国道16号線: 「日本」を創った道

著者 :
  • 新潮社
3.38
  • (14)
  • (37)
  • (47)
  • (13)
  • (4)
本棚登録 : 515
感想 : 57
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103537717

作品紹介・あらすじ

首都圏をぐるり、330キロのこの道は、日本史上常に重要な地域であり続けた! 旧石器時代から人が住み、武士集団が駆け、頼朝と家康を呼び寄せた。近代に入ると絹と軍艦で経済を支え、ユーミンはじめ新しい歌がここから生まれた――横須賀、横浜、町田、八王子、川越、柏、木更津、と該当エリアには1000万人が住み、全国一混雑する道でもある。「道」と「地形」で読み解く、なるほど!痛快文明論。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 【感想】
    「ショッピングモールとラーメンチェーンとコンビニと倉庫が並んでいて、周囲に田んぼや畑が結構あって、時々トラクターが近所を走っている。週末の夜には暴走族がかつてたむろしていた。電飾眩しいデコトラを見かけるときもある。およそ都会ではない。かといって風光明姻な自然があるわけでもない。そんな、ビミョーな場所」。

    本書の中でこう語られているとおり、国道16号線沿いには「中途半端な都会」「何でもあるが面白いものは何もない」というイメージがついている。これは16号線に限らず郊外ロードサイドに隣接する地方都市の宿命ではないだろうか。

    その「ダサい」イメージに待ったをかけたのが本書だ。「16号線沿いから日本の歴史は始まった」といっても過言ではないほど、この道路が現代社会に与えた影響は大きいとし、「地形」「音楽」「歴史」「産業」といった多様な観点から16号線の凄さを読み解いていく。

    16号線は複雑だ。小流域と呼ばれる地形を結ぶように作られたため、アップダウンが激しい。治水技術に乏しかった中世までの時代において、多くの人は大河川沿いよりも小流域沿いに点々と住んでおり、その点をつなぐ線の役割を担ったのが16号線の原型である。現在の地方都市と言えば鉄道網で結ばれているが、小流域都市は馬と街道で結ばれており、16号線は地方都市と地方都市を繋ぐ大動脈であった。
    小流域都市の繁栄は戦前まで続く。戦後は鉄道網の発展により影をひそめるも、高度経済成長がモータリゼーションを後押しし、加えて都心の地価高騰におけるドーナツ化現象も相まって、ふたたび16号線が勢いづく。ヨーカドーやイオンなどの大規模ショッピングモールがこぞってオープンするようになると、住居は郊外に構え、平日は鉄道で都心に通勤し、休日はロードサイドのお店で一日を過ごすという生活が一般的になった。しかしその後は都心の再開発により都心回帰が起こる。そして現在は、コロナによるワークスタイルの転換から、再び16号線が注目されているというわけだ。

    16号線が発展していったのはこのような流れだが、本書の特徴的なところは、現代における勃興だけに焦点を当てるのではなく、旧石器時代や縄文時代、鎌倉時代にまで視野を広げ、「16号線は昔から日本の礎であった」としているところだ。
    なかなか挑戦的な説であり、語られる内容もとても面白いのだが、実際には少し盛りすぎな部分がある。
    そもそも、「16号線が凄い」というよりも、16号線に接続する横浜や横須賀の力が凄い。この2つはペリー来航から現代に至るまで文化と産業の中心地であり、最先端の異文化に触れられる玄関口でもあった。本書ではまるまる1章を割いて「戦後日本音楽のゆりかご」を語っているが、これは横須賀を始めとする米軍基地に兵士が運んできたアメリカカルチャーのおかげであり、別に16号線のおかげではないと思う。実際、横浜や横須賀と同じ「湾岸地帯の16号線」である千葉県については、文化的影響は一切語られていない。そもそも本書全体として、船橋より南側の京葉工業地帯には全く触れていないのだが。

    それ以外にも結構「それは流石に…」な記述は多い。例えば「富岡製糸場が作った生糸が八王子に集積され、それを横浜港まで運ぶ役割を担った」という部分については、利根川などによる舟運や、高崎線や八高線の鉄道網、また養蚕の盛んな山梨や長野をつなぐ青梅街道や甲州街道の役割が大きく、16号線は単なるラストワンマイルにすぎないんじゃないかと思う。

    全体的に、「16号線は交通網として便利だから、色々歴史的な場所を繋いでいるよね」という理由に帰結することが多い。16号線が日本を変えたというよりも、便利なところを色々結んでいたのが16号線だった、という温度感のほうが妥当なのかもしれない。
    筆者があとがきで本書の内容を「16号線の妄想」と述べているとおり、きっちりとデータや数字に裏付けられた学術書として読むのではなく、「16号線はこんなに凄いぞ!」というスタンスで肩ひじ張らずに読むのがオススメだ。
    ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 日本の礎を築いた「国道16号線」
    国道16号線エリアは、古代から現代に至るまでの日本の文明、文化、政治と経済のかたちを規定してきた。
    その要因は「道」そのものではなく、「道」が走る「地形」のほうにある。16号線が貫いている地域の土地の形は、人々がわざわざ住み着きたくなる理想の「地理的な条件」を備えていたからだ。

    国道16号線は1962年5月に現在のルートで指定を受けた。東京の中心部を遠巻きにして東京湾の周囲をぐるりとまわる環状道路であり、三浦半島から始まり房総半島で終わるこの道は、神奈川、東京、埼玉、千葉の4都県27市町をつないでいる。
    東京以外の3県において、16号線沿い人口の比率はとても高い。16号線が通過する4都県27市町の人口合計は1185万3776人だ。4政令指定都市の16号線通過区の人口だけを合算しても859万9884人になる。16号線エリアは、東京23区や京阪神都市圏に匹敵する、日本屈指の人口集積地帯といえる。

    また、16号線は「異国」「アメリカ」「軍」と繋がった道とも言える。国際港である横浜港や中華街のある山下町を通り、横須賀、相模原、福生にかけては多くの米軍基地がある。
    日本の近代が始まったのは16号沿いからだ。黒船が横須賀の浦賀沖に現れた後、日本は諸外国と貿易を行っていくわけだが、その主要産品は生糸・繊維であり、機織り業の中心地であった八王子が興隆するきっかけとなった。ここで稼いだ外貨を使って富国強兵を推し進めたのだが、軍艦の建造を行ったのは横須賀鎮守府である。こうした軍備増強に伴い、戦後に「16号線」として一本に繋がれる首都圏内陸部の台地には、日本陸軍施設が配備された。第二次世界大戦に敗北してからは、道路沿いに配備された旧日本軍施設はGHQに接収され、その多くが米軍基地となり、アメリカ文化の拠点となった。

    第二次世界大戦を経て戦後の高度成長期に入ると、首都圏の外郭をつなぐ環状道路の整備が必須となった。工業地帯が活況を呈し、原材料や製品を運ぶ物流の規模が飛躍的に拡大していく。一方で人口が増大し、人々の移動量や商業物流も伸びていき、郊外にはニュータウンが続々と造成された。首都圏の交通と物流のニーズに応えるべく、1963年、16号線が首都圏の外周をつなぐ環状道路として施行されたわけである。
    以来、16号線は首都圏の物流を担う道路としての機能を担ってきた。国道や高速道路38本と接続しており、高速道路を走ってきた物流車両は、都心を通らずに、16号線を介して別の高速道路や幹線道路に接続でき、横浜港や京浜・京葉工業地帯にアクセスできる。

    バブル崩壊後の1990年代には消費のモータリゼーションが始まる。各鉄道の沿線単位ではなく、それぞれの鉄道の駅を横串に刺した16号線が舞台となり、ヨーカドー、イオン、トイザらス、ブックオフなどのロードサイド店舗が続々と展開する。なかでも成功を収めたのは三井不動産商業マネジメントであり、ショッピングモール「ららぽーと」や「三井アウトレットパーク」を展開している。


    2 16号線を「地形」から見る
    16号線を走るルートはアップダウンが多い。「山と谷と湿原と水辺」がワンセットとなった「小流域」地形を延々と通っているからだ。
    小流域はもともと干潟や湿地のような湿原環境を有していた。小流域の地形は凸凹が多く、平地が少なく農業に向かないため、一見暮らしにくいように見える。が、河川が乱立する日本においては、巨大河川沿いやその周辺の大型平野は、治水の難しさから住みにくかった。古代の人々にとって地理的条件上もっとも暮らしやすい場所が小流域だったのだ。
    16号線沿いに、道が生まれる前の古い遺跡や貝塚、縄文遺跡がたくさん見つかるのがその証拠である。人々を引き寄せた地形が現在16号線となった道をつくったのだ。

    ただ、小流域地形自体は16号線エリアだけでなく全国的に見られる。その中で何故「16号線が日本の文明と文化を規定した」と言えるのかというと、三浦半島と房総半島という2つの半島の存在と、首都圏をぐるりと取り囲んで広がる複数の台地の存在があるからだ。これらによって、常に新しい文化と文明が流入し続けたのだ。

    2つの半島からは、海を介して遠く離れた地域や異国の文化が流入し続けた。そして半島に形成されたリアス式海岸が、日本が近代国家の仲間入りをするうえで欠かせなかった国際貿易港と軍港を明治政府に提供してくれた。台地地形は、たくさんの古代人の暮らしの場所となり、火山灰と水はけのよさから馬や牛を育てる格好の場所となり、武士団を生んだ。近代になってからはその場所が飛行場となり、戦前は日本の富国強兵の柱に、戦後は在日米軍の拠点となった。


    3 江戸時代以前
    徳川家康が幕府を江戸に移すまでは、「江戸地域は寒村だった」というイメージがあるが、実は違う。江戸城を作った太田道灌が16号線エリアに、江戸湾と巨大河川の水運を利用できる街の構造を作り、各地に城を築いたとされている。

    江戸時代以前の関東の中心は鎌倉である。政権を鎌倉に打ち立てた頼朝と幕府が力を入れたのは、権力の道を作ることだった。鎌倉街道の整備だ。
    鎌倉街道は1本ではなく、主に7本の道から成り立っている。メインルートは、町田から入間を経て高崎に至る上道、溝口から渋谷を経て岩槻、古河に至る中道、横浜の金沢から品川を経て柏、常陸国国府に至る下道の3本だ。これに甲州に向かう道、秩父へ向かう道、京都と鎌倉を結ぶ道、三浦半島から房総半島に渡り、常陸国に抜ける道の4本が加わる。鎌倉街道を現在の地図に重ね合わせてみると、千葉と神奈川の東京湾側、町田、橋本、八王子、入間、狭山、所沢、岩槻、取手を通っているとわかる。いずれも16号線エリアの街だ。


    4 シルクロードとしての16号線
    16号線は、日本の生糸の生産地と世界をつなぐルートとなり、日本のシルクロードになる。
    幕末の開国以来、日本の生糸のほとんどが横浜港から海外へ輸出された。このとき日本各地から集まった生糸を集積して横浜港に送る中継地点となったのが八王子である。八王子はもともと蚕の餌となる桑の名を冠して「桑都」と呼ばれるほど養蚕業が盛んだった。養蚕の盛んな山梨や長野とは甲州街道でつながっており、北上すれば現在の群馬や栃木、新潟などの養蚕地である。江戸時代には、八王子に集積された生糸や加工された絹製品が江戸へと運ばれた。幕末に横浜が開港し、欧米各国が生糸を欲するようになると、八王子から大量の生糸や蚕卵が数キロ離れた横浜港へと運ばれるようになった。このとき八王子と横浜を結んでいた街道はのちに「絹の道」と呼ばれるが、そのルートは現在の16号線と重なる。


    5 16号線の未来
    16号線エリアに暗雲が立ち込めてきたのは2000年代になってからだ。東京湾岸沿いや武蔵小杉など、都心の工場跡地や埋立地に超高層マンションが次々と建設され、都心回帰現象が起きた。2010年代にはニュータウンの住民も高齢化し、「年老いた郊外」の象徴となってしまう。
    しかし、2019年から2020年にかけて、多摩田園都市の開発を行ってきた東急グループや、郊外に多数の店舗を展開する三井不動産グループ、メディア企業のKADOKAWAなどが16号線エリアに大型投資を行い、新しい「街」をつくっている。
    その理由は、新たな子育て世代が移り住んできているからだ。「0〜14歳の子どもの転入超過数」ランキングのベスト10はすべて郊外の街である。しかも、このランキングには16号線が通る街が3つ、隣接した街が4つある。
    都会の便利さと郊外のゆったりした雰囲気を両取りしようとしたとき、16号線エリアは現実的な選択肢なのだろう。巨大都市=東京の縁を走る国道16号線は、「都市が大好き」「自然が大好き」という一見相矛盾する人間の両方の本性を満たしてくれる、最適解を持ったところなのかもしれない。

  • 【内容紹介】
    首都圏をぐるり、330キロのこの道は、日本史上常に重要な地域であり続けた!旧石器時代から人が住み、武士集団が駆け、頼朝と家康を呼び寄せた。近代に入ると絹と軍艦で経済を支え、ユーミンはじめ新しい歌がここから生まれた――横須賀、横浜、町田、八王子、川越、柏、木更津、と該当エリアには1000万人が住み、全国一混雑する道でもある。「道」と「地形」で読み解く、なるほど!痛快文明論。

    ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

    首都圏の皆さんにとって「郊外」と言うと、東京の西部や埼玉、千葉などがイメージされると思います。都心で家は買えない、でも郊外なら…と考えた場合、該当するのはこのエリアでしょう。国道16号線はそのような地域を繋ぐ環状の国道です。この本は、そんな国道16号線エリアが実は遥か昔、石器時代から人が集まり、文化が育つ重要な拠点になっていた…という内容の本です。
    この本で書かれている多くの人と同じように、私も「江戸幕府が開かれるまで、関東平野は寂しい原っぱだった」という認識でした。その認識が覆されたのは衝撃でしたが、よく考えると鎌倉幕府もありましたし、何もないところにいきなり日本の中心が現れるほうが不自然なんですよね。
    高度経済成長期にニュータウンが乱立し、今は高齢化で寂れつつあるのもこの16号線地域だそうですが、この地域に人間を惹きつける力があるなら、必ず復興する時期がくるはずです。現にアウトレットやテーマパークなど、再開発が進んでいる地域でもあります。魅力ある場所は、何度でも甦るんですね。
    私は関東在住ではありませんが、もし関東在住ならきっとこの地域に住みたくなっていたと思います。街と自然が絶妙なバランスで存在していると思うからです。

  • ■ Before(本の選定理由)
    大学の頃から、馴染みのある国道16号。
    重要都市を結んでいるから幹線道路なのでは?
    どんな論旨なろだろう。

    ■ 気づき
    想像したよりも、ずっと広いテーマで筆者の熱意が伝わってきた。地理、歴史、経済、政治、サブカル、凄まじい横の拡がり。しかしそれも、16号線というフィルターを通して世の中を見ているものの、点と点が繋がらずバラバラな感じがした。勿体ない。

    ■ Todo
    首都圏を取り巻く外環?の重要性は住んでいて認識。
    歌や小説の風景に思いを馳せるのは面白いかも。

  • 関東の郊外をぐるりと巡る「国道16号線」。その沿線の興亡を扱った近代史的なものだと思っていたらさにあらず、なんと人類が日本列島に到達したところまで遡る壮大な話が展開されている。
    著者の幅広い知見と好奇心に裏打ちされたコンテンツ群はバラエティに富んでいる。あまりにバラエティ豊かなので時折振り落とされそうになる。
    考察に頷けるところもあれば、いやさすがにそれは強引だろうというところもある。
    もう少しワンテーマで掘り下げてもよかったのでは、という気もするが国道16号線沿線に興味をもつという意味ではこの雑多さがよいのかもしれない。

  • 柳瀬さんの好奇心の旺盛さに圧倒されました。鵜の目鷹の目で、森羅万象を一つの街道を軸に紡いでいます。

    音楽や生糸の話は筆者がもともと詳しかったりちょっと調べたりすればわかりそうですが、プレートから入るのにはただただ感心しました。昆虫の話もとても興味深いです。さすが編集者ですね。

    あとがきもよいです。息子とフォールドワークしたくなりました。

    柳瀬さんがこんどは中央線について書きたいと匂わせていたので、そちらにも大いに期待します。

    追伸。わたしは大学時代つくば市にいたので、柏の16号を越えるのが一大イベントでした。何かその理由がわかった気がします。

  • 国道16号線エリアが日本を創った云々は「こじつけだなあ」と思ってしまうのだが(pp.64-65の図は最たる例)、それはそれとして棚に上げて読めば面白かった。自分が育ってきた思い入れのある地域・時代の話が多いからだろう。硬軟とりまぜた話題を次から次へ繰り出す手際もなかなか

    ユーミンの郊外志向は公害ゆえではとの仮説など、自分の幼少時と重ね合わせて膝を打ってしまった

  • 地元民として長年16号線とは濃い関係を続けてきた。共鳴する一方、違和感も少なくない。16号線エリアに特有でない事象を恰も特化してるようなこじ付けが多過ぎ。16号線エリアなるものをあまりに幅広に捉え、もうそこは16号線エリアではないだろうという地域を根拠にした強引な展開が不自然否めない。今時の様々な事柄をわんさか盛り込んでいる筆力は凄い。

  • 読んでいると、今すぐ16号線を車で走破したくなる。道路が作られるということは何らかの意味がある訳で、軍とのつながり、地形との関係、結びつけて想像する楽しさがある。

  • 途中まで読んだが、エッセイにしては細かすぎ、論文としては、あまり読む気にならず。難しい位置付けの本でした。

  • 国道16号という着眼点が興味深い。
    地域を描く場合、面で書くのが一般的であるが、点と点を線で結びながら面で風俗を描く試みは面白い。
    地形から始まり、縄文時代、とんで埼玉、ユーミン、シルクロード、ロードサイドシティの興廃、ポケモンから最近のコロナ禍まで、テーマが飛び飛びになっている。
    テーマのそれぞれはトピックとして深堀されているが、トピック間の関連はそれ程強くない。
    点と点は興味深いものの、点と点を繋ぐ線=国道の結束が強く見えないのが、雑多に見える理由と思われる。
    とはいえ、個々のトピックは歴史好きには堪らない。
    国道16号沿いとカテゴリされている今の住まいを思い浮かべながら、三浦、横須賀、柏などに繋がる視座の高い着眼点。点を動的に捉えようとする試みは野心的ではあり楽しく拝読した。

全57件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1964年静岡県生まれ。編集者。日経ビジネス チーフ企画プロデューサー。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現、日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉/アー・ユー・ハッピー?』『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』『赤瀬川原平&山下裕二/日本美術応援団』『板倉雄一郎/社長失格』『武田徹/流行人類学クロニクル』など数百の本の編集を行う。TBSラジオで「文化系トークラジオ Life」「柳瀬博一Terminal」のパーソナリティも。2008年より「日経ビジネス オンライン」のプロデューサー。2012年より現職。プライベートでは、三浦半島小網代の谷の保全を行うNPO法人小網代野外活動調整会議の理事。週末の半分は、山の中でササ刈りをしたり、土木作業を行ったり、カニの数を数えたり、ムシの写真を撮っている。

「2015年 『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

柳瀬博一の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×