不況のメカニズム: ケインズ「一般理論」から新たな「不況動学」へ (中公新書 1893)
- 中央公論新社 (2007年4月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121018939
感想・レビュー・書評
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新古典派とケインズの主張の比較をし、ケインズの矛盾点があればそれを指摘し、解決案をしている。なぜ不況になるかを論証している。完全雇用環境でなければ、消費不足が不況に引き起こすという。なぜ消費不足になるかといえば、経済の先行きへの不信である。その克服には世代交代が必要だという。公共投資、税金による失業者救済などの効果も論証している。
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ケインズ経済学と新古典派とを比較しながら、ケインズが主張したかった(十分に主張できなかった)経済理論を『不況動学』という視点で展開する。新古典派の主張は、供給サイドが決定されればそれに応じて需要が決まるというものである。すなわち、基本的に非自発的失業のない状態(完全雇用)が実現できている新古典派では、需要不足や需要不足による不況は否定される。しかし、著者は需要不足こそが日本の不況の根本原因だと主張する。
需要不足は、①消費の時間選好と②流動性の罠(貨幣保有願望)に起因する。特に、貨幣保有願望は、貨幣が非常に特殊な財ゆえに起きる貨幣そのものに対する需要であり、「将来に不安を持てば益々貨幣保有欲求が高まる(=消費が増えない)」という点には実感としても納得がいく。
不況を脱するためには、十分な雇用を創出する規模の公共投資が有効であり、まずは働きたい人に働ける場を提供することが重要である。すなわち、少々効率が悪くても、余った雇用を吸収することが先決であるということである。一方、インフレターゲットは、人々に正しいインフレ期待をどのように持たせるかという点が不明確であリ、その点で効果が乏しいと指摘する。また、本格的な景気回復には、(過去の経験を持たない)世代交代が不可欠であると主張する。
需要不足が何故生じるのかという点を、消費と投資の面から考察した本書の主張は興味深く、不況のメカニズムに関する著者の主張は納得性が高い。しかし、具体的な景気回復策という段になると、やや説得力は落ちる。特に、著者の主張する『良い』公共投資をどのように判断するのか、「良いか悪いか」の効果測定、優先順位づけを事前にどのように行うべきなのかがよく分からない。
もっとも、デフレや不況から簡単に立ち直る特効薬のような「経済政策」など存在しないわけだから、著者がそれを十分に説明しきれていないことは批判には当たらないだろう。むしろ、「通貨を大量発行すればデフレは解消して景気が回復する」といった類の考えがいかに無責任極まるトンデモ理論であるか、本書を読むことで再認識できると思う。 -
少し疑問点。著者は「構造改革派が言うように、投入額より小さい価値しかうまないからやるだけ損、ということにはならない。出来たものの価値は加わるから、少しでも役に立つ物やサービスならやった方がよい。」(P73)としているが、減税の乗数効果との比較をしないといけないのではないだろうか?でも減税の方が乗数効果低いのかな?あとそして赤字国債での公共投資は効果が半減するし(マンデルフレミング理論)、そのあたりについての言及も欲しかった。
著者はP148で夕張市を擁護しているが、個人的にそういう側面もあると確かに思った。
ただ、遊園地やらなんやら流石に行き過ぎじゃないかとも思うけれども。(主観ですが)
私感ですが、著者は政府にはある程度の判断能力が備わっているという前提で政府は補助はもちろんのこと、時には主導もしつつ市場の力をうまく引き出すべきだという主張のようですが、自分は競争にさらされず、報酬も罰則も限定的な政府という組織は無能(個々の方々は無能と言っているわけではないので悪しからず)と化すので、出来る限り市場の力を活用しつつ、政府は補助に徹するべきだと考えているので、政府の役割をどこまでの範囲にするのかという度合いは異なってはくるのですが、これに関しては個々の主義主張の範囲内であると思います。
P155では「個人や企業は経済全体のことなど考えず、自分自身か自分と利害を共有する集団のだけことを考えるからである」としていますが、なかなか耳の痛い話です。個人的には「ことだけ」を考えているわけではないのですが…(誰しもがそう考えていないことも願っていますが)個人的には価値を0から生み出して成功するような人(いわゆる起業家)に関しては、成功しても4割所得税をとられてしまうのなら、誰も挑戦をしないでしょうし、途中でそこそこ成功すればいいやとなりかねないとは感じています。それに関してもおまえがそうだからだろ、と反論されればまあそうかもしれないとしか言えないのですが…。
P166「こうして手っ取り早く人々の人気を得ることが出来る純粋なバラマキ政策、すなわち減税や補助金、果ては地域振興券(1998年)なるものまで実行された」
とおっしゃっていますから、減税の乗数効果は公共事業より大幅に劣るとの認識なのでしょう。ただ、低所得者は消費性向が高いのだから、低所得者向けの減税に関してはある程度の乗数効果が認められるのではないかと言う個人的な仮説はあります。
それに公共事業が常に清廉潔白な人格者が主導出来ればよいのですが、そうはいかないのが現実のようですし、政府支出によって本来は淘汰されるべきゾンビ企業が生き延び、市場の働きを歪めるという問題もあるのですから、それらの問題が発生しにくい減税というのは、公共事業とどちらが有効か長期的・短期的な視点の両方から比較されて良いように思います。
P182では「この改革が日産だけにとどまるなら(中略)日産1社の業績が改善するだけに終わる、しかし日本中の企業がこれを見習えば、(中略)失業が増えてデフレ圧力が高まり、日本全体の消費意欲が減退して物が売れなくなるから、各企業の業績もかえって悪化してしまう。」確かに著者の仰るとおりだと思いますが、この件に関して日産はどうすればよかったのでしょう?賃金が限界生産性を上回っている人員は解雇してはいけないと言うのでしょうかね?解雇出来ないのであれば、コストにおいて国際競争では不利になります。それこそ本末転倒になりかねないかと。
--気になった言葉--
需要刺激策を支持する根拠として、ケインズ自身は社会正義から見た再分配という側面を強調してはいない(P27)
労働者は実質賃金ではなく貨幣賃金の動きに注意を払うからであり、その理由は他の労働者のと相対的賃金水準を期にするからである(P40)
貨幣の持つこれら三つの特殊性、すなわち、簡単に増やすことができず、代用が難しく、たとえその量が増えても人々がその保有に感じる価値が簡単には下がらない、という特徴はすべて、勝ち標準となる資産が持つべき望ましい特徴であると考えられている。皮肉なことに、まさにこれらの特徴こそが、貨幣を他のどれよりも魅力的なものにして、流動性プレミアムを高止まりさせ、購買力を底なしに吸い込んで他の財や実物資本への需要を抑え、不況を生み出してしまうのである。(P118)
ケインズ的需要創出政策も新古典派的市場主義も、その目的は効率化であり、それが本当に効率化をもたらすか否かは、総需要が不足しているかどうかに依存する。(P199)