ヒトラーに抵抗した人々 - 反ナチ市民の勇気とは何か (中公新書 2349)
- 中央公論新社 (2015年11月21日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121023490
作品紹介・あらすじ
「いつでも人には親切にしなさい。助けたり与えたりする必要のある人たちにそうすることが、人生でいちばん大事なことです。だんだん自分が強くなり、楽しいこともどんどん増えてきて、いっぱい勉強するようになると、それだけ人びとを助けることができるようになるのです。これから頑張ってね、さようなら。お父さんより」(反ナチ市民グループ"クライザウ・サークル"のメンバーが処刑前に十一歳の娘に宛てた手紙)
感想・レビュー・書評
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良心に基づき命を賭して反ナチ行動を取った市民たち。彼らは戦後一転評価を得たわけでなく,長らく同胞から裏切り者呼ばわりされ,報われることはなかった。よく考えるともっともな流れではあるけれど,この事実はかなりショッキングだ。反ナチという点で彼らと同じ立場であった占領軍も,占領政策の都合上,反ナチ抵抗運動については故意に黙殺した。力をもつものと力をもたないものの差,といってもいかにも酷な話だし,勝者が敗者である全ドイツ人にドイツの犯罪の責任をかぶせることで,逆に個々のナチ同調者の責任を稀薄化してしまう結果となっている。
この本で紹介されているように,有名な白バラ事件と7月20日事件のほかにも数々の無名の市民がユダヤ人救援や体制打倒を目指す反ナチ抵抗運動に身を投じ,多くの刑死者を出している。戦前から戦中にかけてドイツ国民の大半は,ナチ支配体制から現実の利益を得ており,ユダヤ人虐殺などの事実に目を向けようとはしなかった。奨励される密告も反ナチ運動拡散の妨げとなった。そのような絶望的な状況の中,いくつものグループが存続していたというのはそれだけでも凄いことだ。
結局ヒトラー打倒は実ることなく外からの暴力により第三帝国は崩潰。それは多くの反ナチ市民が,ジレンマを感じつつも望んだ,唯一の現実的な解決だった。そんな彼らの胸のうちを思うと何とも言えない気持ちがする。再評価の機運が高まっているというのは良いことなんだろうな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ナチス党が政権を握って、1941年にヒトラーを暗殺しなければ大変な事になると考えた、スイス人親父モーリス・バボーのことが書かれていない。
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ドイツ近代史について良書。研究としての読み応えと、市民的勇気に心揺さぶられる稀有な読書体験ができた。昨今ヒトラーの人間性を好意的に捉える言説が巷で聞かれるが、この本を読み、どれだけの人がナチスドイツの犠牲になったのか、未来ある大学生が処刑されるような国のトップを肯定的に解釈する恐ろしさがどれほどのものなのか考えて欲しいと感じた。また時代は違えど西洋史を専攻した人間として、キリスト教的価値観倫理観とヨーロッパという点でも興味深かった。
ヒトラーが国民から大きな支持を得ていた中で、見つかればほぼ確実に処刑されることを理解しながら、抵抗した人々の姿を本書から感じ、自分がそのようなことができるだろうか、そのとき自分は命を賭してまでも母国祖国の本当の美しさを求めて自分の倫理観のもと行動できるだろうかと自問自答した。今の私ではできない。わたしはその自分の弱さを忘れないようにしたい。
私にできるのは、そのような究極の行動に出なくて良い豊かで幸福で正しい国づくりの一端を担うことだ。
私は仕事で中学生と関わることがあるから、ぜひ読んでほしいと思ったが、中学生には少し難しいかもしれない(高校で世界史を履修した後くらいなら理解しながら読めるかな?)。
できることなら、過去に私が紹介したアンネの日記に興味を持ち勉強してくれた彼女に紹介したい。
2021年5月 -
凄惨な反ナチ弾圧の実態が、実例を挙げながら克明に綴られているのに圧倒されたが、最終章(五章)の占領政策や東西冷戦といった体制側の都合によって反ナチ抵抗運動を無視、無かったものと扱ったくだり、その後のレーマー裁判についての記述には、「大衆心理」が抱える普遍的な、時代を超えた課題が抽出されているように感じた。
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p.58 ドイツ全土に食料配給制が実施され、9月1日の開戦と同時に、灯火管制義務、防空義務、海外放送の傍聴禁止が支持された。
p.107 ドイツ政府は現在の教会、つまりキリスト教を廃棄しようとしています。ドイツ人は全て1つの教えだけを信じて、ドイツ、キリスト者(福音波野協会の家、ナチ党シンパである「帝国協会」に結集した一派)の信者になるべきだといいます。
p.176 いずれにしても、軍事的な敗北だけがナチズムからドイツと世界を救う前提になると信じました。同じドイツ人として当然、良心の葛藤がありましたが、このように確信したから、皆、自国の敗北を願ったのです。同胞達の精神的に大事なものがボロボロになり、法制度を破壊されたドイツを再建するために、その基盤を明確にしようと言う強烈な願いが、同志たちみんなを結集させたのです。こうして1940年夏に組織的な議論が始まりました。
p.181 ところが、ナチスの出現で自体は一変した。なち指導部にとって「キリスト教は自然のほうに反するもので、自然への抗議である」と規定された。ここに言う「自然の法」とは、制度のための弱肉強食、優勝劣敗と言う生物界の要素を指している。彼らには「弱さへの共感」、「人間愛」とか「魂の救い」といった精神性は不可解なものであっただろう。そうした立場からすれば、キリスト教徒たち世界観とは共存できなかった。だから、ナチ指導部は、当面はキリスト教をナチ化して教会の存在を認めるにしても、最終的にはナチ世界観がこれに変わり、教会をドイツから消滅させようとしていた。
p.242 彼らは敗戦になることを知っていた。なぜなら、世界を敵に回していたからである。戦争を回避しようとし、戦争を早期に集結させようとしたのは、ドイツ人同胞の生命を救うためであり、ドイツに対して世界中が抱く否定的な評価を改めさせるためであった。
p.249 本書が着目したのは、その中でも既成の組織に縛られず、後ろ盾もない人々がいかに考え行動したかである。彼らを支えたのは、自らの責任で決断、仕事を引き受ける意思である。これを「市民的勇気(ツィヴィル・クラージュ)」と言う。
p.254 反ヒトラー独裁に立ち向かった人々の復権は7月20日事件に始まったが、無名の人々が糾合をしたローテ・カペレを経て、孤独の中、不当の事態の解決を必死に考え、決断し、行動したゲオルク・エルザを持って終えようとしている。着目してほしいのは、社会的エリートではなく、1人の小市民の勇気が顕彰されるに至ったと言う事実である。それと同時に、被迫害者たちの救済した多くの「沈黙の勇者」たちがいたことである。人間として的に生きることが難しい異常な時代だったからこそ、彼らはその本来の姿を示すことができたと言えるのかもしれない。
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戦時中の反ナチ運動は非常にも危険だったにもかかわらず、それに立ち向かった人々は少なくなかった。戦後も裏切り者扱いされることがあったり、苦労は続いていた。
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最初から最後まで読み応えのある内容だった。
反ナチ市民を中心にした時系列の章立てのおかげで、市民側が望んでヒトラーを求めたこと、なぜ望んだのかという背景的な社会問題も明瞭に説明されている。
ヒトラー内閣成立後、より激しくなる暴力、略奪経済、消耗戦。
密告が常態化しているなか、個人レベルの消極的な反ナチ活動はあり、慎重に活動の輪を広げてネットワークを成してユダヤ人をかくまい逃がそうとしたり、理想の未来「もうひとつのドイツ」に着目して燃える市民がいたりする。
第五章での、レーマー裁判の裁判長バウワーの論告には、言葉の持つ「智」の力を感じた。
最後にまとめられていた年表は、関連情報がまとめられていてわかりやすかった。 -
●ドイツ人はなぜナチスを受け入れたのか
現代にも共通する社会政策があったのだな。失業問題、公共事業、格安ツアー旅行の推奨、オリンピック開催…
芸能人がすぐ炎上したり、他人をむやみに攻撃する今の日本も危ういと思っちゃう
●戦時中のドイツにいた反ナチの人々
戦後彼らの復権に時間がかかった理由は、ドイツ人全てを一括りにして悪と断定したい欧米と、ドイツ上層部に残ったナチ残党、それから戦時中ナチスの非人道的政策に無関心を装った大衆だった…
良い学びだった -
"機会があったら、いつでも人には親切にしなさい。助けたり与えたりする必要のある人たちにそうすることが、人生でいちばん大事なことです" 他人にどう見られるかではなく、自分が何をすべきか