無国籍 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (371ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101360218

作品紹介・あらすじ

日中国交回復により、「台湾籍」が認められなくなった結果、「無国籍」という身分を選んだ人たちがいた。そんな家庭に生まれ、横浜中華街で育った著者は、ある日、台湾への入国も日本への帰国もできず、空港から出られない衝撃的な経験をする。国籍とは?民族とは?アイデンティティの基盤とは何か?国家と家族の歴史に向き合い、深く掘り下げた体験的ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 2004年に出版された本が新たに文庫化されたもの。著者は1971年横浜中華街生まれ。台湾から日本へ渡った両親は、1972年の日本と中華民国の断交にあたり、一家が中華民国国籍を放棄して無国籍となることを選んだ。
    中華圏に興味があるため、日本に住んでいる華人の状況を本人が書いておられるということで、非常に興味深く読みました。子供の頃は考えられなかったほど気軽に海外へ旅行している現在、国籍という「身分・保証」がなければこんなに不自由なのかと驚きました。生まれた国・育った国・親の国など、異なる国と国の狭間にいるからこそ、縁のある国同士が争ってほしくないと考え、どの国にも愛着を持つ…ただの旅好きな日本人の私にさえ、それに似た感覚はあります。著者の研究活動がさらに多くの人を助けられるよう、願っています。

  • ふむ

  • 長らく積読状態だったものを読了。
    著者ご本人が生まれてすぐ日中国交正常化を機に、自身の意志と関係なく、無国籍隣となり、その後の自身のアイデンティティを確立するまでの苦悩が描かれている。ちょっと語弊があるかもしれないが、文才もあるので、読んでいてとても面白い。民族としてのアイデンティティと国籍を同視しているように見受けられるが、ここは私個人とはちょっと考え方が違うかもしれない。

    前半の高校時代ぐらいまでの物語は、中華街版しろばんばじゃなかろうか、というぐらいどこか牧歌的でほのぼのとしている。中華学校から日本の高校に入ってからの文化の衝突も帰国子女の話とも重なり、興味深い。大学に入ってから本格的に探求していく様子はそのエネルギーと自身の道筋を見つけ、邁進していくあたりは脱帽もの。また国交正常化にあたっての横浜中華街の混乱ぶり等も描かれており、興味深い。

    無国籍ではないが、私自身台湾人よりパスポートが何色になっても今まであなたが日本人として生きてきた事実は変わらないし、これからも日本人なんだよということを教わって以来、パスポートはただの事務処理、便利なものを持てばいいだけという認識でいる。その台湾人も同様かつ中国大陸からのリスクヘッジという意味合いで四人兄弟全てが違う国籍を持つというような環境だった。

    中華系の方々にはそういった柔軟性があると認識していたので、著者自身の苦悩はどこか日本で育った日本人的生真面目さから、アイデンティティを国籍に求め、それが無かったことから悩んでしまったのではないだろうか(と勝手に推測)。そのアイデンティティを探す旅で博士号まで取得し、今はそういった人々をサポートする側に回っているというのがとてもすごい(ボキャブラリーが貧困で他にどう表現すべきか)。

    あと後書きにある、無国籍者で居場所がなく、自殺未遂すらおこしてしまった人物が、復興ボランティアにいってまた来てねといわれたから・・という理由で福島への移住を考えているという話が出てくるが、それはとても悲しい。。国籍の有無に関わらず、セーフティネットは必要だな。。

    P.30(日中国交正常化)
    衝撃は日本に住む中国人、いわゆる華僑の人たちの間を駆け巡った。反応はそれぞれの立場でまちまちだった。東京・港区麻布にあった中華民国の大使館は閉鎖され、のちに中華人民共和国の大使館は閉鎖され、のちに中華人民共和国の大使館となった。(中略)「中国」政府に属する土地や各種財産の所有権をめぐり、日本における華僑社会は混乱した。今まで中国共産党率いる中華人民共和国にシンパシーを感じてきた人々は、五星紅旗を掲げ祝宴を開き、自分たちの信念が認められたことを祝った。その一方で、国民党率いる中華民国・台湾を支持してきた人々は困惑し、苦境に追い詰められたように感じた。
    それまで、華僑社会のなかでは、祖国の内戦、中華人民共和国の誕生、多数の餓死者を出したといわれる大躍進政策、文化大革命、台湾の経済発展など、中国、台湾において政治経済的な動きが出るたびに、中華人民共和国指示派、中華民国支持派などのように、絶えずいろいろな形で「中国」ナショナリズムが掲げられ、人々の「国家」に対するアイデンティティは激しく揺さぶられてきた。その複雑な胸のうちを察することなく、日本政府は華僑にひとつの決断を迫ることになるのだった。「国籍をどうするか」という問題である。華僑たちはみな変わらず「中国人」ではあっても、日本が認める「中国」の意味合いが変わるのだ。華僑たちは、困惑した。
    外国人登録場の国籍「中国」の欄に、中華人民共和国国籍の人も、そして中華民国国籍を有する人も、入ることとなった。また、一九世紀末や二十世紀初頭など、国籍の概念も薄ければ、パスポートなど旅券による出入国制度もしっかりしていなかった時期に日本にやってきた華僑やその子孫たちは、戦後、中華民国パスポートを持って来日した華僑とは違い、国籍を証明する政府発行のパスポートを持っている人がほとんどいなかった。そのため、日本の「中国」に対する国家承認が変わったということで、自分の国籍をどうこうする必要はあまりなかった。
    戦後ライに獅子、しかも中華民国を証するパスポートを所有していた人たちは、どうすべきか悩んだ。中国人として、いままでのように日本で暮らしていくため、中華民国国籍を維持し、国交のない国の国民として生きていくのがいいのか、それとも、国籍を中華人民共和国に変更し、国交のある国の国民として暮らしていく方がいいのか。あるいは、日本国籍に帰化し、日本の国民として暮らしていくのがよいのか、選択を迫られたのである。
    この頃、日本政府の配慮から、帰化を申請する人には短期間で日本国籍が与えられた。帰化することを選び、日本名になり「日本人」に変わっていく人たちは多かった。中華人民共和国の国籍に変更する人たちもいた。また、日本での生活に見切りをつけ、アメリカなどに再移民し、日本をあとにする人たちもいた。

    P.75
    高校三年生の頃、世界史を選択肢に選んだ。(中略)第二次世界大戦に関する授業が行われたとき、私は教科書に綴られている文字、それにそって話す先生に授業内容に違和感を覚えた。
    一九四五年に発表されたポツダム宣言に話が及んだ。アメリカ、イギリス、ソ連、中国の首脳がドイツのベルリン近郊にあるポツダムで戦後の世界の枠組みについて話し合った。また日本に無条件降伏を求めた上で、戦勝国による分割統治にするのか、それとも日本人に主権を持たせた上でアメリカ主導型の占領統治にするのか議論が交わされた会議でもある。
    私は、各国の首脳たちがどんなことを主張したのか、かつて中華学院で学んだ内容を思い出していた。そしてそこで果たした中国の役割も。
    授業で先生はアメリカとイギリスの首脳がアメリカ主導での統治を主張し、それが実現したことを教えた。このため、日本は各国による分割統治を免れ、今の日本があることも強調した。その一方で、中国をはじめとする他の国がなにを考えていたのかについて一切触れられなかった。(中略)私が中華学院で習った教科書には、日本が敗戦した八月一五日、蒋介石が「以徳報怨」(徳を以って怨みに報いる)という演説をし、日本に対しての賠償請求権を放棄し、のちに日本の分割統治に反対する立場の基礎を築いたと載っていた。
    私は手を挙げ、こう質問した。
    「先生、中国の首脳も日本の統治について意見を述べたはずです」
    先生は戸惑った表情で「うーん。陳さん、来週までに、調べてきます」と応えた。チャイムが気まずい雰囲気を救った。
    よくゆう、先生は私を呼び、「調べても見つからなかったよ」と言った。(中略)この件があり、私は歴史というものが、国や人の見方によって、さまざまに書き換えられ、解釈されるものであることを、はじめて知った。

    P.118
    中華街で暮らす華僑と一口に言っても、移り住んできた時期やその立場はさまざまである。
    第二次世界大戦以前に、広東や福建、上海など中国から直接日本に移り住んできた者もいれば、戦後、香港や台湾などを経由し移住してきた人々もいる。また、最近では一九七八年の改革解放以後、あらたに中国大陸から来日している人もいる。みな、経験している歴史、信じている思想もさまざまだった。共通していたのは、中国人として、大陸と台湾、時によって移ろう勢力の狭間で翻弄され続けてきたことだった。祖国を離れ、中華街という小さなコミュニティのなかで、歴史の流れを受け止める華僑たち。しかし、彼らの中には祖国に対して何かをしなければならないという意識が根強くあることも、父や周りの大人たちから日頃感じていた。(中略)
    一九四九年、中華人民共和国が成立したころ、国民党と共産党の政党争いはすぐに終わらなかった。その影響で、横浜の中華街のなかでも、華僑たちが共有する財産の所有と管理、学校教育でどちらの政府を支持するかなど意見は分裂した。その結果、新中国を支持する人たちは、かつてとは違う新中国寄りの歴史教育、簡体字による国語教育など、新しい華僑教育をスタートさせた。それ以来、横浜の華僑コミュニティには、いわゆる台湾系の華僑学校と大陸系の華僑学校が並立するようになり、華僑といえども、どの学校に通うかによって、受ける教育も違えば、イデオロギーも左右され、そして、誰が自分の仲間かという街のなかでの人間関係も当然ながら影響されるのであった。(中略)個人が無意識のうちに国家によってすり込まれるアイデンティティや愛国心、そして仲間意識というのは、実に恐ろしいものである。なぜなら、その国の外にいる人々にまでも、国の意志は届くからだ。場合によっては国内にいる人より強く影響を受ける。

    P.205
    無国籍者のことを思い巡らすと、彼らは、国民である多くの人々が意識もせず、ただただ当然と思っている「日常的な」ことを、何気なく打ち消してしまう存在のように思えた。しかも、ため息をつきながら無気力に。国のもつ矛盾を嘲り、国家や国境の無意味さを鼻で笑うかのように。
    しかし、実は彼らこそがもっとも、国家、国境、国籍が持つ威力を身にしみて感じており、それに翻弄され、怯えに耐えて生きている人たちであることを、だいぶ後になって知った。しかも、無国籍者はしばしば、強いナショナリズムや執着心を持つ人々であるといことも。

  • みんなとは違う、性格、嗜好、見た目だけでも人間社会では悩み苦しむことが多いというのに、もっと遥かに大きなトピックで人とは違う、自分だけ違う状態で生きてきた陳さん。stateless。

    彼女のようにアカデミックに結果を残してきた方だからこそできる、無国籍者の苦しみや人生。なかなか触れることのないトピックで、気になってしまいあっという間に手を休めることなく読み終えてしまった。

    紙幣は突然価値を失い一文無しになることもあるかもしれない。でも、勉強だけは、培った知識だけはなくならない。だから、勉学に励みなさい。

    激動の時代を生き抜いた両親だからこそ言える言葉。

    逆境というのは、それを乗り越えるだけのポテンシャルを持った人のところにだけ現れるのだろうかとも思えるほど、陳さんの並々ならぬ努力にただただ感心するばかり。

  • 日本で生まれ、横浜中華街で育ち、日本で学び、海外に留学し、そんな世界を股にかけながら「無国籍」である筆者によるノンフィクション。

    自分は日本生まれ日本育ちであり、日本人であることを「良かった」と思っているタチである。そのため筆者の体験してきたようなことに出会うこともなく今まで生きてきた。
    世界には、日本の中にはこのような人々が数多く存在するのだということを知り、そして理解するうえでは筆者の様々な思い、葛藤がこもった本書を読むのはとても勉強になったと思う。
    出身や環境の異なる者同士の相互理解はかなり難しいだろうが、そもそもお互いのことを知っているのと知らないのとでは大きな違いがあるだろうから。

  • 国籍がもつ重みは常々感じていたが、無国籍とはなんと厳しい状態か。人権といえども国家がそれを保障することが基本となっている現代社会では、国家、国籍が大きな拠り所になる。本書は著者の経験をベースに無国籍とは何かを鋭く問いかける。また、国籍の問題を考えることで、何が人間にとって重要事か考えさせてくれる。

  • 来日後の日本の生活が自分と重なり、涙を禁じ得なかった。

  • 筆者は日本で生まれ、育った外国人。しかし、国際情勢のために、「無国籍者」として扱われることとなる。この本は、国籍をめぐって筆者が遭遇した出来事からアイデンティティの基本を掘り下げて考えた体験ノンフィクション。具体的に筆者が経験した事件を読み、追体験することで、読者も普通当たり前のように考えている「国籍」について新たに考えることがあると思う。

  • 当事者による貴重な体験と研究

  • これは国際法や国籍法によって「無国籍」となり、人生を翻弄された女性研究者の伝記です。
    読むと、たいへん理不尽な理由によって、差別を受け続けてきたことが分かります。
    さらに恐ろしいことに、このような「無国籍」者が国や土地によっては、増え続けているとのこと。
    そして、その数例については、日本が無関係ではないということです。

    このような問題を早く解決できるよう、国連がリーダーシップを取って、各国との調整を進めることを願います。

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著者プロフィール

早稲田大学国際学術院国際教養学部 教授,博士(国際政治経済学)
おもな編著書・論文等 『無国籍』(新潮社,2005年),『忘れられた人々――日本の「無国籍」者』(編著,明石書店,2010年),『東アジアのディアスポラ』(駒井洋監修,小林知子との共編,明石書店,2011年),「日本における無国籍者の類型」(『移民政策研究』第5号,2013年)など。


「2016年 『パスポート学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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