- Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120018145
作品紹介・あらすじ
日本国憲法を生み出した力はどこにあったのか。GHQと日本政府の枠を超えて国内諸勢力、米国、アジア太平洋諸国を視野に入れ、戦後民主主義を出発点から捉え直す。
感想・レビュー・書評
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図書館で借りてきた本。
今の日本国憲法は押しつけ憲法なのかどうか、ということは前から興味があった上、今ちょうど大学の憲法の教科書を読んでいるところでもあったので(大学の憲法の教科書は去年変わったので、新しいのを読んでいる)興味を持って読んだ(この本を知ったのは加藤陽子さんの「戦争の論理」を読んだとき)。
なんというか、日本国憲法が策定されるとき、元の政府案がひどかったのでGHQが、という話は知っていたものの、それ以降も政治家の手で「日本化」が行なわれ、削ぎ落とされたものがたくさんあり、削ぎ落とされたものはそれ以降全く状況が動いていないということについて、本当に愕然とした(例えば外国人の権利であったり、女性の権利であったり、労働者の権利であったり)。
あの当時の政治家は(保守であったのも理由だろうが)あんなひどい負け方をしたのにもかかわらずまだ強く「国体」にこだわるのはなぜなんだろう?と思った。そして国民(あの当時は臣民だが)のことについてはほとんど全く考えていないか、国民の権利を拡張することについて反対している。最近も自民党が「憲法改定案」を出してきたが、精神は戦後の政府と同じ。政治家は戦後直後も今も本当に全く変わっていないのはなぜなんだろうか。
当初GHQは「民意によって」日本国憲法を策定するのが望ましい、としたが、極東委員会との衝突を避けるために急いで国会を通し(6ヶ月間審議されたがこの間いろいろな「日本化」が諮られた)公布した。極東委員会も目の上のたんこぶだったがそれ以上にGHQも政府も「民意」が怖くなっていった(政府はもともと国民に任せていたら非常に「民主主義」的な憲法が出来上がると思い、最初から自分たちの手で作ろうとしていた)。
そして憲法が公布されると国民は「民主的な新憲法ができた」と国によって踊らされる。この国は国民を舐めきっているのは昔も今も本当に変わらない。まず「国民に真実を知らせないこと」「決まってしまってからいいところだけを国民に見せて国民の目を向けること」まさに「由らしむべし、知らしむべからず」だ。これは日本人の特徴、というか血なのか?
この本を読んでいると日本国憲法は押しつけ憲法で、押しつけたのは政治家、押しつけられたのは国民だ、ということがよく分かる。やはり'45年8月は「革命」でもなんでもなかったんじゃないかと思う。
そして、日本国民自体も憲法施行後1年~2年目の間に「憲法改正」のチャンスが与えられた(GHQのやり方に反発した極東委員会が指示した)のにも関わらず、全く関心なくやり過ごしてしまった(そしてGHQも極東委員会もそのうち日本だけに構っているわけには行かなくなり憲法改正の機会は消滅した。日本政府は「国民にいじらせるととんでもないものができあがる」と思い、元々憲法改正には消極的)。著者はこの点において「日本国憲法それ自体は押しつけ憲法ではない」と結論しているが(改正の仕方については「押しつけであった」としている)、全部ひっくるめて考えるとやはり国というかそのときの為政者の「いいなり」なんだよなあと思う。国民は「お上の申すことに間違いはございませんから」(最後の一句、森鴎外)という意識がいつの世にもあるんだと思うし、今でもその精神はあまり変わってないように思う。それも非常に情けない話だ。
ただこれから「憲法」の教科書を読んでいく上では非常に参考になったとは思うし、今までの「憲法」を見る目が変わったことは確かだ。その点はよかったと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示