國破れてマッカーサー (中公文庫)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (592ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122045569

感想・レビュー・書評

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  • マッカーサー統治下の日本占領に関する内容だったが、とても興味深い話だった。アメリカの占領政策は日本の平和が第一ではなく、日本人の誇りを奪って日本が再びアメリカに歯向かわない様に実行されたものだったことがよくわかった。
    憲法、教育、安全保障、経済等は今でもアメリカの占領政策の影響を大きく受けているのだろうか。この本を読んでみて、日本国憲法の改正は必要だとよくわかった。。

  • アメリカの機密文書が公開期日をむかえ、それを読むことでわかった終戦前後の日米の事情。
    アメリカ占領当時の、事実が細かく明るみに。

  • 本書は前半が占領政策、後半が教育行政を描く。単なる機密文書の紹介にとどまらず、しっかりと構成されている。日本の近代史を知るためには不可欠の一書といってよい。ただし、マッカーシズムについて書きながらもヴェノナ文書(『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア)に関する記述がないのは腑に落ちない。またマッカーサーについては兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉著『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』を併せて読むと理解が深まる。
    http://sessendo.blogspot.jp/2015/11/9.html

  • 大東亜戦争の敗戦から、憲法の制定、朝鮮戦争、サンフランシスコ講話条約までの激動の歴史を、日本の政治家達とマッカーサーの関わりの中で描く。近衛文麿の逮捕を、彼がマックの望む憲法草案を作れなかったからだという推測は、かなり説得力がある。

  • 日本には、国破れた後も、山河は残っているだろうか?
    国は亡びようとも、泰然とそこにあり続ける確固たる何かが、土地にも人の中にもあるはず。日本人にとってそれは何なのか。胸を張って言えるだろうか。

    マッカーサーのミッションは、山河までブルドーザーで地ならしすることだった。

    詩聖と呼ばれた杜甫の『春望』、こんな見方もあるんだな。戦略的に見て、山河の存在がいかに重要か。


     マッカーサーは英雄だ。それは日本人にとってもそうなのか?戦後のアメリカの政策は日本の牙を引っこ抜いて、去勢して、手なずけるためのものだった。
     というようなことが書いてある。右よりかな?というか、右から戦後の日本を見て書かれている本。

     マッカーサーはあくまで題材で、戦後日本のことがまとめられている本。

    ___
    p13 憲法9条は愛国心の墓
     平和は戦争よりも危険だ。そういっていたのは誰だったかな?戦国時代じゃあないからもう戦争はいらないんだけど、タカ・ハト理論は現実だ。

    p15 あの口うるさいアメリカが教育には口出ししない
     経済・関税・外交のことについて、ネチネチ口出ししてくるアメリカも日本の教育について言ってくることはほぼない。世界的にも教育というのは第一級の中立性の必要があると認識されているから、というのもあるが。
     実際は現状に満足しているからとも考えられる。順調に英語化は進んでいるし、反戦教育はほぼ100%だろうし、資本主義が染みついたし、微調整するだけだもんな。

    p30 神風特攻隊への畏敬の念
     特攻機を落とすアメリカの若者は、敵ながらも勇気をもって挑んできた戦友に対する、尊敬とその狂気への恐れを抱いていた。

    p31 輸送船
     戦争は単純な攻撃力だけで戦力は決まらない。輸送力が決定的な力の差に表れる。米は日本の輸送船を2,394隻沈めた、一方日本は米輸送船を98隻しか沈めていない。日本は輸送力の85%を失っていた。

     そんな日本軍は世界最高級の戦艦大和を建造して状況を打開しようとした。1945.4.6、大和は乗員2774名を載せて、沖縄へ向かった。一機のゼロ戦も無く(もう残っていなかった)最後の石油4000tを積んで、「菊水作戦」へ出港した。翌日の午後2時23分、グラマン戦闘機千機の猛攻に7時間の死闘の末、撃沈した。援助を断たれた沖縄は、ただひたすら死を待つのみであった。

    p39 ルーズヴェルトは下半身不随
     1921年39歳の時にカナダの別荘でポリオに罹患し、後遺症で下半身不随になった。アメリカ大統領で唯一の重度障碍者である。彼は車いす姿を大衆に曝すのを嫌い、植え込みなどで隠ぺいするのに必死だったという。TVがまだ大衆的でなかったため、知らない人も多かった。

    p40 スティムソン陸軍長官が日本を褒める
     スティムソン長官は実質ポツダム宣言の素をトルーマンに進言した人物。日本の明治政府の西洋化の達成を賞賛し、日本人は狂人ではなく、本当は話の分かる頭の良い民族だと進言した。

    p46 松根油
     日本はガソリンがなくなると松脂をとるため松を掘り起し根っこを切り出して松根油を作った。これが四斗(72㍑)あれば戦闘機は一時間跳ぶことができるという喧伝もされた。

    p48 日本は暗号も変えず
     日本は開戦から一度も暗号を変えず、終戦まで敵国にばれていることにも気づかなかった。アメリカは真珠湾の一か月前には解読していた。

    p55.56  シベリアの地獄
     ソ連兵は女子供を戦車でひき殺し、死体から銀歯や金歯など金目のものをペンチでむしり取った。男は極寒の中を収容所まで行進させられ、何人も死んだ。強制労働でも何人も死んで、冬の死体は凍ったまま山になった。
     春になって死体を埋める穴を掘るが、死体は凍っていてバラバラにする必要がある。仲間の遺体を傷つける仕事なんて誰もやりたがらないが、やったものにはジャガイモを与えると言って、餓えを利用した。
     やった人間は恥を忘れない。それでも生きたかった。ただそれだけだった。人はそんなふうになれる。

    p85 日本人を改宗できなかった
     1948年のキリスト教徒は342,607人で人口の0.4%でしかなく、マッカーサーが日本に来る前とほぼ同じである。

    p97 ペンドルトンの報告
    ①日本人はどんな地位にも関係なく犬のように扱われている。
    ②日本人には報道・言論の自由はない
    ③賄賂は当然なものになっている
    ④財産没収が横行している
    ⑤早く手を打たなければ日本人は共産主義者からのどんな誘いでも歓迎するだろう
    ⑥いま、日本に共産軍が侵攻してくればアメリカに脅える人たちから歓迎されるだろう。我々が日本人を共産主義に駆り立てている

     マッカーサーはアメリカ兵の「非アメリカ的行い」の事実を知らなかったのだろう。

    p113  仕組まれたパールハーバー
     悪名高き真珠湾攻撃だが、作戦決行されたのは日曜日で、なぜか空母三隻にだけ演習命令が出ていた。そのおかげでその空母は助かった。アメリカが日曜日に演習を行ったのはこの時が最初で最後である。
     アメリカは日本からの宣戦布告という大義名分が欲しかったのである。

    p118 サンシャイン・シティ
     東京裁判で死刑が宣告された人たちの処刑場、巣鴨処刑場は、現在のサンシャイン・シティビルである。

    p134 教員の給料
     当時の月の生計費は340円くらいで、大学教授は月に200円、小学校教諭は地方58~都心130円であった。極度の貧困で食べていくのでやっとだった。
     この窮状から、教員の労働組合の組織は奨励されて、知事選への立候補も民主主義への一歩として奨励された。しかし、それがそのうち共産主義の温床になる。
     このような食糧難で、教師も生徒も教育を放棄するものが多数出る状態だった。教育が進まねば民主主義の発展もない。さらなる食糧援助が必要だった。

    p161 防共のためのドッジ・ライン
     日本の経済の安定は、共産主義が入り込むのを防ぐ。そのためにドッジ・ラインというドルを基軸通貨にした日本の物価安定策がとられたし、ガリオア資金・エロア資金といった援助もされた。
     日本がアメリカを欲したように、アメリカも日本を必要としていたのである。

    p169 東京ローズ
     日本帝国のプロパガンダのために利用された日系二世のアイヴァ=トグリ=ダキノは、1945.9.6にアメリカの国賊として横浜で逮捕された。運悪く1941年に叔母の見舞いに日本に来たところを特高警察に捕まり、東京ローズにされた。戦後は国賊として裁判にかけられ、でっち上げを食らって6年間の刑務所生活を送ったり、散々な人生になってしまった。そういう悲惨な人物がアメリカにもいた。東洋人の混血への人種差別が公然と行われた事件であった。

    p200  野坂参三
     共産党員、スターリンのスパイだった。

    p229 奥村のミス
     奥村勝蔵。天皇とマッカーサーの歴史的対談の通訳を務めた。1941年12月7日日本大使館の一等書記官でありながら、東京からのハル・ノートへの最後通牒を翻訳し遅れ、戦中・戦後の日本に計り知れない悪評をもたらした人物。

    p234 共産党が一番良かった
     各党が提出した新憲法案では、共産党の物が人民主権、天皇制廃止、基本的人権の尊重…とGHQのものにとって最良だったが、共産党の物だったから受け入れられなかった。

    p248 極東委員会の介入に怒る
     マッカーサーは占領政策決定権を持つ極東委員会に事前協議もなく憲法草案を承認した。こういう独善的なこと日頃から行っていた。

    p256 第9条は幣原喜重郎が加えた
     マッカーサーの回顧録ではそうなっている

    p258 なぜ幣原が加えたことになっているのか
     冷戦、中華人民共和国、ソ連の原爆、朝鮮戦争まったなし、警察予備隊の必要性、、、
     マッカーサーが第9条を要求したとなったら、警察予備隊を作らせるときに矛盾が生じてしまう。それゆえ、日本側からの要求の形をとりつくろっているのである。

    p259 当時は共産党も自衛隊容認だった
     衆議院憲法草案審議の中での吉田首相と野坂三蔵のやりとりでは、野坂は「自衛戦争なら容認できる」、吉田は「正当防衛という考えが曲解されて戦争に発展する。そういう考えは有害無益である。」
     今とは真逆だね。

    p261 第9条反対
     筆者の主張。自衛・防衛は本能である。この平和条項は防衛本能を日本人が行使できないように拘束されているだけである。防衛能力がないからアメリカ軍が駐屯している。結局、国内に戦争能力を置いているのに、自分では何もできない。日本は本当にペットにされているだけである。

    p264 『アメリカの鏡・日本』
     ヘレン=ミアーズ著、アメリカの日本占領について良心の呵責を綴った本。

    p288 何をつぶせばよいかわかった
     マッカーサーは、田中耕太郎文相が教育勅語再生に奔走している情報を正確に把握した。そして、日本の何が戦争に走らせ、これから何を壊していけばよいのかを理解した。
     田中が教育勅語・国体護持を守るため頑張れば頑張るほど、それを窮地に追い込んだ。

    p296 吉田勅語
     吉田首相は教育勅語が廃止させられた1か月後に、勅語を継ぐ新しい道徳綱領を作るため、GHQに事前相談なく文教審議会を設立した。しかし、結局、あらたな吉田勅語なるものは実現しなかった。それほどアメリカは教育勅語を危険視していた。

    p298 愛国心
     アメリカは、教育勅語が日本国民を戦争の狂気に導いたとし、その存在を抹殺した。ではだからと言って、教育勅語がなくなって本当に日本人は道徳的に成長したのか、日本の倫理観は以前よりも高度になったか。
     筆者は、現代では教育勅語というものがあった事実らなくそうとしている。日本人の歴史の一つとして教育勅語というものがあったことを教えてなぜいけないのか、教えるべきだと言っている。

    p307 『太平洋戦争の歴史』
     GHQは戦後日本の子供たちに日本の敗北を叩き込むために『太平洋戦争の歴史』を配本した。

    p311 滝川事件と鳩山一郎
     戦時中のリベラル弾圧事件である滝川事件は鳩山一郎が主導した。だから戦後、鳩山はGHQからパージされた。

    p314 教員の政治活動
     戦後の神道をどうするかの問題で、教育局長の前田耕太郎は「天皇を神として崇めることは禁じられているが、国の統治者として畏敬の念を持つことは、かまわない」とした。これはGHQに民主主義への挑戦的な態度としてとられた。この状況で文相の安倍能成はGHQの顔色をうかがって、教員の政治活動と政治団体への加入を許可して民主主義の態度を示した。ものすごい。

    p333 愛国心の削除
     GHQは教科書検閲で「愛国心」を「国を思うこと」と赤ペン修正した。安倍晋三はそれを復活させたんだな。

    p353 すし詰めの教室
     当時は初等80人、中等60人が許されていた。しかもこれよりも人数の多いクラスもあった。日本の先生はすごいと言われていた所以。

    p361 カタカナ
     アメリカ側では日本語をローマ字だけとか漢字禁制とかカタカナだけにしようとしていた。採用されなかったが。その理由は、漢字を禁じれば戦前の文化に触れなくて済む。カタカナで検閲が容易になる。漢字の学習時間が減らせて子供たちの学力が平均化される。カタカナならタイプライターが仕えてビジネスの効率化が図られる。

    p408 ドイツと日本の扱いの差
     アメリカの教育使節団の扱いの違い。日本では文化を徹底的に壊すことが必要だと考えたが、ドイツの文化は重要で尊重すべきとした。プロテスタントを生んだ国だから?ヨーロッパの歴史は尊重されるってことか。

    p415 日本人が非科学的という誤解
     文部省は『新教育指針』という日本の教育の現状を考察した文章を教師たちに配本した。その中で、日本人の弱点をあげているが「日本人は科学的水準が低い」とある。それは間違い。当時の世界最高戦闘機「ゼロ戦」を作ったのはどこの国か。明治維新からたった数十年で欧米に肩を並べるまでになったのはどこの国か。あまりに自虐史観。

    p419  人身御供(ひとみごくう)
     昭和天皇は皇太子明仁にアメリカ人家庭教師を付けようとした。占領下での皇室外交。皇太子を人身御供にしようとしたのだ。国のために身内を捧げた。

    p427 英語化は日本を香港化する
     明治政府の初代文部大臣である森有礼は日本を英語化すべきと極論を述べた。今でも英語を常用語にしようという試みがある。長い間イギリスの統治下にあった香港のようになるであろう。

    p434 朝鮮戦争で学んだもの
     朝鮮戦争は戦争特需で戦後日本の経済を復活させた。それと同時に、日本人の精神を卑屈にした。「アメリカ無し」じゃあ何もできないという現実を迎合するしかないと、弱い日本も作り出してしまった。

    p435 朝鮮特需は麻薬
     平和を高々と謳って、実質軍事力をアメリカに依存して、儲けだけを得る。日本人は自分の国に責任を負わなくなった。ただ、この状況は金儲けにはおあつらえ向きで、一度味わったら抜け出せなくなる。ベトナム戦争でも、中東戦争でも、うまい味を吸ってばかりだ。

    p440  金閣寺
     1950年7月2日、日本の国宝である金閣寺が焼失した。大谷大学シナ語科1年の林養賢が放火した。放火自殺しようとしたが、怖くなって逃げ出し、後日つかまって懲役7年になった。その母は自殺した。
     翌7月3日には、朝鮮戦争に国連軍が本格参戦して、平壌に爆撃を開始した。

    p444 ゼネストがパージの契機
     ゼネストは共産主義者に先導されたということで、労働組合の組織を奨励したGHQも震撼した。行政機構がマヒすれば、GHQが悪者になる可能性が出てくる。そこから共産主義への態度が硬化し、パージが始まった。

    p493 戦犯への恩赦の意図は軍隊再建
     1950年3月7日にマッカーサーは戦時戦犯を釈放してよいという恩赦を出した。戦犯たちには職場も待っていた。警察予備隊である。

    p499 再軍備について
     国防省は日本の再軍備に反対だった。
    ①米軍が駐留すれば済む。②日本の財政は経済復興に注力すべき、アメリカの援助が不効率になっては無意味。③日本が自主的に再軍備しなければ、アメリカが強要したと言われる。④日本との友好関係が余計にシビアになる。また、日本の軍備化はソ連中国の軍備増強につながる。⑤従来の平和路線を覆すと、日本国民からの信頼を失い、共産主義の台頭を招きかねない。⑥連合諸国からの印象がある。フランスはドイツの復活の序章と恐怖するだろう。
     たしかにアメリカは日本を再軍備できないわ。

    p511 歴史上の嘘
     占領統治下のアメリカは嘘ばっかり。マッカーサーも「日本の憲法制作には関与していない」とかしれっと言うし。

    p517 吉田茂の親マッカーサー度合
     1952年のサンフランシスコ講和会議で占領が終了すると決まるまで、吉田総理の演説は常にマッカーサーの検閲が入った。吉田もそれに従う。マッカーサーの恐ろしさをよく知っていた。言うことは聞きつつ、政治を立ち回っていくしかない、本当の強かさを必要としたのだ。

    p520 マッカーサーとトルーマンの喧嘩
     冷戦下で、トルーマンはアメリカが台湾の蒋介石政権を支持しているという事実を隠したかった。しかし、マッカーサーは公で「そんなん大丈夫。GHQが台湾を守ればいいんだろ?」とトルーマン眼中になしの態度をとり続けて、トルーマンの逆鱗に触れる。

    p525 中国と闘いたい
     朝鮮戦争で北朝鮮を鴨緑江まで追い詰めたものの、中国義勇軍の登場で逆襲にあった。マッカーサーはトルーマンに「中国を討たせろ。中国にいる共産主義者を根絶やしにしないとこの戦争は終わらないぜ!」と要求した。

    p526 国府軍を使いたかった
     マッカーサーは台湾の蒋介石政権を担ぎ出して、中国決戦をすべきと考えていた。つまり、第三次世界大戦の引き金を引こうとしていた。トルーマンは待ったをかける。
     しかし、議会ではトルーマンの優柔不断が英雄(マッカーサー)の枷になっていて、朝鮮戦争が長続きしているという声も出た。

    p532 朝日はマッカーサー万歳
     占領初期にマッカーサーに挑戦し、二日間の発行停止になった朝日は、一転マッカーサー礼賛に手のひら返しした。

    p535 マッカーサー神社
     マッカーサーが帰国したのち、日本ではマッカーサー神社を建てようという声があった。ただ、戦後日本では現人神をまつることは禁じられていたので、マッカーサーの教えに真っ向から反対するものだった。
     しかし、マッカーサーがアメリカで「日本人は12歳の少年程度の知的成長である。」という暴言からその話も反故になった。

    p538 朝鮮戦争はアチソンのせい
     北朝鮮を刺激して戦争を勃発させたのはアチソン国務長官だという声があった。1950年1月12日の記者クラブでの演説で「アメリカの太平洋における国防の最前線は、アリューシャン列島から日本、沖縄からフィリピンに渡る線である。」とのべ、朝鮮半島は関与せずという印象を与えたことが問題だったということらしいが、無理やりだろう。
     他の理由として、アメリカの日本との単独平和条約の話が進展する中で、北朝鮮が朝鮮統一を急いだのが理由だという話がある。

    p541 沖縄
     沖縄は日本がアメリカに払った用心棒代。日本にとっての人柱である。

    _____

    ファー疲れた。
    これだけメモすることがあるってことは、良い本だったということだろう。

    マッカーサーというより、戦後日本のお話だった、やっぱり。

    いやー、つかれた。まとめるのが。

  • 「これが真実だったのか!」
    戦後の占領下の日本を、アメリカの公文書を読み解くことで初めて明かされた真実の書。
    日本を「平和洗脳教育」した過程がとてもよく解る。
    全てを理解できたわけではないので、戦後の歴史の真実の教科書として更に読み返していきたい。
    多くの、本当に多くの日本人に読んでもらいたい。
    (この本を手に取る程の教育レベルが保たれているのか…今の日本は)

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著者プロフィール

1941(昭和16)年真珠湾攻撃の5日後、大阪市住吉に生まれる。岡山県の山間の城下町備中高梁へ疎開。関西学院大学文学部卒業直後の1965年7月、シアトルのワシントン大学大学院へ留学し、博士号PhD(国際政治・比較教育学)を取得。留学初期、授業料稼ぎのため肌が切れるほど寒いアリューシャン列島サケ缶詰工場(イクラ製造)やニューヨークのJ. Walter Thompson広告代理店に勤務。シアトル大学大学院客員教授、麗澤大学教授、日本大学大学院教授、モラロジー研究所教授、滋慶学園教育顧問などを歴任。現在、スタンフォード大学フーヴァー研究所「Tadahiro Ogawa Fellow」。著書に『國破れてマッカーサー』『富国弱民ニッポン』『アメリカ帝國 滞米五〇年』などがある。懸賞論文「美学の國を壊した明治維新」で第九回最優秀藤誠志賞を受賞。

「2021年 『占領神話の崩壊』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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