- Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101262918
作品紹介・あらすじ
川崎の農家で著者が目にした一枚の護符。描かれた「オイヌさま」の正体とは何か。高度成長期に、小さな村から住宅街へと変貌を遂げた神奈川県川崎市宮前区土橋。古くから農業を営んできた小倉家の古い土蔵に貼られた「オイヌさま」に導かれ、御岳山をはじめ関東甲信の山々へ──護符をめぐる謎解きの旅が始まる。都会に今もひっそりと息づく山岳信仰の神秘の世界に触れる名著。
感想・レビュー・書評
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昭和30年代,神奈川県の川崎市多摩区の農家にあった「オオカミの護符」のルーツを探る話です。
当時、農家では「オオカミの護符」に毎朝、手を合わせ農作業に出ていく慣習がありました。
絶滅したオオカミがなぜ護符に描かれ「お犬サマ」と呼ばれ人々が崇めていたのか、、
その謎を解いていくと、オオカミはイノシシ、シカなどの獣害を捕食し農作物を守ってくれる存在で神と祀り崇めてきたことがわかってきます。
作物が無事にできること。
それは食べることができる、つまり生きること。
作物が無事に収穫できるよう、地域のオオカミ信仰が山岳信仰となっていきます。
また、人々の生活には命の根源になる山から流れる水や川、山、祭り、占いなどの信仰も守られ引き継がれていたこともわかってきます。
現代はスーパーに行けば野菜や肉など簡単に買え、どうやって作物ができ、食べているか考えたことがありません。
昔、人々は食べることに、生きることに真剣に向き合っていた。
今の時代、忘れていることなのではと感じました。
食べることできる、生きることを深く考える機会になった本です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
筆者の実家の納屋の御札。民間信仰のルーツを辿る、ドキュメンタリー映画から生まれた一冊。今となっては実に貴重な資料。
青梅の御嶽神社などオオカミへを祀る信仰。多摩川流域に広く広まっていた信仰。
筆者の実家の川崎市の旧土橋村。今はたまプラーザの近く。農村の主影はまるでないが、農家だった筆者の祖父母の頃は開発が始まった頃。
貼られていたお犬さまのお札、それにまつわる講と辿っていく。
明治維新でも戦争でも変わらなかった文化、風習が経済成長で消えていく、そのあまりに貴重な記録。
一つだけ気になったのは御嶽参りの帰途の石和温泉が楽しかったという古老の話、石和温泉は戦後の噴出なのでそこには疑問符。
歴史の専門家でない普通の方が辿っていくからこそ楽しめた一冊。面白いです。 -
自分が住んでいる川崎市多摩区という場所がどういう場所かなかなか理解できずにいた。多摩川沿いの田園地帯の後背地の里山だったという想像はつくようになったが、奥多摩の山岳信仰に基づく武蔵の国、という見方をもらって、とてもクリアになった気がする。出会えてよかった一冊。
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つい先日、東京の国立科学博物館に行ってきたばかりだ。
そこには、世界各地の動植物のはく製も展示されていて、その一つに、ニホンオオカミがいる。
骨格は確かにオオカミらしい。
けれど、目がひどく優しくて、とてもじゃないが獰猛さは感じられなかった。
はく製であって、本当の、生きたオオカミではないのだけれど。
その面立ちは、やはり生きているときに見ても、人を害するものには思えないだろう。
その後に読んだ話だからだろうか、御嶽のあたりでオイヌさまが百姓の守り神とされてきたという事実に、すとんと納得がいった。
死してなお、あんなやわらかな面差しを持つ存在が、カミでなくて何だというのか。
そんな気持ちがした。
だが、だからといって自然と手を合わせられるかと言えば、それは難しい。
武蔵御嶽から遠く離れた場所に暮らす私にとって、彼らは馴染みのカミにはなりえない。
だが、この話を読んでいて、ふと思い出したものがあった。
それは、近くのスーパーに向かう途中、ひっそりと埋もれるようにあったお地蔵さまに手を合わせていた祖母の姿。
それから、犬の散歩の途中、坂道の先にあった古い墓か祠の前で必ず合掌していた祖父の姿だ。
それぞれ相手は違っていたけれど、二人とも、自然と頭を下げていたこと(そして、時には促されて見よう見まねで拝んでいた自分)を覚えている。
きっと、二人にとってはそれが、それぞれの「オイヌさま」のような存在だったのだろう。
じゃあ、今、この私にとってのそれは何なのだろう。
マンションの一室に住み、普段はせいぜい車窓越しに海を見る程度しか自然と触れ合わない私に、おのずと手を合わせてしまう相手はいるのだろうか。
神社や祠の前を通る時に何となく遠慮してしまう程度には信仰心のある私でも、すぐには思いつかない。
そう考えるほどに、近代日本の自然離れの罪深さを感じずにはいられない。 -
前から気になっていた一冊。
勝手に東北あたりの話かと思っていたら土橋(たまプラーザあたり)から武蔵野台地、御岳山と身近な地域の話でした。
土倉に貼られた黒い獣の護符、「オイヌさま」と呼ばれるそのルーツをたどっていくと、御岳山に詣でる「御嶽講」、オオカミ信仰、山岳信仰へとつながっていく。
もともとがドキュメンタリー映画なので、講の様子やインタビューなど、文字にしてしまうとわかりづらいところはありますが、自分の生まれた地域にも信仰があり、行事があり、それは日本人の宗教の基本的なところへと続くのだと気がつかされます。
御岳山は保育園のころに行ったことがあり、お寺に一泊した記憶があるんですが、オオカミを祀っているといったことは知らず、あらためて行ってみたいと思いました。
以下、引用。
大人になって日本の各地や外国に行ったときに、若い人たちが自分の地域に伝わる芸能や行事をとても大切にして、誇りをもって伝えている姿を見て自然と涙があふれてきました。私は自分の生まれた地域にも同じように芸能があり、行事があり、暮らしがあったと思いました。
近年、江戸文化が注目され、江戸が優れたリサイクル都市であり、清潔に保たれてきたことが知られるようになった。そこには近郊農家の肥え引きが大きな役割を果たしたと多くの研究者や専門家から指摘されている。
土橋御嶽講の日程について、母は「休日だろうが平日だろうが毎年三月八日に開くことが決まっている」と言った。
中国の学生が「河は上から下に流れるのではなく、西から東へ流れるものですよ」と言った。
大陸出身の学生たちは「高い山から駆け降り、すぐに海に達してしまう島国の川は、むしろ川ではなく滝だ」と言った。
「権現」とは、日本の神々はインドの仏が姿を変えて顕現したものとする「本地垂迹説」に則ったもので、「仏が仮に神の姿を借りて現れたもの」とされる。
「ハケ」とは、武蔵野台地と多摩川が接するところにできる崖線(ガケ)を指す地ことばで、豊富な水の湧き出すところでもあるという。
警蹕とは声を発することによって神が通る道を清め、邪気を祓うものとされている。
神事の最終盤に、社殿の奥に連なる山々に向かって深々と一礼をするのだ。
金井宮司によれば、奥の院が置かれている「男具那ノ峰」に対する遥拝だという。
「山を拝む」という素朴な行為は、社殿が作られる以前の山そのものに対する古い信仰を思わせた。
日本列島の各地には「御嶽(岳)」という名を持つ霊山が多いという事実も興味深かった。「武蔵御嶽山」をはじめ「木曽御嶽山」「甲州御岳山」など、かつて修験の行者によって一国に一山「国御嶽」と呼ばれる信仰の山が開かれたのだとも喜助さんは教えてくれた。
これはアメリカに長く住んだ友人の話だが、「西欧では間違っても犬とオオカミを混同するような呼び方はしない」と断言した。それはおそらく牧畜文化の中で、家畜や人を襲うオオカミは人間の敵で、人を助ける犬は仲間だという意識からくるものなのだろう。
モンゴル人は遊牧を営んでおり、大切な家畜をオオカミに襲われることも少なくない。しかしながらモンゴル人はオオカミを敵と考えず神と崇めている。しかも自らを蒼き狼の末裔といい、オオカミに対する尊敬の念は絶大だ。
モンゴルでもオオカミのことは直接的に呼ぶのではなく、「天の犬」などと呼ぶ。
モンゴルでは畏れ多いものや偉大なものを直接の名で呼ぶことを慎む風習があるのだ。オブラートに包むようにやわらかな言い回しをすることで対象への畏れや敬いを表すのだそうだ。
「博徒の非常に横行する処には必ず有名な山がある。常陸には筑波山、上総には鹿野山、上州には榛名、赤城、野州には日光、甲州には山が到る処にある」と続き、山の上には山神があるのみではなく、恰好な賭場の開かれる地であると書いている。
土橋の名が源頼朝に由来すると伝えられているように、関東各地には頼朝の伝説をはじめ、鎌倉幕府とのつながりを示す文物や事象が数多く残されている。関東には何本もの鎌倉街道が敷かれ、土橋町にもその一本が通っていた。
「サムライ」というと、誇り高き武者として、日本人の精神性の象徴、憧れとして語られる向きもあるが、関東に生まれた武士は、むしろ平時には田畑を耕す「百姓」であったようだ。
関東のオオカミ信仰にはヤマトタケルの神話がつきものなのだ。
「何々山でなくて、お山。個別の山を指すんでなくて、毎日お世話になっているお山。自然に崇めるような気持ちの言葉が『お山』だと思いますね。」
「宗教」、「信仰」は明治時代に生まれた翻訳用語である。だから厳密にいうなら、江戸時代までの日本には宗教も信仰も存在しなかったのであり、このような概念ではくくることのできない別の祈りだった。
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著者の出身地である神奈川県川崎市宮前区土橋の実家にあった「オオカミの護符」をきっかけに、丹念な聞き取りや見学などを通じ、関東甲信の各地で受け継がれてきた山岳信仰・オオカミ信仰といった伝統的な信仰の姿を探究している。
伝統的な信仰は、その地域の生業や地形、気候といったものと密接に結びついて成り立っており、人々の人生を形作る上で欠かせない心豊かなものであったことが実話を通じてよく理解できる一冊であった。 -
川崎市宮前区土橋をスタート地点とし最終的に秩父の三峯神社にまでオオカミの護符に導かれた著者の旅の記録。この旅の記録は自らの意思で歩んだというよりも導かれたという言葉が相応しい。
川崎市多摩区の出身ということもあり、とても身近に感じたことからグイグイ書物に引き込まれてしまった。
読後感は穏やか。
自分の出生地や産んでくれた両親、親戚一堂など今まで蔑ろにしていた自分を反省するのに十分な内容だ。この土地に対し何かできること(稼ぎでなく仕事)はないだろうかと考えさせてくれる良書である。 -
新興住宅地の元農家の家で育った著者は、あるとき古い土蔵の扉に貼り付けてある、なにやら黒い犬らしき獣が妙に気になった。いったいこれはなんだろか。そこから歴史らしきものがないと思われていた町の過去を遡る旅が始まる。
富士講みたいな山岳信仰であることは早い段階からわかる。黒い獣の正体は狼だろうことは表紙を見ればわかる。民俗学的に珍しい事例がでてくるわけでもない。でもこのような講がいまでも細々ではあるが、しかもたまプラーザがあるようなちょっとハイソな新興住宅地で機能していることは意外だった。
著者は丹念に取材を重ねていく。毎年代表を選んで、御嶽山に参詣するのが講の主な活動だが、昔は参詣するのが若い男衆にとっては、なにより楽しみだったらしい。なぜなら山のそばには温泉が湧き、そこには温泉街があるわけで…
野暮なのでこれ以上は言わないが、こんな本音と建前がわかるのも、著者がお年寄りの方々の生きた声を取材できたからだろう。
信仰と生活が不可分だった時代、自然への畏敬の念を持ちながら窮屈になることなく、大らかに生きていた農村の暮らしがわかって面白かった。
で、なんでまた再読したかというと、最近テレビでこの護符がチラッと映ってたのを見かけたことと、神奈川県立歴史博物館の内部に再現されてる農家の柱に貼ってあったのを見かけたこときっかけ。当然ながらテレビも展示もこの護符の解説なんかしてない。
些細なことだから誰も気にしないし、無理もないが突き詰めると面白いのに。先月は六本木のフジフィルムギャラリーで秩父のオオカミ信仰の写真展示もあったし、ジャック・ロンドンのオオカミ小説を読んだし、角幡唯介の「極夜行」ではオオカミ食べるしで、その度にこの本を思い出してたので、もう一回読んでみようと。意外と内容を覚えていないもんで、いろいろ発見があった。
たぶんだけど、オオカミは警戒心が強いから、家畜は襲っても、よっぽど逼迫しないと人を襲わなかったと思う。だから農家にとってはありがたい存在だったんじゃないかあ。鹿や猪の被害に苦しんでいる農家がオオカミを神の遣いとして、崇めるのも肯ける。あと武蔵野を囲む関東圏の山にこの信仰が根付いたのは、峻険な土地が多いため、たぶん熊がいなかったんじゃないかと思う。食物連鎖の頂点がこの地域ではオオカミだった。熊の分布を調べたわけじゃないから確信はないけど。誰か知ってたら教えて下さい。 -
「オオカミ」が気になって読み始めたのだけれど、おいぬさまの護符をきっかけに、農民の土着の信仰を守ってきた人たちのお話でした。れはそれでとても興味深く、これにかぎらず古い民俗的な風習がどんどん失われていく今がせつないです。
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関東圏に多く広まっているイヌの姿を描いた護符。
作者の家にも貼られていた。
身近な題材であるその護符を調べていくうちに、オオカミを祀る神社とそれを支える講という仕組み、そして山岳信仰へと調査は進む。
本書に描かれるエリアが非常に身近なものであることから、とても興味深かった。
観光客気分で向かえるところではなさそうだが、ぜひ現地に赴き、直にその痕跡に触れて見たい。
そんな気にしてくれた。