存在と時間II (中公クラシックスW29)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (413ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121600530

感想・レビュー・書評

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  • むずかしい。僕にはまだまだハードルが高い。翻訳が悪いせいだと思いたい(575)

    IIIに突入。IIの読了に実に時間がかかった。二度目なのに。

  • 了解…認識して受け入れる。解釈…意味付けをする。二つは予測を通じて循環する。
    世人…空談、好奇心、曖昧性により頽落に現存在を引きとどめる。
    世界を気遣う世人自己として世界に被投性された現存在が、おのれ固有の死を先駆しおのれを気遣うことで、自己の不可能性により世界を無に変える不安に陥るが、その単独化から逃れず本来的なおのれの良心の呼び声に耳を澄まし、おのれの可能性へ企投する。サルトルの「実存は本質に先立つ」や存在と無の関係は、ここに接続していると言える。
    "現存在の平均的日常性は、頽落しつつ開示された、被投的であって企投する世界内存在として規定されうるのだが、この世界内存在には、「世界」のもとでのおのれの存在において、また他者たちと共なる共存在において、おのれに最も固有な存在しうること自身へとかかわりゆくことが問題なのである。"
    世人、非本来性、頽落などを学的解釈や存在論の観点から批判ではないとしつつも、やはり「大衆化からいかに抜け出し、固有の自己を見出せるか」という実存論的な読み方が『存在と時間』にはあるといえる。規範や管理、強制力として世人の力を映し出している。生権力に近い問題である。
    また、真理について、知性と事物の一致という伝統的哲学からの定義を考察するが、これはフーコーの『言葉と物』に引き継がれており、また、真理・自己の問題は、『性の歴史』に引き継がれているといえる。ハイデガーは、アリストテレスを引いて、真理は存在者そのものとしてあり、現存在がある限り陳述として暴露することもできるが、他方で日常的には空談による聞き伝えの偽として隠蔽されているとし、近代科学的に単なる知性と事物の一致と解されることを否定した。
    "自由は、特定の一つの可能性を選択することのなかにのみ、存在しており、言いかえれば、その他の諸可能性を選択しなかったということに、またその他の諸可能性をも選択しえないということに耐えることのなかにのみ、存在している"
    複数の可能世界は、現実には存在しない。選択しえた世界ではなく、この現実を受け入れ、責任を負う。
    "本来的な開示性──最も固有な責めある存在をめがけて、黙秘したまま不安への用意をととのえて、おのれを企投すること──を、われわれは決意性と名づける。"

  • [ 内容 ]
    現象学的解釈学の方法によってあばき出される「現存在」の存在の意味と真相。

    [ 目次 ]
    内存在そのもの
    現存在の存在としての気遣い
    第2篇 現存在と時間性(現存在の可能的な全体存在と、死へとかかわる存在;本来的な存在しうることの現存在にふさわしい証しと、決意性)

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