- Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122015982
感想・レビュー・書評
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徳川吉宗が行った、享保の改革を中心に、その時代を解説した一冊。
吉宗が将軍時代、最も頭を悩ませたのが物価との戦いであった。
戦国時代から100年を過ぎ、世は太平となり贅沢ができる時代となった。
米価は下がり続けるのに、油や豆腐などの贅沢品は値上げを続けた。
そのころの米の生産量は需要を満たすレベルになっており、余剰米が豊かさを生み出して、庶民の関心は副食品やその他贅沢品に向いていた。
吉宗をはじめ、幕閣たちは庶民のニーズの変化をキャッチすることができなかった。また、当時の経済は京・大阪の商人が握っており、江戸は経済的植民都市ともいうべき位置づけにあった。
生産は西国、消費は江戸という関係性である。
大消費都市を賄う商品のほとんどが西国から送られて来ているのだから、その力関係は同等ではない。
また、当時は西日本は銀決済、東日本は金決済があたりまえ。
西日本の商人が握る銀の価値の方が高かった。
吉宗の少し前の代になるが、勘定奉行であった荻原重秀が、銀の引き下げによって江戸物価の安定に務めようとしたが、頓挫。
荻原は今に至まで、悪名高い勘定奉行のレッテルを貼られることになった。
この背景には、京・大阪の商人の頑強な抵抗があったためともいう。
吉宗の信任篤い、大岡忠相も銀の引き下げによる物価安定に務めようとした。
貨幣改鋳がそれである。
しかし、巨大金融組織をつくるまでに成長した商人たちは、逆に金銀の相場を操作をして以前より銀を高くするなど頑強に抵抗した。
この時代、幕府の力によって経済の統制をするのは不可能になっていたのである。この自由な経済発展が、富の分配を実現し、庶民の力を育てたといってもいい。文化文政における文化の華は、武士階級の貧困を犠牲にしながら、咲き乱れていったことをみると、歴史の皮肉すら感じる。詳細をみるコメント0件をすべて表示