高校紛争 1969-1970 - 「闘争」の歴史と証言 (中公新書 2149)
- 中央公論新社 (2012年2月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121021496
作品紹介・あらすじ
一九六〇年代後半から七〇年代初め、高校生が学校や社会に激しく異を唱えた。集会やデモを行うのみならず、卒業式を妨害し、学校をバリケード封鎖し、機動隊に火炎ビンを投じた。高校生は何を要求し、いかに闘ったのか。資料を渉猟し、多くの関係者の証言を集めることで浮かび上がる、紛争の実像。北海道から沖縄まで、紛争の源流から活動家たちのその後の人生までを一望する、高校紛争史の決定版。
感想・レビュー・書評
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本書の目的は,主に1969~70年に発生した高校紛争の原因や要求,その伝播や解決に至るまでの道を解明するとともに,その後高校はどう変わったのか,今日の高校教育制度にどんな影響を与えたのか,検討する点にある。二次文献に留まらず,通説を覆す証言や,当事者から提供された資料(機関誌,ビラ,職員会議議事録)に基づいて書かれているため,生徒と教師両方の立場から当時の苦悩と葛藤を生々しく伝えている点で,非常に興味深い。
ただ,私が本書を読もうと思った動機は,上述の理由だけではない。私自身は,「自由放任で,受験向けの教育に力を入れなくなった」(273頁)都立高で3年間を謳歌してきた。(おかげで,さらに1年の受験期間を要した。)だが,九州に赴任してみると,同じ公立高校でも全く異なる教育システムの存在にカルチャーショックを隠しきれない。ゼミ生と懇談すると,「なんで都立高には制服や朝課外(0時間目の授業)が無いの?」という話題になるが,「無いものは無い」という回答しか出しようがなく,客観的な説明力に欠けていた。そうした公立高校の教育や生活における地域差の源流を見出したかった点に,講読動機があった。(ちなみに,「制服自由化」の地域差・学校差は,90-97頁を参照。)
本書に対してはさまざまな切り口で評価できようが,以下,いま述べた自分の関心に沿ってのみ記しておく。各都道府県の公立進学校における紛争状況は,明らかに東高西低だった(143頁)。「校内集会・デモ」,「授業妨害・ハンスト」,「卒業式妨害」,「封鎖・占拠」,「警官導入・校内逮捕」という5つの主要な紛争事項は,札幌南(北海道),県立千葉(千葉),日比谷(東京)の各高校で全て発生していた。我が母校も,日本共産党系の原水爆禁止高校生連絡協議会(原高連)が発足したり(36頁),反戦高連の拠点だった生徒会室を,他の高校生解放戦線(ML派)に襲撃されて印刷機が奪われたり(168頁)と,この手のエピソードに事欠かない。これに対し,修猷館(福岡),佐賀西(佐賀),大分上野丘(大分),鶴丸(鹿児島)では,上記の紛争事項がほとんど発生していない。九州島内の高校紛争で大規模に取り扱われているのは,作家・村上龍が生徒として関わった佐世保北(長崎)だけである。
以上のような事実は明らかになったものの,これほどの地域差がなぜ発生したのかは十分解明されたわけではない。「自民党の支持基盤が強かった地域では,反体制運動はもってのほかであり,地元の高校,しかも名門校で紛争が起こったり,活動家が生まれたりするのは容認できなかった」(118頁)という見解も指摘されるが,おそらくそれだけではなかろう。同時代の大学紛争や労働運動との関係,さらに遡って旧制中学時代との連続性や,藩校をルーツとする建学の精神などに注目すると,もっといろいろな解釈が生まれるのではないかと,期待してやまない。
いずれにしても重要なのは,高校の生徒と教師が深く対立しなければならなかった時代の存在を,我々「若い世代」が認識しておくことである。現在の高校教育は,良かれ悪しかれ,この高校紛争の経験と影響を大きく受けているだけに。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
テーマ史
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とても面白かった。60年代後半から70年代初頭にかけて全国でおこった「高校紛争」についての一書。広く事例と、そして関係者の証言を集めて叙述しており、「高校紛争」の雰囲気が文章を通じて伝わってくる。大学紛争の書物、研究は多くあるが、高校紛争の研究というのは少なく、そういう意味でも価値のある一書である。
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大学紛争とは一味違う
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著者とほぼ同世代としてこの本に横溢するちょっと上の先輩たちに対する隠しきれないシンパシーにシンクロして一気読みしました。制服斗争(闘争じゃないんだよね…)という言葉に眩しさを感じたことを思い出します。第二次世界大戦やベトナム戦争という戦争からの距離感、新制高校という制度の歴史、そして高度経済成長の実感、そういう時代的な状況と十代の多感という不変な季節が重なることで生まれた1969-1970という一瞬。大学紛争の縮小版とは違う歴史なのだと知りました。それは終戦時、アメリカに子供と言われた日本社会自身が青春に突入した瞬間なのかもしれません。
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高校紛争のリアルを描き出した作品。
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1960年代後半に起きた学生紛争に派生した高校紛争を多くの資料と証言から解き明かす。今では学校現場にその見る影もないが、高校生の主体性の欠如という状況を見るたび、学生紛争の時代の高校生の姿に興味がわいた。
キャリア教育の課題として、主体的に進路を見つめ、選択させるといったことが挙げられるが、その手段として、学生運動に従事した高校生とそれに対峙した教員たちの姿というのが参考になるのではないかと思われる。
さらに詳しい記録が待ち遠しい。 -
私は高校紛争世代の後の世代。服装の自由選択権、学内での言論の自由(検閲の拒否)、殆どの校則の撤廃、受験対策学習の廃止という遺産のおかげで、人生で最高の時間を満喫できた。歴史の記録としては内容のバランスはよいが、現在でも重要な課題として、高校生の政治活動の是非、高校の学習内容はどうあるべきか、という二点については、その後の高校の歴史も踏まえて論じて欲しかった。コスタリカの教育を紹介した本「平和をつくる教育」では、お祭りノリでの小学生からの政治活動教育?が。日本はこの点では1969年から全く進歩していない。