小林秀雄美と出会う旅 (とんぼの本)

制作 : 白洲 信哉 
  • 新潮社
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本棚登録 : 95
感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (127ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106020964

感想・レビュー・書評

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  • 西洋絵画、日本絵画、骨董の三章立て。
    小林秀雄が絵画を鑑賞するときは、表面でなくその奥に潜んでいるものを掬いとっているような印象を受けた。

    ゴッホの絵には狂気のあいだに正気の絵を描かなければならないという鬼気迫るものを感じる。モネの眼に映る色は壊れた光であると言い、烈しく、あらあらしく、何か性急な劇的なものさえ感じる。セザンヌの絵は音楽的。ルノアールには、根幹に描く喜びや生きる幸せを見い出す。ドガには絶望を感じる。

    日本絵画は、雪舟、本阿弥光悦や俵屋宗達、富岡鉄斎、梅原龍三郎などが紹介されていた。梅原龍三郎の絵画は音楽的と評されていた。セザンヌとはまたちがう音楽なのだろうか。

    骨董には「魔力」があるそうだ。気に入った骨董品は、観賞用ではなく、日々の晩酌に使用するところが彼のすごいところだ。わたしなら、気に入っており、また、価値があるものは、特別な日にしか使えない。友人たちと骨董品を交換したり、 友人の家で見た壺を黙ってもって帰るエピソードも。どうやらその壺が、持っていけよ、と言っているように感じたらしい。

    小林秀雄は、二流、三流のものを嫌悪し、一流のものだけを好んだと言い、まことに審美眼が鍛えられる本であった。

  • 朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」の鹿島茂氏の「小林秀雄的ドーダ」がおもしろい。ドーダの文学史49とあったので、単行本が楽しみ。

  • 故人ではあるが、戦後日本の批評家の巨人・小林秀雄を「美」という観点から、編集した本。本書は、そのまとめ方が実に秀逸だ。小林秀雄全集を大枚はたいて購入し、我が家に飾ってあるが、「よし、小林秀雄に挑戦しよう」と私に思わせてくれた功績は大きい。

    小林の眼=文、批評を通すと、さまざまな作品に、まごうことなき美が宿っていることが感じられから不思議だ。それも決して難解な表現ではない。気負ったところもない。そのまなざしは正直で温かく、直裁的なのである。

    西洋絵画、日本絵画、骨董とそのどれもが知っているようで、その実、自分がいかに浅はかな見方しかできていなかったかを感じられた。恐れ入る、とはこのことか。

    批評だけでなく、本書で知った生き様も小林秀雄は素敵だ。あんなふうに自分も歳を重ねられたらと心から思った。

  • 「本物を見なければ、眼が肥えない」と、子供の頃、教えられたが、小林秀雄が「ゴッホの手紙」を執筆するきっかけとなった「泰西名画展」の「鳥のいる麦畑」は、後に、宇野千代が、手に入れてきた「複製画」であり、本物を見た後でも、終生、家で、好んで眺めていたと言われる。(ルオーの絵とは、別に)「複製画」の中にすら、「ゴッホという人間」を見いだせるものなのであろうか?「むしろ、本物の方が、生々しい色使いで、堪え難いものである」とも言っている。
    あれは、ボルドー・ワインの輸入をしていた頃のことであろうか?途中下車でのパリのオランジュリー美術館で、モネの「睡蓮」を見たときのことである。日本では、自分勝手に、小さな絵であると思い込んでいたが、当時、改装中の館内の「睡蓮の間」は、想像とは、異なり、楕円形に作られた大広間の四方に、真ん中に、長めのソファーがあり、そこに、腰掛けて、その巨大な絵画を、じっくりと、眺めていると、太陽にきらめいて変化するその「光」と、その水面に反射する微妙な光に癒やされ、感動し、時間の経つのを忘れたものである。しかし、小林秀雄は、こう言う、「真ん中に立って、ぐるりと見廻すと、光の音楽で体が揺らめく様な感じがする。これは、自然の池ではない。誰もこんな池は見たこともないし、これからも見る人はあるまい。私は、モネの眼の中にいる、心の中にいる、そして、彼の告白を聞く。」小林は、明るい光の粒子に満たされた画面に、その「光と格闘する男の烈しさ」を見、心を癒やす柔らかな色彩に、「性急さ」を感じると、、、、、。良く絵画を見るときに、その時代背景や、画家の置かれた思想背景を考えながら、観賞すること、又、逆に、批評家のコメントや、一切の先入主を脇に置いて、無心で、観賞する方が、望ましいとも、、、、、。どちらが、適切なのであろうか?本物を見ること、審美眼を持つこと、そういう見方もあるのか、成る程、ますます、分からなくなってしまう。いつの日か、再び、オランジュリー美術館で、モネの「睡蓮の間」を、訪れる日が来たら、その時は、又、時を超えて、別の観賞の仕方が、あるのであろうか?依然として、壁に掛かった「複製画」を見る度に、悩ましくなる。我が老犬は、傍で、我関せず、爆睡中である。

  • 何が美しいか、なぜ美しいか、それを知ることで世界はずっと素敵になるのではないでしょうか。

  • 彼の審美眼に近づきたくて…

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