- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106110184
作品紹介・あらすじ
17歳でフィレンツェに留学。極貧の画学生時代に食べたピッツァの味が、今でも忘れられない――。トマト大好きイタリア人、ピッツァにおける経済格差、世界一美味しい意外な日本の飲料など、「創造の原点」という食への渇望を、シャンパンから素麺まで貴賤なく綴る。さらに世界の朝食や鍋料理、料理が苦手だった亡き母のアップルパイなど、食の記憶とともに溢れる人生のシーンを描き、「味覚の自由」を追求する至極のエッセイ。
感想・レビュー・書評
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P236
あとがきより
貧乏だからといって、まずいものしか食べられないということはない。味覚というのは想像力の力を借りさえすれば、いかようにでも美味しさという幸福感を与えてくれる。
イタリアでのド貧乏学生時代は、お金も食べるものも、無くなり絶望的な状況に陥ったことが何度もあるが、そんな時にやっとありつけた食事の美味しさだけは克明に覚えている。
安寧の中でいただくミシュランの星付きレストランでのゴージャスな食事もいいけれど、私にとって美味しさとは、空腹と食欲という本能の容赦ないアグレッシブさがあってこそ、極みをもたらしてくれるものなのである。
以上あとがきより
このエッセイを集約していることばだと思います。
この本は貧乏でも美味しく食べられたイタリア料理(何も具材が入っていないけど凄く美味しそうなパスタ他)から始まり、美味しそうなものがたくさんでてくるエッセイです。
ヤマザキマリさんは地元北海道のテレビ番組で料理コーナーに出演されてイタリア料理を教えていらしたこともあるほど。
レシピ本出して欲しいと思いました。出してください!!
イタリアの美味しいものは、パスタ、ピザはもちろん健康にもよい青魚、オリーブオイル、大豆、蜂蜜、トマト、メロンetc。
最近年を経てからは日本のデパ地下の魅力。
又、イタリア人の夫は、日本の牛乳が一番美味しいと言い、栗饅頭が大好きだそうです(モンブランに似ているから)。
身近なところでは日本の旅館の和朝食。私が食べたことがないものでは中国の火鍋が美味しそうでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
お腹空いた。今日は何食べよう?
フードコートでもレストランでもデパ地下でも、テイクアウトでもウーバーでも、世界各国の料理が手軽に美味しく食べられる日本という国に改めて驚くとともに感謝。
ベッピーノさんいわく、日本の牛乳が世界一旨いらしい。
我が子たちの「おふくろの味」は一体何になるんだろうか。
そもそも「おふくろの味」になるものを提供できているのか不安になった。 -
ブクログが引っ張ってくるAmazonの写真が近年はことごとくおかしなものに変わってきているので、後年どんな表紙絵が表示されることやらわからないが、少なくとも今現在ここに出てくる表紙(たぶんデルス君と思われる男の子がピザを頬張っている、全体的に緑色のイラスト)……ではなく、私が借りた図書館の本書は、普通の新書の無地の表紙である。
各食材にまつわる歴史的な部分は読み飛ばしてしまった。(図書館返却日が迫っているというのもあり)
日本人の繊細な舌(味覚)や食文化や技術力の高さはやっぱり凄いと思わされる内容だった。
私は飴は普段買わないし、マラソン大会以外ではほとんど口にしないのだが、本書に出てきたマリさんお気に入りの大阪の飴は通販で取り寄せたくなった。
(本書に店の名前は書いていないが、キーワードから容易に検索できた)
パンツァネッラというのも作ってみたい。
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先日久しぶりにバスツアーに参加しました。
そのとき驚いたのは、周りに座っているご婦人数人が
バスの中でお菓子を食べていたことです。
もう少しでランチなのに。
そしてランチ後またお菓子を食べ始める彼女たち。
そのお菓子だって、私はたぶん一生食べないと思われるもの。
ヤマザキマリさんのお母さまと同じタイプの私。
でもお母さまは老齢の域にはいってから
トンカツとビール、しかも老犬の口にトンカツを入れる。
「いつまで生きるのかわかりゃしないんだし、
美味しいものくらい自由に食べたいじゃないの。
気にしすぎこそ体の毒」
同じ日本にいてもこんなにいろいろ違う
また、年を取ると変化することもあるのですね。
海外生活の長いヤマザキマリさんによる
この、食のエッセイ
初めて知ったこともあり、とても面白かったです。
ご主人のおばあさま二人とも
100歳近くまで生きて
それまでお元気だったそうです。
地中海食。
私もそんな感じですが(ワインはのまない)
年とっても続けられるかな?
何かがあって変わるということもあるかもと思いました。 -
「テルマエ・ロマエ」からのファン。漫画も最近作は既視感があるので、エッセイの方が面白い。毎日新聞の書評欄に紹介されていたので、即購入して一気読み。
前作「パスタぎらい」同様に世界の食文化を題材とした比較文化論。どのエピソードも面白いし、文章もとても上手。ヤマザキマリのお母さまがすばらしい子育てをされたんだなといつもしみじみ思います。気軽に美味しいイタリアンを食べたくなりました。高級な敷居の高いところなんて行かなくていいんですね。 -
まだ読み終わってはいないが、どれも面白い。
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「ヴィオラ母さん」に育てられた食に関する最強のエッセイ第二弾! 幼少期の食に係るトラウマが爆発する様が大爆笑を巻き起こす! この親にしてこの子あり! 親子の絆の素晴らしさを感じさせられる傑作です。
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米原万里さんのエッセイもそうだったけど、ヤマザキマリさんが食べ物について書く文章はほんとうに美味しそうでワクワクする。この新潮新書のシリーズはまた出て欲しい。
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書店で平積みされているのをたまたま見かけ、イタリア人のマッシさんが紹介していた本だなと手に取ってみたら、数日前に読んだ「ラテン語で世界はできている」の著者ラテン語さんと対談していた方だと気づく。実は「テルマエロマエ」の作者さんであるということも知らなかった。
イタリア人が食に強いこだわりを持っているのは知っていたが、自分たちの食文化に誇りを持っているがゆえに、実は食に対してかなり保守的だというのは意外であった。これはイタリア人に限ったことではなく、私の知る限りではトルコ人も似た傾向にあるように思う。食わず嫌いが多く、少しの味見も怖くて試したがらない。なお、過去最も怖がられ不評だったのは海苔。
そう考えると、日本人も食への執着が強いが、外国の食べ物にも積極的に挑戦し、自宅で作ってみたり企業も商品化したり、時には一大ブームにすらなったりと、かなり寛容なのだなと気づかされる。
しかし、異文化食に対する姿勢がこれほど違っていても、ゴージャスで洒落たお高い料理よりも慣れ親しんだシンプルな家庭料理が一番おいしいという認識は、イタリア人も日本人も同じなのが面白い。むしろこれは世界共通の認識ではないかなと思う。
おなかがすいていれば、なんだって特別なご馳走になる。安上りでも、手が込んでいなくても、シンプルな料理をおいしいと感じられるのは実はとても幸せなことなんだなと思う。人生って食べることなんだなぁ。