- Amazon.co.jp ・本 (428ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121021052
作品紹介・あらすじ
新時代の風を一身に浴び、民主的な立憲君主になろうとした昭和天皇。しかし、時代はそれを許さなかった-。本書は今まであまりふれられることのなかった青年期に至るまでの教育課程に注目し、政治的にどのような思想信念をもっていたかを実証的に探る。そしてそれは実際の天皇としての振る舞いや政治的判断にいかなる影響を与えたか、戦争責任についてどう考えていたか、さらに近代国家の君主のあり方をも考察する。
感想・レビュー・書評
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想像以上にリベラルな、英米協調主義な姿。最初の帝王教育の成果。戦前は、その姿勢故に日本と孤立し、苦しい立場に追い込まれる。
戦争直前は、厭世的に見え、それが後に戦争責任を問われる原因の一つになってしまったか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
陸軍の暴走を苦々しく思いながらも、権限が曖昧のまま進む無理ゲー感をすごく感じました。
この時この決断をしていたらとか全くできないことが、物凄く切ない。 -
本書は、昭和史をより深く解明した良書であると思った。1989年(昭和64年)の昭和天皇の死去を契機とし、昭和天皇の側近や深く関わった人々の日記や書簡が明らかになってくることにより、昭和史の政策決定に関わる奥の院の様子がだんだんと解明されてきたことは興味深い。
本書は「昭和天皇ほど評価が分かれる歴史上の著名人は少ない」と語る。最近まで宮内庁は、発信する情報量の少なさからマスコミから[菊のカーテン]と揶揄されてきた。昭和史の大きなエポックである日中戦争とそれに続く太平洋戦争についても、その開戰に至る詳細な政治的過程が全てわかっているわけではない。今に至るまで「なぜ、負ける戦争に突入したのか?」という疑問は誰しもが抱いていると思う。太平洋戦争においては、日本人だけでも310万人の死者、アジア全域では1000万人とも2000万人ともいわれる死者を出し、現在でも総理や天皇がアジアの戦争関連国に行くと、「お詫び」の言葉からはじまらざるを得ない。戦争への道は、大きな誤った政策であったことは明らかであるのに、それについての統一した国民的認識はいまだに成立していないように思える。昭和の戦争についての名称さえ「太平洋戦争」「大東亜戦争」とバラバラである。成熟した歴史認識が成立していない理由の一つに、政策決定の詳細が明らかにされていないことがあるのではないかと思われる。本書は、その貴重な奥の院をより明らかにしていると思った。
本書によると、昭和天皇は一貫して英明な君主であるように描かれている。「思想形成」では「神格化とは無縁の大正デモクラシーの空気をたっぷりと吸収した青年君主」の姿が描かれ、1921年(大正10年)の摂政就任においては「意欲的な皇室改革に邁進」する姿がみえる。日本が戦争に傾斜していく過程では、昭和天皇は親英米で協調外交路線をもちつつも、強硬な陸軍に引きずられる姿が描かれている。1929年(昭和4年)の張作霖爆殺事件や1931年(昭和6年)の満州事変においては、「決定を現地軍が実行しない場合に天皇の権威が損なわれる」という理由で陸軍に譲歩する姿が描かれ、「昭和天皇の協調外交路線はすっかり時流から外れた考え方になってしまった」と昭和天皇をかばうかのように本書では評価する。そしてだんだんと軍部の発言力が強化されていき、「昭和天皇が国政を掌握するのが困難に」なったとみる。1937年(昭和12年)の盧溝橋事件、その後の三国同盟締結そして日米開戦においては、昭和天皇が努力しつつも、状況に流される姿が詳細に検証されている。
本書は、歴史的事実を昭和天皇に目一杯好意的に解釈した本であると感じた。側近の日記等を数多く引用した解釈には一定の説得力はあるが、ここまで昭和天皇が無謀な戦争政策に抵抗している姿が真実ならば、なぜ陸軍が従わなかったのかと疑問を持つ。ましてや時代は絶対天皇制の時代である。ちょっと違和感がつきまとう。
もしこれが事実だったとしても、現在では一般的には上司と部下の意見が違った時に、部下の意見に迎合して大失敗した場合は、上司の意見を無視した部下が悪いのか、指導力がない上司が悪いのか。部下の人事権は上司が握っている以上、上司に全ての責任があるのは当たり前のことである。まだまだ昭和天皇については歴史の検証が必要であると思った。
本書によると1976年~1985年にかけて作成された「拝聴録」や「大東亜戦争御回顧録原稿」(独白録)等、計14袋の関係資料が行方不明だという。宮内庁の管理下で重要文書が行方不明などありえないとしか思えず、意図的な隠蔽と言われても仕方がないのではないかと感じた。1945年(昭和21年)の敗戦時に公文書の焼却を命じた閣議決定もそうだが、歴史の記録は国家と国民の共有財産であるという認識が欠けているのではないかと感じた。
本書を昭和の時代を解明するために高く評価すると共に、この時代は、まだまだ解明が必要であると思うものである。 -
古川隆久『昭和天皇』中公新書 読了。立憲主義と国際協調を政治信念に持ちながらも(それゆえに)、太平洋戦争に向かうに連れて思想的に孤立していく昭和天皇。本書では、思想形成の過程に着目し、その人物像を探る。戦争責任は免れないにしろ、優れたリーダーの資質を有していたことは想像に難くない。
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思想形成◆天皇となる◆理想の挫折◆苦悩の「聖断」◆戦後
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歴史
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戦争でひどい目に遭った人にはまた別な意見があって当然だが、昭和天皇は、人間である以上間違えることがあったにせよ、民主的な立憲君主であり続けようと、また、協調外交によって戦争を回避しようと、最善を尽くしたのだと思う。昭和天皇が目指した協調外交を当時の国民が支持しなかったことは、加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』にも書いてあったと思う。それにしても、当時の陸軍は、とんでもない組織だ。2011年7月17日付け読売新聞書評欄。
(2018/12/08追記)
大日本帝国憲法には統治権を総覧すると規定されていたのだから、もう少し何とかならなかったのかという気はするが、陸海軍は昭和天皇の命令に従うつもりがなかったようだ。統帥権は天皇にあるとされたのは、陸海軍が政治利用されないようにするためだったと聞いたことがあるが、それは陸海軍が政治に関与しないことを前提にしていたはずで、その前提が崩れてはどうしようもない。皇太子時代のヨーロッパ訪問を一番楽しい思い出としていた昭和天皇が崩御した後、侍従が居間の机の引き出しを整理したら、その時に乗ったパリの地下鉄の切符が出てきたとは、なんとも切ない話だ。
(2018/12/15追記)
統帥権の独立という考え方は政治から軍隊を隔離する必要があるという発想から出てきたものだという説明は、加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で読んだのだった。 -
讀賣新聞7月17日書評。
非常に読みづらい学者の文章だが、仔細に資料に当たっていて昭和という激動の時代の天皇の実像に迫ることが出来る。
<blockquote>昭和天皇は、儒教的な徳治主義と、生物学の進化論や、吉野作造や美濃部達吉らの主張に代表される大正デモクラシーの思潮といった西欧的な普遍主義的傾向の諸思想を基盤として、第一次世界大戦後の西欧の諸国、すなわち、政党政治と協調外交を国是とする民主的な立憲君主国を理想としつつ、崩御に至るまで天皇としての職務を行ったことが浮き彫りとなった。</blockquote> -
昭和天皇は、協調外交・不戦・不拡大を望んでいたのにも関わらず、そのようにならなかった。張作霖爆殺事件に対する関係者の処罰を怠った事で、満州事変、五・一五事件、二・二六事件、日中戦争、そして太平洋戦争へと突き進んでしまった。「君臨せずとも統治せず」が果たせなかった。
本書を読み終えて、昭和天皇に戦争責任があるのか?と問われれば、「ある」と思う。退位いただき、別の皇族の方を象徴天皇としていただくべきだったのではないだろうか?
結局のところ、昭和天皇の戦争責任をあいまいにしたことが、今日の靖国問題に見られる戦争責任問題が依然解決しない原因ではないだろうか?
<目次>
はじめに
第一章 思想形成
一 東宮御学問所
二 訪欧旅行
三 摂政就任
第二章 天皇となる
一 田中内閣への不信
二 首相叱責事件
三 ロンドン海軍軍縮条約問題
第三章 理想の挫折
一 満州事変
二 五・一五事件
三 天皇機関説事件と二・二六事件
第四章 苦悩の「聖断」
一 日中戦争
二 防共協定強化問題
三 太平洋戦争開戦
四 終戦の「聖断」
第五章 戦後
一 退位問題
二 講和問題と内奏
三 「拝聴録」への道
おわりに
2014.01.09 川口さんより薦められる。
2014.02.01 読書開始。
2014.02.06 読了 -
古川隆久 「 昭和天皇 」戦前から戦後の昭和史を 昭和天皇の聖断(天皇の決断)とともに見渡せる本。凄い本だと思う。
昭和天皇の聖断
*張作霖事件の不手際に対する田中義一内閣の退陣→天皇の政治責任
*ポツダム宣言の受諾→国体論的な国家体制から訣別
昭和天皇の思想は 昭和の意味に込められている
昭和の意味=百姓昭明、協和万邦=世界平和、君民一致
天皇を絶対化する国体論という政治思想