青山二郎の話 改版 (中公文庫 う 3-13)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (151ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122044241

感想・レビュー・書評

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  • 骨董とかその手の芸術品の価値を真に理解するには、おそらく生活のための労働なんかとは無縁の環境に生きないと無理だと思った。

  • 小林秀雄や白州正子、大岡昇平や吉田健一といった錚々たる文化人たちと交流した稀代の趣味人・青山二郎のひととなりを示すエピソードを語ったエッセイです。

    白州正子にも同様の回想録があるのですが、本書の著者はもう少し青山二郎という人物の重力から離れたところに位置して、冷静に観察しているような印象を受けました。とくに青山の女性たちとの交流については、突き放した温かさとでもいったようなものが感じられました。本格的な評伝がいまだ存在しない青山二郎の人物を知るための一助となるように思います。

  • 宇野千代が青山二郎と交流のあった人を訪ね聞いた話と自身の記憶を頼りに書き綴った青山二郎の話。読めば読むほど青山二郎の奇天烈さにやられてしまい、一体どういう人だったのかますますわからなくなる。よほど魅力的な人だったのだろうなぁ

  • 骨董好きなら一度は憧れる人

  • 思いどおりに生きるには

    稀代の趣味人で、文学の世界にも大きな影響を与えた青山二郎についての思い出を、宇野千代が語った本を読んだ。「青山二郎の話」(中公文庫)。

    中原中也、小林秀雄、河上徹太郎、永井龍男等との交流、陶芸への偏愛。無垢なる放蕩。クーデンホーフ光子との縁戚関係。

    当時80歳の宇野千代が思い出したなりの書きっぷりなので、さまざまなエピソードが必ずしも整理整頓されずに、披瀝されている。しかし、その混沌とした書きっぷりの中から、青山二郎という人の輪郭と、宇野千代と彼の関係というものが、鮮明になってくる、不思議な本だ。

    肉親への非情さと、普通の人々へのあたたかさが同居していることの不思議さ。宇野千代は、青山二郎を知る人たちから、生前の関係を明らかにしようとする。しかし、青山二郎が自らを弁明する人間でなかったことから、第三者を通しては、結局、彼の面貌は明らかにならない。

    しかし、彼女の、青山との直接の記憶が、対象の姿を明らかにする。

    《青山さんには損得の勘定がない。いや、それがあったとしても、所謂、世間智と言うものとの関連がない。凡ての発想が直截簡明で、頭脳と心臓との間に、通せん棒をするものが全くないのである。》

    最後の奥さんである和ちゃん(当時15,6歳でまだ当然彼の妻ではない)を愛する青山さんの姿。

    《伊東の海岸で、その頃まだ、十五か六であった和ちゃんを抱いて、じっと海の方を向いたまま、まるで無念無想と言う顔つきのまま、何時間も座っているのである。いや、あれは、抱いていたと言うのではない。親猿が子猿を抱いているように、和ちゃんの体も海の方へ向けたまま、じいっとしているのである。海岸のことであるから、勿論、おおぜいの人が見ているかも知れないのに、そんなことは眼中にないのである。あのときの青山さんの顔つきも、凝り固まった人の顔だったと、いまになって思うと言うのである。》

    青山二郎の遊び好きは、ほんとうの放蕩ではないと宇野はいう。「遊んでいるその雰囲気を、自分から口に出して、もうこれで止める、という、そのことが辛くてできない」のだ。宇野は、自分が青山二郎の家に訪ねた時のことを思い出している。帰るという宇野を帰るなという青山。彼女が門を出ようとすると、それについてくる青山二郎。

    《「あら、あなたも一緒にお出掛けになるの、」と言ったのであるが、そのときになって私は、青山さんが私の帰るのが気に入らない。いや、怒っている、と分かったのであった。しかし、私にはどうしても帰らなければならないことがあった。子供が追っかけっこをする、あの一瞬の気持ちで、私はいきなり駆け出した。青山さんは生垣のある家の角のところでちょっと立っていたが、私が駆け出した瞬間に私を追ってきた。私は息も出来ないほど駆けて逃げた。》

    直截簡明の行動しかとらない、子供のような心が青山二郎という人だった。

    人間は死んだ時にすべてが明らかになるという。とても怖い言葉である。青山二郎は昭和54年に亡くなった。戒名は「春光院釈陶経」。

    《四十九日の法要には、おおぜいの人が集まった。「故人が生前住んでいた部屋で、」と案内状に書いてあった。どんなところに青山さんは住んでいたのか、と思う気持ちがあったかも知れない。ずっと以前につき合っていて、ながい間、顔も合せていない人も来た。遠くから汽車に乗って来た人もあった。「じいちゃんは草花が好きだったんだねぇ、」と感慨をもって言う人もいた。窓のそとの花壇に、花の鉢植が列んでいる。好い天気であった。強いて青山さんの話をする、という風ではなく、みな、勝手な話をしていた。以前に、NHKで放送したと言う青山さんの「真贋」と題する話が、テープで流されたが、それも自然に行われたので、気持ちが宣かった。青山さんの声をきいて、始めてのように涙ぐんだ人もあった。

    (中略)

    ともあれ、四十九日の法要などと言うのではなく、何か愉しい会合があって、人々が集まっている、と言うように思われた。出された弁当も旨かった。奥の小間の床の間に、お骨が飾ってあって、その上に青山さんの、ちょっと笑ったような写真と位牌がおいてあり、畳の上に備前の大きな甕があって、花がざっくりと挿してある。ただそれだけで、祭壇のようなものがまるで設けてなかった。人々はその前で手を合せたのであるが、これも気持ちが宣かった。》

    おもいどおり生きるということは、そんなに簡単なことではない。赤貧の時も富裕の時も、まるで変わらなかったという青山二郎。とてつもなく、強い人だったのだろう。青山二郎も陶器という高級品を愛したわけではなく、「欠けていても、破片になったような人でも、強い、迫ってくるようなものがあると、惹かれていった」のだ。それはものと人を隔てるものではなかった。

    50も近づいてくると、何が欲しいとかという思いは急速に消えてくる。だからこそ、一緒にいたいとか、好きだとかいう自分の直観を導きの糸に、生きていきたい。

  • 「骨董は女と同じだ。抱いてみなければわからない―透徹した美意識に支えられた審美眼の主として、異彩を放ち続けた青山二郎。
    その放蕩も含めて日常を見守った著者が、愛と尊敬と好奇心をもってささげるオマージュ。抑制されたやわらかな言の葉に、卓越したある時代の魂がたしかに宿る。」
    (裏表紙の作品紹介より)

    青山二郎の人を惹きつけてやまない様がとてもよく伝わってくる本でした。
    個人的には、青山の最も愛した女性・和ちゃんを描いた部分がすごく好きでした。

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著者プロフィール

宇野千代
明治三十年(一八九七)、山口県に生まれ岩国高等女学校卒業後、単身上京。自活のため、記者、筆耕、店員など職を転々とし、芥川龍之介はじめ多くの作家に出会い、文学の道へ。昭和三十二年(一九五七)『おはん』により女流文学者賞、野間文芸賞。四十七年、芸術院賞受賞。平成二年(一九九〇)文化功労者に選ばれた。八年(一九九六)死去。ほかの主な著書に、『色ざんげ』『生きて行く私』『宇野千代全集』(全十二巻)など。

「2023年 『九十歳、イキのいい毎日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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