は何をしているんだ、と。
    自分たちの長女が結婚していたころのDVが原因で精神を病んでいる。次女は登校時に痴漢に遭っている。二人の娘が暴力の被害、暴力を受けた後遺症で苦しんでいるのに、両親はなぜ何もしないのか不思議でしょうがなかった。

    漣の中学二年のときの担任教師が言うように、「困ったときはプロに頼る」べきだ。
    長女には早く専門の機関で治療を受けさせてあげるべきだし、次女に痴漢をしてくる奴は全員捕まえるくらいの対応をするべきだった。理解のある、落ち着いた両親、みたいな雰囲気を出していたけれど、親としての、家族としての役割を果たそうとしない彼らは何のつもりだったんだろうか。
    被害を受けている子どもを放っておくこと、それを愛とは呼ばない、絶対に。

    タイで長い期間を過ごした帰国子女の漣の言動は、確かに表層的で薄っぺらく感じる部分があった。安っぽい朝ドラの主人公みたいな雰囲気だった。
    けれど、漣の周りにはそれを指摘してくれる友人がいて、人にはそれぞれ事情があるということを漣は学び、だんだんと変わっていく。

    次女の漣が成長し、家を飛び出した長女のまどかも変わろとしていくなかで、最後まで両親は変化もしないし、成長もしない。
    娘二人が苦しんでいるのに、適切な対応をしないで、理解のある大人を装う両親にはガッカリさせられた。

    十人十色の愛のかたちがある。
    けれど、苦しんでいる娘を放っておく愛なんてあるのかな。それって愛と呼ぶのかな。

  • 「好きになってはいけない人を好きになった」
    それだけでヒリつくような内容だとわかる。そこに、さらにDVが絡んでくるなんて、どれだけ重たいの?図書館で借りはしたけれど、読もうかどうかしばし悩む。
    読んでみて、こんなにいろいろな感情を呼ぶのは、なぜ?
    姉もひどい目に合ったかもしれないが、病的なほどの監視はこわかった。いや、そう感じてしまうのは、私の理解力、想像力がないのだろうか。
    父の「気持ちに余裕のある人が、ない人のためにおすそ分けしてもいいと思う」という言葉にまったく共感できず。姉のためにガマンを強いるのは、やはり違うと思う。
    姉に対して、腫れ物にさわるみたいにあつかう両親、家族。朋温に別れを告げた漣は生きていると言える?死んでいないだけ、が本当にピッタリの表現だった。
    あと、なぜ朋温はタイにいたの?朋温はどこから漣のことが好きになったの?
    漣目線ではなく、朋温目線でも読んでみたい。朋温も家族に問題を抱えていて、もしかすると漣よりもっと複雑な可能性もあって…。
    DVをする人間がやっていることなんて、最低で理解なんてできるわけない、と思ったけれど、『認知の歪み』には納得した。

  • あぁ、この作家さん好き、と実感した一冊。
    いつか手元に置きたいと思う本。
    人間関係、家族関係の重さと若くせつない恋愛。
    苦しくて胸がしめつけられたり、キュンと胸がしめつけられたり、途中で本を閉じるのがむずかしいくらい惹き込まれる。この作家さん上手だなー!
    また2回目に読んだとき、どう感じるかな。
    そして、主人公と同年代のときに読んでいたらどう感じたかなわたし、と思ったり。
    (年齢のせいでしょうか、最近よく思ってしまう、若いときに読んでいたらどう感じたか。。)

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著者プロフィール

1979年福岡県生まれ。東京都立大学卒。2016年「西国疾走少女」で第15回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。2018年、受賞作を収録した『1ミリの後悔もない、はずがない』(新潮文庫)でデビュー。他の著書に『愛を知らない』『全部ゆるせたらいいのに』『9月9日9時9分』がある。

「2022年 『悪と無垢』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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