- Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094080148
感想・レビュー・書評
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現実感のない「僕」と「君」の物語の数々。どれも夢うつつ、儚く脆く消えてしまいそうな繊細なお話。
不器用でも、愚鈍でも、出来損ないでも誇りを持ち生きれば良い。時代に合わせて自分を変える、器用な生き方は出来なくてもいっこうに構わない。
流行りのコーヒーチェーンの新しい設備、完全禁煙、オシャレで豊富なメニューも良いけれど…。
時間が止まったかのよな喫茶店に行きたくなりました。そしてそこで閉店まで居るとか、うたた寝をしてみたい…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
面白かったです。
カフェー、素敵な響きです。
昔からある純喫茶の趣…行ってみたいカフェーがたくさんですが、閉店してしまったお店もあるみたいで悲しいです。腰を重くしてないで、行きたいと思ったら行かねば、です。
フランソアは行きました。ミルクホールはお店の前まで行ったけど時間切れです。また行きたい。
「僕」と「君」…叶わない恋がほとんどですが、必然だから叶わないのかなとも思いました。好きすぎると上手くいかないなぁ。
文章や、登場人物の言葉遣い、素敵です。お手紙はしたためるものです。「ロリータとゴシックロリータは似て非なるものだわ」。
野ばらちゃんの美意識、好きです。
「真摯に生きることとは魂を摩耗しつづけていくことでしかないのかもしれませんよね。」 -
好きな作品は、私の偏愛するファッションブランドであるJane Marpleが登場する【王国と夢見る力】。
信念を貫き、矜持を持ってお洋服を着ること。野ばらさんが描く乙女たちに多く見られる共通点。そういう乙女たちは素敵です。押しつけられた服も、着たくもない服もうんざりだ。
Jane Marpleのタータンチェックワンピースにロイヤル別珍のジャケットを羽織る。足元はアーガイル柄のオーバーニーソックスに四連ストラップシューズを。
背筋を伸ばす。
その服が似合う、はもちろんだけれど、その服に相応しい人でありたいと思う。
《2013.10.18》 -
実際にあるカフェーでの短編集。僕の話がちょっと鼻につきますが…(笑)いくつか、訪れてみたいカフェーもありました。
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一時期、野ばらさんの本をよく読んでいて、ミシンとか良かった。
カフェー巡りいいですね。
井の頭公園の入り口にある、カフェの
中に昔飾ってあった恐い顔の人形達の絵が
凄く好きでした。 -
何というナルシシズムであろうか。全国のカフェを通じての恋愛エピソード。澁澤龍彦的奇形趣味もまぶしつつ、とにかく自己愛に溢れた文章だった。
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実在する純喫茶(カフェー)を舞台に、様々な男女の恋愛模様が描かれる短編集。どの話にも恋や人生に懊悩する僕(主人公)と君(ヒロイン)が登場し、その中には晴れて成就する恋もあれば、叶わぬ恋もある。彼らはある時はカフェーで出会い、またある時はカフェーで逢瀬を重ね、親密になってゆく。そして勿論、カフェーで別れを告げられて終わる恋もある。むしろ破れた恋の話の方が多い気がするが、個人的にはそれが良いと思っている。常に人で賑わう大衆的なカフェと違い、ひとりもしくは気心の知れた友人や恋人とふたりでひっそり訪れて、一杯の珈琲を片手に、共に過ごす「時間」を味わう純喫茶には、燃え盛るような熱い恋よりも、静かに落ちゆく線香花火のような恋が似合うと思うからだ。この本では、恋の始まりや最中、そして終焉にも必ず彼らの側にはそれぞれの"カフェー"が寄り添っている。様々なカップル、様々な恋愛の形と共にそれらの甘さも苦さも全て詰め込んだ"カフェー"が存在し、実際に足を運ぶことが出来るのはニクい演出だ。なぜならそこで読者は紙面で味わったほろ苦い恋を、追体験することが出来るのだから。
また著者の取材を元に書かれた、それぞれの「恋」の舞台となったカフェーの沿革や店内の内装の描写の細かさも素晴らしい。オーナーによって選び抜かれたアンティークの家具や食器が並び、レコードから奏でられるのは重厚なクラシック音楽……読んでいるとそうした純喫茶特有のメランコリックな空間が瞬時に脳裏に思い浮かんでくる。登場するカフェーでもそうでなくても、レトロな雰囲気の喫茶店で読めば更に没入感に浸れると思われる。外出時の鞄にそっと忍ばせておきたい一冊。
個人的には鎌倉の「ミルクホール」は何度か訪れたことがあり、思い出深いカフェーのひとつである。お店のクラシックな雰囲気や内装も好きなのだが、現地に辿り着くまでの道筋から既に非日常への入り口が始まっているようで、毎回ワクワクしながら足を運んでいる。もしもまだ訪れたことのない方がいればオススメしたい。メニューの「オペラライス(白いオムライス)」は見た目の美しさと味、どちらも楽しめる名品なので、ぜひ。 -
登場人物は僕と君だけ。この世界の何処かに居る、または何処にでも居る僕と君のお話。喫茶店で過ごすゆるやかな時間の魅力、そして 人を愛することについてをたっぷりと凝縮して詰め込んだ短編集。人間って愛おしい生き物なのだなあ。
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実在する/したカフェーをモチーフにした短編集
実在するカフェーと、一人称で語られる物語が多く、嶽本野ばら節がきいてるので、ついつい作者のエッセイのように読んでしまう。
短いお話が12編収録されているので、短い時間で読め、ロリータ好きやレトロな空間、静かな世界が好きな人向け。 -
野ばらさんの描く、実在する12のカフェーをもとにした御話。
やっぱり嶽本野ばらさんの小説を読んでる時間は、何にも増して綺麗な詞、綺麗な文体との出逢いの連続です。今回の御話達も、とても好きになりました。紅茶やビスケットが合いそうな、ほろ苦く甘美な短編集です。
『カフェー小品集』では、野ばらさんの他の著作よりも、登場人物の感情の機微がとても丁寧に、美しく書かれていた印象を受けます。この一冊を通して他の野ばらさんの著作を読んでみたら、また印象が変わってくるのでしょうね。(『シシリエンヌ』を読んだ時に「何故!?」となったあの展開も、今なら静かに呑み込める気がします。そのくらい一冊を通して野ばらさんの言わんとしていることが伝わって来ました。素晴らしい!)
自分は喫茶店にはほぼ行くことはありません。でも、それは所謂野ばらさんの言う「カフェ・ブーム」に対して自分の持つバイアスのようなものでしかなくて、野ばらさんが「カフェー」と呼称するこれらのお店、「サービスをしないことがサービス」な、変わらぬ贅沢さを持ち続けている、時代においていかれた喫茶店にはとても衝撃を受け、魅力を感じましたし、「カフェー」が「カフェー」である理由がわかった気もして、ちょっぴり耽美な気持ちです。いつか行けたらいいなぁ。
結びとして、やはり野ばらさんの作品を通して考えられることは沢山あります。ここまで自分を読書の虜にした作家さんもそうそういないでしょう。『カフェー小品集』の中で好きな御話を挙げるなら、やっぱり「凡庸な君の異常なる才能について」だと思います。でも、生き方としては「モンチッチの誇り」のものに激しい共感を持ちます。何れにしても、私はこれからこの一冊もまた、聖書のように読み続けるのでしょう。