- Amazon.co.jp ・本 (319ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122059276
作品紹介・あらすじ
古代から現代までの名高い戦争について、戦闘力を殺傷力・移動力・防護力の三つの機能に区分し、戦闘はこの三要素の衝突による、相手の戦意のつぶし合いとしてとらえて実態を分析、兵器の戦闘力と運用する戦略・戦術の観点から、豊富な図解で考察する、従来の日本史を新しい視点でとらえる名著。
感想・レビュー・書評
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兵器と戦術を絡めた面白さと、妄想混じりの独自の史論が混じり合って独特の面白さを醸し出している。
素人的には戦術解説も納得行くが、専門家的にはどうなのか?
一読の価値はあると思う。 -
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 倭歩兵の興隆と衰退ー海北四百年戦争/第2章 律令徴兵歩兵の誕生と終末ー蝦夷百年戦争/第3章 少数精鋭騎兵の勝利ー覇権武士に移る/第4章 突撃騎兵と矛歩兵衝突すー元寇/第5章 歩兵台頭すー元弘・南北朝の乱/第6章 足軽歩兵地位を確立すー応仁より天下統一へ/第7章 陸の鉄砲・海の大砲ー朝鮮の役/第8章 洋式近代軍の勝利ー幕末・戊辰戦争/第9章 太政官徴兵軍勝利すー西南戦争/第10章 日本帝国軍の盛衰ー日露より大東亜へ -
古代から近代日本で陸戦兵器を活用した戦術に関する軍事史書(2014/03/25発行)。
個人的には読みずらい本でしたが、まっとうな内容なので、この手について興味のある方であれば、一読する価値はあると思いました。 -
陸士出身の元軍人が書いただけに、視点が専門的かつ論理的で、それだけでも読む価値があるが、卑弥呼からの古代王朝の戦についても見てきたかのように描写し論考した記述には、信憑性に疑いを持ちたくなる。中世以前の戦闘についても、近代の軍事常識を当てはめ過ぎているようにも思う。ただ史料は相当読み込まれていて、根拠として具体的に引用もされているから、問題は史料の信頼性の方というべきかも。軍人の生き残りがいなくなった現在、より貴重な書と言える。
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(欲しい!/文庫)
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「兵器と戦術」というタイトルだが、日本史として著者独自の解釈が資料に裏付けられて展開されており、非常に面白い(銀英伝のヤンもこういう戦史なら喜んで受講したのではないかと思う)。
惜しむらくは専門用語と人命に読み仮名がなく、非常に読みづらい(文章は平易なのだが単語が頭に入らない)。
wikiと突き合わせてじっくりと再読したい。 -
世界史の作品が良すぎたのかイマイチな感じが抜けず。
古代日本と朝鮮半島の充実した内容に、え?このペースが続くの?と思ったが、不完全燃焼した印象。
歴史資料が少ない古代史の分析するのも良いのだが、近代化史の戦術をもう少し紙面に割いて欲しかったと思う。 -
日本が関わってきた兵器や戦術を分析した本。
兵器の差による勝敗の比重が多いと思いますが、本書のあとがきにもありますが、"これを活かすも殺すもひとえに人にある"、という結論に最後は落ち着いちゃうんでしょうか。
本書の内容は兵器&戦術について素人の私にも理解できるレベルかと。個人的には、昔々の時代から白村江の戦いまでの兵器、戦術の変遷が説明されていて面白かったです。 -
歴史に関する本を読むのは私の楽しみの一つですが、特定の事件・人物に焦点をあてたもの以外に、あるテーマに絞った通史についても興味を持っています。
この本は、著者が着目した戦争の主要因子である、殺傷力・移動力・防護力の観点から、古代から現代までの有名な戦争の解説を行っています。
「おわりに」の部分でこの本の著者である金子氏が書かれているように、兵器は確かに重要ではあるものの、これを活かすも殺すもひとえに「人」にある(p293)というポイントはどの分野にも通用するような気がしました。
また歴史は繰り返すといわれますが、全く同じ形では繰り返さないものの、考え方が変わっていないと似たような形で同じ失敗は繰り返す様です。このポイントは会社でのビジネス戦略を考える上でも応用できると思いました。
以下は気になったポイントです。
・殺傷力、移動力、防護力の3要素をどのように運用して勝利を得るかは、戦略・戦術の分野である(p3)
・白村江の戦いの後、近江朝の敗北により、卑弥呼以来400年にわたり続けてきた戦争は、新羅派の完全勝利により終止符、唐・高句麗との国交は断絶、再開は701年(p41)
・軍団は1000人を基準として一個軍団、下部指揮官として200人ごとに校尉一人、100人に旅尉、50人に隊正、それを分割して、10人を「火」として六頭の駄馬、5人を「伍」とし最小単位とした(p44)
・軍役期間は、病弱でない限り60歳まで、1回の召集期間は平時は2-3ヶ月間、征戦行動は農繁期をさけて収穫の終わった、秋・冬より翌春までの半年間(p45)
・武士が従軍するのは、恩賞・利益が期待できるから、その行賞の基準は武者個人あるいは一党のあげた首級による。集団ごとに敵の同様の集団と戦い、逐次後退する、いわゆる懸合い戦法。兵力の逐次使用という戦術上の大きな過失だがお互いそのルールなので差し支えない(p94)
・義経の一の谷への迂回は、予定より3時間も遅れたので、城郭周辺で鎧をぬいで休息していた平家歩兵は、わずか70騎に蹴散らされた。大将が先頭になって敵に突入する戦法は、関東武者の大きな反感を招いた。他のものが恩賞にあづかれないので(p102)
・弘安の役において、元軍10万が平戸に集結していたことは日本側の記録に無かった、日本軍が壱岐にいる東路軍にけん制されていたため。このような現象は、平家の屋島失陥、サイパン失陥でも起きている(p125)
・南北朝から応仁の乱にかけて、歩兵の進出と足軽の地位向上があり、戦法・戦技の変革をもたらした、士卒の「卒」が権力機構に加われたのは、長槍・集団戦法の採用という、兵器・戦術の変革にある(p155)
・信玄軍は、強化された鎧を着た騎馬武者を多くし、この各人に2-4人の歩兵を付した騎歩チームを多数編成して、これを突撃力の中心にした。これが騎馬隊と誤解された一因、これは混戦に強かった(p158)
・鉄砲装備率はしだいに増加、戦国末期の5-6%から、信長軍の10%、秀吉の天下統一時には20%、桶狭間の戦い頃は、鉄砲:長槍=1:4-6だったが、天下統一ころは、1:2-3であった(p177)
・信長は、足軽を兵備の中核とし、長槍歩兵集団用法を重視して、欠点を鉄砲火力で補い、秀吉も踏襲hした。東国の武田・北条軍は、少数精鋭を旨をした、騎歩チームを重視した(p178)
・大阪夏の陣では、東軍の鉄砲装備率はついに50%となり、槍の1.5-2倍になり、突撃力は弱体化。夏の陣5/7の決戦では、幸村の槍歩兵に突撃され、家康も後方へ後退した(p210)
・西南戦争において、官軍の死傷は1.5万人、死傷率は34%、砲弾7.37万発、小銃3489万発、西軍の死傷者は1.5-2万人、兵力・装備に大差があったことを考慮すると、西軍はきわめて善戦したといえる(p262)
・日露戦争の山は、日本海海戦のようにみえるが、旅順要塞の攻略により第一太平洋艦隊が壊滅したのも大きい(p278)
・第一次世界大戦で登場した新兵器は、戦車・毒ガス・航空機である(p282)
2014年7月6日作成 -
本書のような、「通史的に視て考える」というような内容に触れると、或る時点での「間違い?思い違い?」というようなモノの「遠因かもしれない?」というモノが、「意外に以前から“根”が出来ていたかもしれない」ということに思い至ったりする。或いは、比較的近年の状況というものが、かなり古い時代の出来事の構図と似通っていることに思い至るような場合も在る。本書は1980年代初めの作品ではあるものの、前述のような意味で、全く旧さを感じさせないと思う。
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著者は陸軍出身ということでほぼ陸戦の話。弓、槍、から小銃、砲までの兵器と戦術の変遷。海・空の話がほぼないので近代以降は物足りない。