黄禍論と日本人 - 欧米は何を嘲笑し、恐れたのか (中公新書 2210)
- 中央公論新社 (2013年3月22日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121022103
感想・レビュー・書評
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日清戦争から第一次大戦にかけての日本は、「欧米列強」の目にどのように映っていたのかを黄禍論をテーマとした風刺画で追った本。
日本人を描くモチーフは、良くて芸者、基本的には、子ども、猿。
日露戦争後から第一次大戦直後、欧米列強と利害関係が一致して日本が彼らとにもっとも近づいた時期には多少扱いが良くなるが、それでも(出っ歯でチビの)サムライ、(出っ歯でチビの)軍人というありさまで、一貫して、まともな人間扱いされていない。
本書のテーマである「黄禍論」のもたらす偏見のしわざだろうと考えてみたくなるが、黄禍論そのものはドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の妄言で欧米では大して本気にされておらず、せいぜい都合のいい(悪い)時だけ持ちだされた、という本書の立場(ハインツ・ゴルヴィツァー「黄禍論とは何か」もそんな論調)を鑑みると事態はさらに深刻。
どうやら、黄禍論を抜きにしても、欧米列強は日本人を、ひいては白人は黄色人種を、一貫して人間扱いしていないようだ。
翻って日本はどうかというと、人種差別には本気で怒る一方、いっそのこと黄禍論を逆手に取ってやろうかと国内で起こる極論を必死に抑えこもうと、涙ぐましい努力を続ける。
何とも切ない。
(日本対アジア諸国という場面において、八紘一宇だの五族協和だのの美辞麗句の正体が何だったかはここではさておく)
本書は第一次大戦後の「第9章 人種平等への萌し」で結ばれるが、実際のところはどうかというと、第二次大戦の人種差別はさらに酷い。このあたりは、ジョン・ダワー「容赦なき戦争」に詳しい。
さて将来はどうか。
本書から分かるように、欧米、というか白人様は、(黄禍論に基づくかどうかはともかく)脅威とみなした時には日本人を人間扱いせず、利用価値があるときには人間(もどき)扱いしてくださる。
かつての日本の、まず軍事力、ついで経済力は、欧米において利用価値が生じたり脅威となったりしたから、欧米人の日本人像も人間もどきと動物の間を行ったり来たりして、それは風刺画に現れた。
しかし今後においては、日本は、欧米に何らかの影響を与えるだけの経済力や軍事力(まさか)を失っていくことになる。かつて人種差別を緩和したソフトパワーとしての「武士道」の役割を、クールジャパンとやらが担えるとは到底思えない。
代わって、中国(まさに黄禍論)、韓国やそれに続くアジア諸国が、人種差別的揶揄の対象となるのだろう。
もしかすると、東アジア内でのギクシャクした情勢を背景として、何故か上から目線の日本人が、揶揄される中国らを指してざまあみろとあざ笑う薄ら寒い光景が出来するのかもしれない。
もう、日本は揶揄されたり恐れられたりするほどの存在ではないのに。
どうでもいいが、本書を読んで思ったこと2つ。
・ドイツを信用してはいけない。
・オーストラリアの風刺画は差別丸出しで本当にえげつない。 -
アジアの黄色人種たちが自分たち白色人種を脅かして攻めてくる。そんな脅威論を黄禍論という。
19世紀から20世紀初頭、日清・日露戦争に勝ち帝国主義国の仲間入りを果たした日本。この頃から黄禍思想が欧米メディアのなかで(特に諷刺画において)流布し始める。
人種主義に基づいた黄禍としての日本は、どのように表象・表現されたか。その変遷を辿った内容。黄禍の起源はわからんが膾炙させたのはドイツ皇帝ヴィルヘルム2世だとは知らなかった。
当たり前だが、黄禍は日本と対立が激しくなり敵対的になればなるほど露骨に醜悪に唱えられた。大抵、諷刺画において日本人は露骨な人種主義に基づいて小人、猿、小動物、サムライ、妖艶な芸者として描かれる。逆に友好的関係ならば神々しい救世主や摩訶不思議なオリエンタルな国として描写される。
時々の国際情勢や勢力・敵対関係によって黄禍としての日本と捉えられ、描写され、怖れられ、侮られる。
これは過去だけの終わったことでなく現在においてもありうることだろう。
本書の主旨ではないが、逆にこの頃の日本は欧米や同じアジア諸国をどう見ていたのか。興味が湧くテーマだ。