人生はそれでも続く (新潮新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106109638

作品紹介・あらすじ

かつて日本中が注目したニュースの「あの人」は、いまどうしているのか。赤ちゃんポストに預けられた男児、本名「王子様」から改名した十八歳、バックドロップをかけた対戦相手の死に直面したプロレスラー、日本人初の宇宙旅行士になれなかった二十六歳、万引きで逮捕された元マラソン女王……。二十二人を若手記者が長期取材、特異な体験の「その後」を聞き出した。大反響を呼んだ連載をついに新書化。

感想・レビュー・書評

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  • 報道とは事実とその結果が流れてくることが多く「その後」が放送されることは少ないと思う。
    そんな中で、世間から注目を集めた人を中心にその人の「その後」を記したのがこの本である。ゴーストライター騒動の新垣隆氏、生協の白石さんの白石さんなど自分でも知っているような人が今はこんな人生を歩んでいて、そしてあのときどんな心境だったのか、というようなことが克明に描かれている。
    彼らが日本中から注目を受けた「あの時間」から、今の時間に至るまでの「その後」と「これから」の人生を必死に生きようとする人々の話には心を打たれました。
    今でも続いている「あれから」を読んでみたいと思いました。

  • 【感想】
    「時の人」という言葉は、今ではあまり聞かれなくなったと思う。SNSによって情報の消費速度が上がった今、世間を賑わせる人は雨後の筍のごとく現れては消えていく。人々はすぐに違う話題に飛びついていくため、世間から消えた「時の人」が再び注目されることはない。

    だが、ニュースになった人にも当然、そのあとの人生がある。いったい、彼らの人生はどう変わったのだろうか?テレビに出たことで好転したのか、それとも転落の憂き目にあったのだろうか?

    本書は読売新聞の連載企画、『あれから』を書籍化した一冊である。日本初の飛び級入学者、赤ちゃんポストに預けられた男児、金八先生の「腐ったミカン」など、世間の注目を集めた「時の人」の現在にスポットライトを当てたノンフィクションだ。

    例えば、佐村河内守のゴーストライターとして曲を作っていた新垣隆さん。
    事件が発覚してから、人前を歩くのが怖くなり、電車にも乗れない生活が続いた。「もう音楽に関わることはできないだろう」と思っていたが、騒動のあとバラエティ番組のオファーが増えたという。いずれも「断らない(断れない)」スタイルで露出を続けるうち、音楽の実力が広く認められ、次第に本業でも仕事を貰えるようになったらしい。今では仲間たちの支援もあって、大阪音楽大の客員教授を務めているということだ。

    しかし、マイナスがプラスに振れた人生ばかりではない。加藤裕希さんのように、未だ当時の傷が癒えない人も登場する。
    加藤裕希さんは2015年に発生した熊谷6人殺害事件の遺族だ。妻の美和子さんと長女の美咲さん、次女の春花さんが犯人のナカダ(ペルー国籍)に殺され、裕希さん一人だけが残された。事件から7年経った今でも、殺害現場となった家で暮らしている。
    裕希さんはナカダに死刑を望んだものの、判決は無期懲役だった。判決を受け裕希さんは、埼玉県を相手取り、約6400万円の損害賠償を求める訴訟を起こしており、現在は控訴審に向けた準備を進めているという。

    「話題性」の狭間で喜んだ人と、苦しんだ人。
    「人生はそれでも続く」。報道は一過性であっても、彼らが生きた証が消えることはない。
    ―――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 日本初の飛び級入学で大学生になった17歳
    1998年1月、佐藤和俊さんは高校2年生で千葉大学に合格する。
    「科学技術の最先端を切り開く人材を育てたい」と、千葉大学が全国で初めて導入した飛び入学制度。合格者3人のうちの1人に選ばれた佐藤さんは、17歳の春、「大好きな物理の勉強に没頭できる」と意気揚々と大学の門をくぐった。あれから2年。佐藤さんは今、大型トレーラーの運転手となって、夜明けの街を疾走している。

    佐藤さんは大学卒業後、宮城県にある財団法人の研究機関に職を得た。しかし、初任給は15万円。さまざまな研究開発を行っていたが、とても食べていけない。32歳のときに千葉大との契約が終了すると、運送会社に就職、トレーラーの運転手になった。

    佐藤さんと同じく初代合格者となった梶田さんは、現在豊田中央研究所での研究職のポストについている。梶田さんは、「ポストや生活が安定せず、研究を諦める人は多い。自分も大学では厳しいと感じ、民間の研究機関に入った。このままだと日本の科学技術はどうなるのかという思いはある」と語っている。


    2 両腕のない主演女優
    1981年、サリドマイド薬害のため両腕がない状態で生まれた女性の日々を活写した映画「典子は、今」が公開された。主人公の典子さんは、熊本県に暮らす実在の人物、白井典子さん。

    完成した映画は、大ヒットした。日本映画製作者連盟によると、この年、「典子は、今」の配給収入は13億円に上り、年間第5位。高倉健さん主演の「駅STATION」(7位)など人気映画を上回り、全国の学校でも次々と上映された。
    「時の人」を一目見ようと、市役所には大勢の人が詰めかけ、山のような手紙も届いた。いつも「普通でありたい」と思い、行動してきたのに、主人公の典子は「障害を抱えて頑張っている特別な女性」として、一人歩きしてしまっていた。

    白井のり子さんはその後、熊本市役所を44歳で退職。退職後は講演のため、2014年までの8年間におよそ40都道府県を巡った。

    のり子さん「 『典子は、今』のような映画が今の時代、公開されたら観にいきますか?今は話題にもならないと思いますよ。もう世の中は変わりました」
    今、障害は一つの個性と捉えられる時代になったのだ。


    3 ゴースト作曲家
    佐村河内守のゴーストライターとして曲を作っていた新垣隆さん。「もう音楽に関わることはできないだろう」。そう覚悟した。ところが、人生は意外な方向に転がり始める。幅広いジャンルの音楽を手がける新垣さん本人の存在に、世間が気づいた。あれから6年余り。新垣さんは今、自分の名前で、音楽の道を突き進んでいる。

    もともと、佐村河内氏に作曲を依頼されても「断れない」タチから仕事を引き受けていた新垣さん。騒動のあと何故かバラエティ番組のオファーが入ったりしていたが、いずれも「断らない(断れない)」スタイルで露出を続けた。そのうち、ピアノの即興演奏で見せる音楽の実力が広く知られるようになった。騒動から1年が過ぎた頃には「本業」で次々と仕事が入った。バレエや映画の音楽、ポップスバンドへの参加……。

    1990年代から新垣さんを知る作曲家の西沢健一さんによると、難しい伴奏の仕事も、急な編曲の仕事も「新垣さんに頼めば何とかしてくれる」と業界では一目置かれた存在だった。記者会見の直後から、仲間たちは桐朋学園大に寛大な処分を求めるオンライン署名を開始。1週間で8000筆、最終的に約2万筆集まった。新垣さんは2018年に同大非常勤講師に復帰。20年からは大阪音楽大の客員教授も務めている。


    4 松井を5連続敬遠した投手
    1992年の甲子園、明徳義塾のピッチャーとして松井を5打席連続敬遠した河野和洋さん。
    高校卒業後は専修大学に進学し野球を続けるも、ドラフトでは声がかからなかった。社会人野球のヤマハに進み、プロテストを受けるも声がかからない。ついには米国に渡った。なんと、松井が大リーグのニューヨーク・ヤンキースで4番を打っていた当時、河野さんも米独立リーグ「サムライ・ベアーズ」などでプレーしていたのだ。

    メジャーには全く手が届かなかったが、野球漬けの日々は充実していた。30歳を少し過ぎて帰国。その後も、クラブチーム「千葉熱血MAKING」で監督兼選手になった。背番号は松井と同じ「55」。

    河野さんは41歳まで野球を続けた。プロで活躍はできなかったが、松井選手より少しだけ長く選手生活を送れたことが、誇りと言えば誇りだ。

    河野さん「あの夏がなかったら、その後、野球をやっていなかったかもしれない。怖いですね、甲子園というのは」
    松井「お互いが、あの出来事を人生の中でプラスにできた。つまり、どっちも勝者だと思うんですよね」

    河野さんは今、帝京平成大学の硬式野球部の監督をやっている。


    5 三沢光晴を殺したプロレスラー
    2009年6月13日、三沢光晴にバックドロップを決めた斎藤彰俊さん。バックドロップの直後から三沢は昏睡状態となり、その1時間後に亡くなった。死因は頸髄離脱だった。

    斎藤さんは、どんな厳しい言葉も受け止める覚悟で、三沢さんの死の翌日、6月14日に福岡で行われた試合に出た。試合中、罵声は飛ばなかった。「むしろ、温かい励ましの雰囲気だった。三沢さんのファンは三沢さんの人間性も支持していたと思うけど、その偉大さを改めて感じた」
    だが、リングの外は違った。「危険なバックドロップ」「三沢を返せ」。斎藤さんのインターネットのブログには非難が相次いだ。

    三沢さんの死から数か月後。斎藤さんはノアの幹部から1通の手紙を受け取った。三沢さんの知人が、生前の三沢さんとの会話を思い出しながら書き起こしたという。手紙によれば、三沢さんは、試合中の不慮の事故で自分が死ぬ状況を想定し、対戦相手への言葉を遺していた。「本当に申し訳ない 自分を責めるな 俺が悪い」「これからも、己のプロレスを信じて貫いてくれ」

    斎藤さん「これが正解かどうかは分からない。でも、天国に行った時、三沢さんから 『それで良かったんだよ』と認められるような、胸を張れるプロレスを続けたい」


    6 赤ちゃんポストに預けられた男児
    「ゆりかごがあって、自分は救われた。当事者だからこそ、『ゆりかごから先の人生も大事だよ』と伝えたい」

    2007年5月、熊本市の慈恵病院に赤ちゃんポストが開設され、宮津航一さんはそこに預けられた。
    赤ちゃんポストには基本的に生後間もない子どもが預けられるが、航一さんは3歳で預けられた。そのため、ポストに入れられた記憶がおぼろげながらあるという。
    航一さんは、病院から児童相談所に移された。その数か月後、熊本市でお好み焼き店を営んでいた宮津美光さん、みどりさん夫妻の「里子」に迎えられた。

    「ゆりかご以前」のことが突然判明したのは、小学校低学年の頃だ。航一さんの親戚にあたる人物が、「自分が預けた」と名乗り出た。この親戚は、ゆりかごの扉を開けた人しか持っていない「お父さんへお母さんへ」の手紙を持っていた。
    この出来事により、航一さんの本当の名前が分かった。正しい年齢は推定していたものとほぼ同じ。そして、航一さん実の母親が、航一さんが生後5か月の時に交通事故で亡くなっていたという重大な事実も分かった。少なくとも実母は、自分を捨てたわけではなかったのだ。

    航一さん「どんなに時間がたっても、賛否両論はあると思う。ただ、僕自身はゆりかごに助けられて、今がある。自分の発言に責任を持てる年齢になったので、自分の言葉で伝えたい」
    「僕にできるのは、預けられた実例として自分のことを語ること。親子の関係がしっかりしていれば、『ゆりかご後』はこんなふうに成長するよって、知ってもらいたい」

    預けられるまでの期間に比べたら、それから先の人生のほうがずっと長い。一番言いたいのは、「ゆりかごの後」をどう生きるか、だ。

  • 事件の当事者として、マスコミで有名になってしまった人のその後の人生を取材した、読売新聞の特集記事を書籍化したもの。
    国会議員、鈴木宗男氏の、アフリカ出身の秘書。
    赤ちゃんポストに預けられた幼児。
    プロレスの技で相手を死なせてしまったレスラー。
    松井秀喜に5打席敬遠を投げた甲子園投手。
    金八先生で一躍有名になったけど、その後は活躍できなかった俳優。
    その後どうなったのかな?と読者が興味をそそられる。
    あの人、一時は有名になったけど、その後は平凡な人生やねぇ!とか、ひどい事件に巻き込まれて、かわいそうだなぁ、それに比べれば、私の人生はまだまし、とか人間は人の不幸を見て安心するところがあるので、ゴシップ的な本で、こんな本に興味を持ってしまう私自身も、悪趣味よね、などと思いつつ読んだが、ただのゴシップではなかった。
    その時の報道だけではわからない、その後の人生を追うことで、人生とは、生きることとはなんて難しいのだろう、それでも生きていくことは、なんて尊いのだろうと感じられる。
    一生懸命に生きてきたのに、不幸にも事件に巻き込まれたり、思うようにならなかった方々の深い悲しみ。自分の過ちを認め、向き合いながらその後の人生を歩み続ける方々の勇気や謙虚さ。読んでいて涙が出ました。
    「ただのゴシップではない」と私が感じたのは、自分の留守中に家族を全員殺害された、という方の記事。この特集で初めて実名を明かして取材に応じたとのことだった。
    犯罪被害者は時に、事件後の過熱報道などで二重に苦しめられることになる。この方はあまりに凄惨な事件にあい、茫然自失状態でなんとか「死なないように生きてきた」そうだ。おそらく、多くの周囲の方が励ましたり、助けたりしようとはしただろう。しかしこんな目に遭った方に有効な励ましの言葉なんて、何一つないだろう。人生に前向きになるのは難しいだろう。でも事件後初めて取材に応じた、ということは、何かしら「話してみようかな」と心が動いたのかもしれない。それだけでも意味がある取材なのでは、と思った。

    心に残ったのは、多くの方が、ちょっとしたきっかけや学生時代の出会いのせいで人生が狂ったり、事件や事故に巻き込まれたりするわけだが、その後の人生で誰も「あの人に会わなければこんなことにはならないのに」などと考えず、自分が選び取った道に自分でけりをつけようとしているところだ。(もちろんそのような方を選んで取材しているのだろう)。その姿から学ぶところは大いにある。

  • 大きなニュースとなった話題の人のその後を取材した読売新聞の連載記事を書籍化したもの。

    総じてええ話やなぁ・・・が多かった印象だが、そうでないものは掲載に至らなかったんだろうなと思った。

    読売新聞は、購読新聞なんだが、この連載をじっくり読んだことはなかったので、次からは目を通してみようか、とも思った。

  • 前を向けているかどうかはともかく、とにかく人生は続いてしまう。
    SNSなどで知ることのできる人もいるが、記者が取材し実感したものを読むことで、グッとくるものもある。
    若手の記者に取材させることに意味はあると思う。

  • 読売新聞に掲載されている、ニュースの当事者になった方々のその後をたどった人物企画「あれから」を収録したもの。
    人生にIfはないが、ここに登場する方々ほど劇的なことではないものの、皆それぞれのレベルでIfと考えることはあると思う。ここに記されている経験・出来事は様々な内容だが、共通しているのは、それをきっちり受け止めて、前を向いて自分の人生を生きているということ。共通項となるそのエッセンスは生きる上でのヒントになると思う。

  • 人生はそれでも続く
    そのタイトル通りの本。
    ものすごくオンリーワンな人達な気がするけど、それは読んでいる読者もきっと同じ。

  • 新聞書評やらで何度か目にし、結果、入手・読了へ。もっと有名人中心の内容を思い描いていたから、そういう意味では肩透かし。とはいえ、当時目にしたニュースも多かったし、物語でも”その後”が気になる自分みたいな者としては、なかなかに楽しめる内容。

  • 特異な事情があったにせよ、今の現実を生きているという事実が何より響いた。何があっても生きていれば明日が来て、今をそれぞれの解釈で過ごしていく必要がある。これは皆同じ、皆いろいろな境遇でも今を生きている。その当たり前を感じた。
    最後の3人が印象的でした。

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