アダム・スミス: 「道徳感情論」と「国富論」の世界 (中公新書 1936)
- 中央公論新社 (2008年3月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121019363
感想・レビュー・書評
-
アダム・スミスのこれまでの理解が相当偏っていたことに気づかされた。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「戦後以来の大改革」が始まった。金融緩和や財政出動と違って即効性は期待できない。安定政権のもと、息の長い取り組みになるだろう。改革に終わりはない。
経済成長が鈍化しはじめ全体のパイが増えにくくなり、また厳しい財政状況も反映し、多数の集団が多様な利害を表明するようになった。
人は確実な成果を目にしない限り、新しい制度を信用しない。改革派は半信半疑のもと改革に取り掛かるが、反対派は全力で邪魔をする。これを力でねじ伏せるわけにはいかない。外部からの圧力による改革は表面的な変化に終わってしまう危険性が高いし、痛みを無視した急進的な改革は社会の秩序を混乱させ有効な効果を生まない。スミスは急進的な規制緩和論者だったわけではない。
「小さな政府と自立した国民」には賛成だが、やみくもに小さな政府を求めるのは国家を危うくする。国民一人ひとりに温かいまなざしを失った国には人は国民としての責任を感じようとしないからだ。そういう国民が増えれば国の基盤が揺らぐ。人びとの感情を無視した急進的な改革は挫折し 社会秩序を不安定にする危険性を持つ。したがって改革は人びとの感情を配慮しながら「徐々に」進めなければならない。
とはいえ、国に過剰に期待する有様はいまや限界に来ている。そこで国民に直接利益を提供することから、雇用改革により国民が多様な働き方を通じて利益を得る機会を増やし、そのための環境を整備することへ転換を図ることはどうだろう。限定された人間関係をベースにしたタテ割り分業でなく、あたらしい分業の掛け合わせを進める。新しい血を入れることにより、既存の組織は活性化する。「チャレンジ オープン イノベーション」である。
「分業」によって社会的役割を得て人は自信と責任を持つようになり、お互いに相手を必要とし合う感情が生まれ共同性の回復が図れる。
人間は社会的な存在であるから、富の循環は不信感を払拭しながら人と人をつないでいく。
スミスは統治にはある種の合理性を超えた価値も配慮しなければならないと考えた。 -
Sun, 21 Sep 2008
アダム・スミス!
この前読んだ「リベラリズムの再構築」
で紹介されていたアダム・スミスの思想がすごく気になったので,あらためてこんな本を読んでいました.
時代背景を含めアダム・スミスの二大著作,「道徳的感情論」と「国富論」について解説してありました.
かなり強い感銘をうけました.
アダム・スミス賢いデス!
アダム・スミスというと「神のみえざる手」という話ばかりが一人歩きしている感がありますが,
本人は特にその言葉をフィーチャーしているわけではないんですね.
「道徳的感情論」という言葉を聞くと,道徳の話かとおもうんですが,違います経済システムの話です.
アダム・スミスは個人の「同感」(いまの日本語では共感にちかい)という人間の心理からボトムアップに交換活動,
経済発展を説明していくのです.
アダム・スミスの面白いところは,嫉妬や虚栄心という,道徳家ならば「悪」と見なしてしまうようなところを,
結局はそれが財の配分に寄与して,社会全体の発展を促しているということを指摘しているところでしょう.その冷静な思考.
さらに,重要なのは,そのようにある種,悪とみられる行動を,正当化しているにもかかわらず,
独占やルール違反などについては社会悪として断じて許さないという考えがあるところ.
それもアダム・スミスの筋の通った理論の中で説明されています.
資本の蓄積を阻害するので,国家の浪費は悪だと説いています.
さて,もちろんアメリカ独立戦争のころの人なので,アダム・スミスの言説が全て今に当てはまる訳ではないのですが,アダム・
スミスは論理の飛躍を押さえつつ,上にも書いたように,あくまで「人間ダモノ~」
的な個々人の心理からボトムアップに理論をくみ上げているので,時代を経ても色あせない部分が多いのだと思います.
ただ,アダム・スミスの仮定で現代社会でなりたたなくなりつつあるんじゃないか?と思うのは
「分業が生産性を向上させる」
というところではないかと思う.
様々な職種による分業がすすみ,個々人の専門化がコミュニティの崩壊やディスコミュニケーション,
専門家のやることを顧客が理解しきれないために起こるプリンシパル・エージェント問題など負の外部効果が顕在化してきているご時世,
分業を極限まで高度化させる事の難しさが出てきているように思う.
また,地球規模の分業は現在の食の不安みたいな事もおこしているわけで.
しかし,本書にはなかったけど,「リベラリズムの再構築」曰く,
アダム・スミスはそういうところにも警鐘をならしていたりもするそうで,もうちょっと知ってみたい気がするのでした.
とはいうものの,急激にアダム・スミスが私の尊敬すべき過去の偉人ランキング上位に入ってきました. -
アダム・スミスの著書『道徳感情論』と『国富論』を分かりやすく解説した本。引用も多くかなり詳しく解説してあるため後半は退屈した。いきなりの原書はハードルが高かったのでいい踏み台になると思います。
-
アダム・スミスの代表的な著書『道徳感情論』と『国富論』について、その概略の説明と両著作の全体的な論理関係の再構築を試みるということが本書の主題である。
『国富論』の邦訳しか読んだことはないが、概説部分は非常にわかりやすく理解が深まった。
一方で、もう一つのテーマである二つの著作の論理の再構築は、もう少しスペースを割いて、丁寧に取り上げて欲しかったというのが正直な感想。 -
ある事象に対して、自身の心中における「公平な観察者(客観性)」と「世間の評価」との兼ね合い、均衡を保ちつつ、前者を優先する「一般的諸規則」を重要視する、と説く一冊。
スミスが述べる社会秩序は
1.自然の摂理(種としての保存と繁栄)
2.人間の諸感情
3.一般的諸規則からの逸脱
とある。
この中で、富、つまり人と人とを繋ぐものが重要になってくる。
しかし、必ずしも富を得ることが幸福に直結するのではない。
「真の幸福とは、心が平静であることだ」
とあるように、何に足りて、満足するか?
この目的を達するための行動の取捨選択が肝要になる。
富に対する見解、またこうした考えがどうした時代背景から生まれたのか。
幸福=心の平静と説く、アダムの聡明さを確認させられる一冊。 -
アダム・スミスを誤解していた。経済自由主義(経済学)の始祖とも言えるスミスがこれほど倫理についても考えた人とは思っていなかった。特に経済において「フェアプレイの精神」を強く説いていることが印象的。また価値があるのは貨幣ではなくそれと交換される必需品や便益品である、との指摘は現在の金融資本主義の批判のようでもある。また、理想が正しくても急進的な改革は批判していた。この本をきっかけにもう一度経済的自由主義を見直したいと思う。
-
国富論の章まで読むことができなかったが、道徳感情論を読むだけでも、スミスの考え方が理解できる。
ずっと、自由放任主義=なんでも自由と考えてきた私は、スミスに対して否定的な考えをしていたが、そうではなかった。むしろ、道徳心を否定するような自由主義経済に対しては否定的だった。おそらくスミスの考えがうまく浸透せずに、ブルジョアは権力と結びつきとめどない自由となってしまったのだろう。 -
8/14読了