学生との対話 (新潮文庫)

制作 : 国民文化研究会  新潮社 
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101007113

作品紹介・あらすじ

さあ、何でも聞いて下さい――。小林秀雄は昭和36年から53年にかけて、雲仙、阿蘇など九州各地で五度、全国から集った学生達に講義をし、終了後一時間程、質疑に応えていた。学生の鋭い問いに、時には厳しく、時には悩みながら、しかし一貫して誠実に応じた。本書はその伝説の講義の文字起こし二編、決定稿一編、そして質疑応答のすべてを収録。小林の学生に対する優しい視線が胸を打つ一巻。

感想・レビュー・書評

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  • ものを考えるということ、ほんとうに知を愛し、表現する存在を愛しているのだと思わずにはいられない。
    驚き、考え、疑い、そして信じるということに出会う。そしてまた疑う。上手に質問するということは、答えを出すことではなく、その問い自体を問い続けること。生きること死ぬこと、そこから出発しなくて何を問うというのか。信じることと疑うことはいつも表と裏の関係である。
    歴史とは、よく思い出すこと、これは大森先生がことばの論理で考えた通り、記憶とはことばによるより他ない。歴史的な事実、考古学的な事実といった唯物的な論理を持ち出さなくてもよく思い出せることこそ歴史家の力だと
    それが本居宣長であり、さまざまなひとの表現に出会い考えることことが彼のそうでしかないできない生きるということだったのだろうか。ひとに出会わずにはいられない、表現を感じ、考えること。それを信じ、また疑い歩き続けたところに批評というものがあったのだと思う。ソクラテスが何一つ書物を残さなかったこと、「悪法もまた法なり」と毒杯を仰いだこと、彼からすれば同じことだったのだと思う当時の暮らしや社会状況、確かにそういったものがあったのかもしれないが、そうでなくとも、「自分ってなんだ」「どうして生きていけばいいか」みたいな問いを彼は立てなかったに違いない。

  • 印象に残ったこと

    ・歴史について
    現在の学校教育では、何年に何が起きたかを暗記することで点数が得られる形式をとっていると思う。
    私自身も歴史は暗記するものであるという認識があったが、小林秀雄が述べた「歴史とは上手に思い出すこと」という言葉に感銘を受けた。出来事を客観的に追っていくだけでなく、当事者の立場に立ち、彼らが感じたことや思ったことを自らのことのように想像することで、彼らの喜びや悲しみに共鳴することに趣があるのかと納得した。
    これは過去の人物に対してだけでなく、実在の他人に対しても、同様に想像することが重要であると感じた。
    また、クラシック音楽を嗜む身としては、音から作曲者のまざまざとした人間像までを想像できるよう取り組もうと思った。


    ・科学について
    私は学生時代に物理をやり、一般的かつ論理的に考えることこそが正義だという固定観念に縛られていた。
    そのため、根拠のない超常現象や迷信の類には全くの無関心であった。
    しかし、個々人が実際に経験した具体的実体験にも目を向けることが重要であることを学んだ。
    なぜなら、科学はある単位系の中で、客観的な事実を扱っているだけである、つまりは狭い定義の中で現実の事象を記述しているに過ぎないということだ。
    限定的なものさしだけで世界を見て、わかった気でいることは恥ずかしいことだなと思った。
    どんなに信じられなくても、根拠が見当たらないとしても、各々が経験した事実としてまずは受け取ろうと思った。

    ・近現代の教育について
    「先生が隠した答えを見つけさせるのが現在の教育」、深く共感した。
    現実を生き抜く上で問いを見つけることの重要さと難しさは、社会人になり強く実感している。
    うまく問うことを心に留め、自問自答や対話を大切にし、現実と向き合っていきたい。


  • 小林秀雄という名前は聞いたことがあったが、初めて読んでみた。
    生の経験や対話を重視する言葉がいくつも出てくる。
    科学を否定するように聞こえる言葉もあるが、科学という一つの物差しで測れない人とのつながりや生きる意味など、そういうものにまで科学を取り入れようとする(また測れないから無用だとする)風潮を否定するように感じられた。
    で、科学的な手続きによらないひらめきのようなものも人間には確かにある。
    何年に何が起こって、その証拠がこれで…という考古学も必要だが、歴史上の人物の思想や信念に身を委ねるうちに、自分の思いや信じることに気づくこともできる、まるで鏡に写したように。
    そういう、自分というものを自分の手応えで築いていく力強さを感じた。
    ただ急いで付け加えると、自分一人で考えた自分本位なものではなく、徹底的に古典にあたり、人との交わりから自分を研ぎ澄ます、対話によって作り上げるものなのだ。

    良い質問が作れればもう答えは必要ではない、
    上手な質問とは、自分にとって切実なことを尋ねたものである、
    答えばかりを探し求める風潮に対し、質問が大事だと小林秀雄が言い切っている。
    いい質問を、自分なりに作り、対話をしたい、そう思った。

  • 全集買う判断材料として読了。

    学生の短い質問に対して論理的に自身の思考を正確に、広くて深い知識と経験を丁寧に織り交ぜながら回答する姿に心打たれた。

    数回にわたって記録される学生との対話はそれぞれ主題や学生からの質問が違うのに、小林秀雄の回答は表面上違うように見えて、何か確固たる信念が根底にあると思った。

    今は得体の知らない、この根底を探る術の一つが全集を読むことだと思うので、やっぱ買いですねー。

    最後に一節。
    「質問するというのは難しいことです。本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。(中略) ただ、正しく訊くことはできる。」

  • 科学は切り刻む。分析的。しかし,統合できない。細かいことが分かってくる。それで,どうなんだ?心を分析した。分析した結果,心が分かったのか。そもそもそんな問いすら忘れてしまっていないか。

    歴史書は鏡という字が使われている。歴史は自分自身の中にある。⇒「自分自身を見る鏡」「自分自身を見るということは過去を見るということ」ヒントを得た。

    自分の言葉で自分の考えで対話することができるだろうか。自分に焦点化しては自分が見えてこない。相手を説得する,相手に勝るという目的のコミュニケーションでもない。知を深めよう,知を鍛えようとする無私の取り組み。

  • 小林秀雄の講義および学生との質疑応答を記録した本。学生として、是非聴いてみたかったと思える内容。以下、印象に残った箇所(要点)。
    ・科学の進歩は著しい。しかし、科学は人間が思いついたひとつの能力に過ぎない。僕らが生きていくための知恵は、昔からさほど進歩していない。例えば、『論語』以上の知恵が現代の我々にあるか。p43
    ・知識を我がものにする喜びがなければ、知識が信念に育つことはない。p94

  • 小林秀雄は、エラそうではあるが、快刀乱麻、切れ味のあるボキャブラリーとエクスプレッション、さらにパッション。若い人に熱烈な信者が出るのもうなずける。ほぼ肉声なので、その背筋の伸びた佇まいが行間から立ち昇るようでもある。

  • 文筆家としての自覚と矜持を貫いた小林秀雄は、講演や対談の場での自らの話し言葉を文字にするときは、必ず速記原稿に目を通し、書き言葉に調えることを必須としていたとのこと。
    今回のこの本は、小林氏の著作権継承者である白洲明子氏の検分と容認を得てようやく刊行されたものなのです。
    そのような経緯があるのですが、収録された学生たちの質問と小林氏の応答は、他に類の見ない小林氏の「会話教育」と「質問教育」の実態を、現代に、ひいては後世に伝えるべく、国民文化研究会と新潮社に残された音声を新たに文字化されたものなのです。
    内容ですが、
    講義 文学の雑感
    講義 信ずることと知ること
    講義 「現代思想につおて」後の学生との対話
    講義 「常識について」後の学生との対話
    講義 「文学の雑感」後の学生との対話
    講義 「信ずることと考えること」後の学生との対話
    講義 「感想——本居宣長をめぐって——」
        後の学生との対話
    信ずることと知ること
    小林秀雄先生と学生たち 國武忠彦
    問うことと答えること 池田雅延

    日本人が先祖から伝えてきたことの価値観の重要性、所謂「科学」への懐疑、いわんや「唯物史観」への嫌悪、小林秀雄さんの真髄を垣間見させていただきました。

  • ベルクソンの経験的実在
    本居宣長の大和心
    大事なことを何回も繰り返してる

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