「死体」が語る中国文化 (新潮選書)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106036101

作品紹介・あらすじ

『史記』や『水滸伝』の昔に始まり、アヘン戦争、日中戦争、文化大革命へと至る近現代まで、中国史は戦争、動乱、圧政、自然災害などによる夥しい数の死体の上に築かれたと言っても過言ではない。そんな歴史が漢民族に植え付けた「死」と「死体」に対する感覚は、同じ東洋人でありながら日本人とはこんなにも違っていた-。「あの世」から中国を分析する刺激溢れる比較文化ルポ。

感想・レビュー・書評

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  • 日頃、死体や骨の神聖視・葬儀に関する決まりごに少し「うーん」と思ってたのでなんかちょうど良かった。
    別に骨を後生大事にしている人に「爪とか髪の毛も腐らないと思うんですが燃やしたんですか?」とは聞かないけど。

  • 一言でいえば目からウロコが落ちました。タイトル通りの内容です。おかげでこれまで中国を舞台にした映画ドラマ漢文学などでイマイチ理解できなかった事がみごとに点と線でつながりました。

    例えば西太后が薬になるからと嘘笑いを浮かべてライバルに自分のモモ肉(もちろん嘘)を渡すシーン。

    キョンシーが夜は道士に導かれつつ歩き、昼間は「義荘」で寝て、必死に里帰りを目指す理由。

    漢文に出てくる侮辱行為「ししびしお(敵の死体を塩漬けにして食べる)」。


    本書を読む前は、中国大陸は広大で何でもアリだから極端な事が表にでやすいのだろう程度の理解でしたけど、魂魄の意味や死体処理ネットワークの話を知ると、実は彼らにとって理由のある行為だったのだと分かります。単なる極端なグロテスク趣味ではないのです。苛烈な歴史に形作られた民族性と、島国日本とはスケールの違う大陸的な身体観および死生観を感じました。最終章あたりはやや筆がノリすぎな気もしましたが、全体的に非常に面白かった。

    中国に限らず異文化というものは、常に、自分が考えている以上に、根本から異なった物なのだと改めて謙虚になれました。昨今人気の中華ドラマにハマっている人や、日本国内から一歩も出ずに中国ヘイトに勤しんでる人、あるいは逆に中国を理想化してロマンを描いてる人など、みんなそれぞれに楽しみつつ、それぞれの目から鱗が落ちる本だと思います。

  • 凄まじい物を読んだ。中国において死にまつわる文化、またそれらの歴史が詳らかに紹介されている。特に心に残ったのは東華義荘のくだり。
    取り扱うテーマがテーマであるだけにショッキングな内容も多分に含まれるので、心して読まれたし。

  • 葬儀や墓参りに関する風習を書いただけかと思ったら、かなり赤裸々でえげつなかった。
    「葬儀や墓参りに関する風習」も書いている事は間違いないけれど、死体の扱いに
    ついての描写が容赦無い。
    それでも、著者が特に感情を交えず淡々と書いているためか、読んで辛いという程ではない。

  • 2008-7-16

  • 死体を立たせて故郷へ帰す「趕(走偏に旱)屍」の事が知れて勉強になりました。

  • 中国での昔からの死体の扱い方からその文化を解説する。

    例えば、日本では死者は死後、仏となり、子孫を見守るというような思想がある。
    本書はその中国版だ。

    中国では死者はどう考えられているのか、どう扱われているのか。
    それを通して中国の文化の一端が見えてくる。

    単純に本書にある「死体の扱い」という範囲のみでも理解しあうことは出来ないと感じる。

    しかし、それでも知ることに意味はあるのでは無いか、と考えるきっかけになる本。

  • 樋泉克夫著「『死体』が語る中国文化」新潮選書(2008)
    *中国では、あの世はこの世と連続するものと信じ、子孫と祖先とは生死を越えて血の絆で結ばれ死後も尚故郷を捨て去れない。死が日常にあふれ、死体への強いこだわりを持ち続ける中国人のメンタリティの根底にあるものは、生きることへの以上なまでの執着なのだろう。怒涛の経済成長の中であれ、死としたいへのこだわりを捨てないということは、そのまま生きることへの強い執念を意味する。中国人にとってあの世はこの世と同じように世知辛い。あの世の生活レベルは、この世の子孫がどれくらい援助してくれるかで決まる。あの世で祖先が豊かな生活が送れるように、子孫はせっせと働いて金儲けに励む。子孫が勤めを果たしたら祖先は子孫を守ってやる。ならば、祖先を敬うということは、心のあり方などという高尚な話ではなく、実は金儲けという現実的な振る舞いを意味することになる。この世とあの世、子孫と祖先の相互扶助。これらを結びすけるものが財力とは、なんともすさまじいばかりの超現実的な考え方である。
    *一方で、日本では日常生活で死体を目撃することなどはほとんどない。死を感じさせるものは意識的に日常の片隅においやられている。しかし、あまりに死の影の見えない日常というのも、考えてみればかなり不気味なものである。人間は生まれれば必ず死ぬ。生き死にがあるから人生。かつての日本では人々は無常を知り、だからこそ、一瞬の美しさをしる。そしてその中で独特な死生観を持っていた。そういう意味で死が隠蔽された現代の日本に生きる我々は本当の意味で生きていないのかもしれない。何もかもが目先の欲と上面の見栄えを求めるのみ。祖先も子孫のつながりも薄い。歴史も伝統も我関せず。経済大国の栄光にしがみつきひたすら内向きにその日暮らし。これが現代の平均的な日本像である。
    *人間復興とまでは大げさにいいたくはないが、死を考え死体とまっすぐに向き合うことこそ生きることを改めて考えることに繋がるのではないか。死体はじつに生き方こそを物語っている。
    *「口はひとつだが手は日本ある。だから生産は必ず消費を上回る」と力説した毛沢東は、膨大な人口こそが中国の財産であり、国力の源であることを信じて疑わなかった。

  • 「死体」のほうの密度が濃いようなタイトルだけど、どっちかというと「中国文化」「中国の歴史」寄り。
    最後のほうの葬儀屋についての記述が一番よかった。

  • マニアックぶりに脱帽☆彡
    かなり面白いし、これもまた中国人を知るに、中国を知る一つの見方だと思う。
    そんなに遺体になってもふるさとに帰りたい願望が強いんだなあと感心してしまった。
    遺体はこびやの話は想像しただけでも不気味。
    中国を知るにはこの視点大事!

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著者プロフィール

1947年生まれ。公益財団法人オイスカ理事。愛知県立大学名誉教授。中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務(1983年~85年、1988年~92年)。以後、愛知県立大学教授(1998年~2011年)を経て愛知大学教授(2011年~17年)。華僑・華人論の他に京劇などの中国庶民文化と政治の関係に関心を持つ。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社)などがある。

「2021年 『まことのちから』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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