マレ・サカチのたったひとつの贈物 (中公文庫 お 91-2)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122065567

作品紹介・あらすじ

「読めばきっと、時間を無駄にできないな、と思える、うつくしい作品でした」(伊坂幸太郎さんによる帯コメントより)

世にも不思議な病「量子病」に冒され、世界中を跳躍し続ける坂知(さかち)稀(まれ)。大学の図書館から信州の老婆宅に跳んでしまう午後もあれば、中東で目覚める朝や、ウィーンでオペラに興じる夜もある。これは神のサイコロ選びなのか、一瞬後の居場所すら予測できず、行き先も滞在期間も不明。人生を“積み重ね”られない彼女が、世界に爪痕を残すためにとった行動とは――。これからの「幸せ」の意味を問う、感動のSF長篇!

感想・レビュー・書評

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  • 年末のどさくさで行方不明になっていたものをやっとの事で見つけ出して読み終わりました。
    新年1冊目。

    量子病という病にかかり1つ所に留まれないマレが、壊れゆく世界の中で色々な人に出会い自分の存在の意味を知る。

    1冊が壮大な叙事詩のようになっていてとにかく美しい言葉が胸を打つ。

    ラスト近くは割としっかりとしたストーリーがあり、むしろそこが少し凡庸に感じたけれど、ラストは元の雰囲気に戻りすごく良かった。

    世界観は少し去年読んだ 『アメリカンブッダ』に似ているかなと思った。
    SFは得意じゃないからこそ敢えて読んでいるのですが、こういう美を孕んだストーリーは好みです。

    細かく断片的な話の積み重ねなのですが、ほんの少ししか登場しない人物も全てマレと出会いモノクロに色がさされ、生き生きと動き出す。
    誰もみんな愛しく印象的でした。

    こんな映画があったら素敵だなと思うけれど、邦画じゃ無理だろう。どちらかと言えばフランス映画の趣。

  • 面白かったです。出会いと別れ、共に尊いというのを普段は忘れて、別れの悲しみだけを重く捉えてしまうけど、別れが無いと出会いも無いので同じくらい大事なことなんだよな。
    祝祭資本主義と祝祭テロによる分断と格差で破滅へ向かう世界で、人々はネットの世界に移住してしまうけれど(たぶん文字通りネットに存在する)、コロナ禍でオンラインのみで交流することも増えた昨今ではこのうすら寒さがより身に沁みます。出来るだけ傷付きたくはないけど、わたしも生身で交流したい。ネットの関係はぷつんと断ち切るのが簡単だから、自分に優しい人ばかり周りに置いておく事も出来るけどそれで良いのか?って思います。
    マレは量子病で祝祭を移動しまくる事しか出来ず、出会った人との人間関係を積み重ねられない。でも出会った記憶と影響は相手に残り、マレには積み重なっていく。それが最後の決断に繋がったのだと思います。
    強く光る、大きな祈りのような作品でした。生きる人への祝福だ。

  • 量子力学をテーマにしたSF仕立てですが、生きるっていうことを追求していくような話になってる。全世界的にテロと経済崩壊が連鎖していく未来像が、なんだかとてもリアルに感じる。いつどこに跳ぶかわからない主人公のごとく、物語もあちこちに跳ぶ。そして徐々に結末に向かって収束していく。なかなかスリリングで目が離せない小説でした。

  • 内容が複雑なので読むのが難しい。
    立場の異なる人間が入り組んでいて物語の主軸がどこにあるのかわからないまま話が進んでいく。
    かつ場面転換が多く、さらにその度に新たな人物が登場し、加えてSF的な用語や造語も登場してくる。

    しかしこれは物語上仕方ないというか、目的を持ってそう書かれている節があり、そのわかりづらさが効果的に物語の理解へとつながっている逆説的な面を持っている。

    とは言え難しいのは確かなので、私なりの理解で物語を整理してみたい。

    主人公は坂知稀という女性。
    ある日突然「量子病」を発症し、自分の意思とは関係なしに瞬間移動するようになってしまった。
    時はワールドダウン(世界的経済破綻)を引き起こした近未来で、それに端を欲するテロやデモが頻発していた。
    ある瞬間移動でフランスに跳んだ彼女は、テロへの報復攻撃に対する抗議デモを目にし、それを追うジャーナリストのジャンと出会う。

    ジャンは恐慌からテロ、デモへの一連の動きの影にいる存在を感じ取り調査を進め、稀とも交流を重ねていく。
    しかし、稀はまた世界のどこかへと跳躍してしまう。

    その後の物語は「ワールドダウンに関する世界的な動き」と「その裏で暗躍する人物」と「それを調べるジャン」という関連し合う軸と、「それらの軸を気にしつつも量子病のせいで傍観者でしかいられない稀が世界中をワープし続けるスポット的短編」が場面転換を繰り返しながら進んでいく。

    この構成では物語にのめり込むのは難しく、稀の視点で傍観者として話を追うことになるはずだ。
    場面転換の際には稀が瞬間移動するたびに感じるストレスも追体験することになる。
    これが作者のひとつの狙いではないかと思っている。

    終盤ではそれらの複雑な動きもひとつに収束していき、その段階で稀はある選択を迫られる。
    彼女の決定は量子病に侵されて失った、あるいは得た経験があったからこそのもので、普通は悲しいとされる出来事にも意味はあるのだと思い知らされた。

    惜しむらくは、彼女の内面というか、これだけ過酷な運命にあっても芯を保っていられる彼女のバックボーンを知ることができなかったところか。

  • 切なすぎる、けど、希望あふれる物語。最後の1文を心に刻んだ。 

  • 坂知稀は、量子病という、世界中どこにでも跳んでしまう病を抱えていた。
    跳ぶ瞬間は突然に訪れ、そのとき身につけている青いものだけ一緒についてくる。
    人との別れも幾度となくあった。
    最初は病気に振り回され、自分の意志など関係ないと思っていたが、次第に、跳ぶ先は人間の意志で決まってくるのだと知る。
    生きることをある意味放棄していた主人公が、自分の人生へ光を見出していく。
    どんな人生でも、意味を見つけて、どう生きるかは自分次第なのだ。
    別れがあれば出会いもあり、数えきれない人との出会いが自分を作っていることに気づく。

  • ごめーん、付いて行けなかった。しっとりとした雰囲気の意外にもSF。青ってどの程度の青なんだろう?水色は?柄物は?ってな事ばかり考えてしまったm(__)m挫折。

  • 量子病、といういきなりどこかにワープしちゃう病気にかかった女の子を主軸に書かれてる。

    SFファンタジーなんだけど、どこか現実の現代の未来がこうなってもおかしくないなって思えるくらいには、いい意味で想像に易いファンタジーで入り込みやすかった。
    あと、細かく章が分けられてて、それが唐突なワープ感を上手いこと描写しててすげ〜って思った。

    SNSとか、カップルアプリとか、出会いを求める人間に比例してツールも増えて、その繋がりが切れないツールや仕組みも同時にたくさんあって、それって離れ難いから作られたものだ。
    おじいさんは「別れなど、なぜ、なくてはいけない。」って言った。
    同じ事を思った人が仕組みを作った。

    おかげで、別れて二度と会えなくなる事とかに対して重みが無くなっていってるかもなあって考えた。

    出会いも別れも同じくらい尊いはずなのに。

  • 私たちは量子という波であり
    他の波に留められなければ
    粒子として存在できない。

    出会いのすべてが偶然だが
    それは必然でもある。

    誰かが必要とするから
    出会いたいと強く願うから
    その波に反応して
    私という波は粒子として顕在化する。

    この一冊の本を通じて とてつもなく
    大きなことを教えられたような気がする。

    爽快なエンディングに心からの喝采を。

    私は強く望む。マレ・サカチに出会うことを。
    そうすればいつか 彼女は私の前に現れるのだから。

    出会うことの本当の意味。教えてくれてありがとう。

  • 慌ただしく節が変わる。
    まだ紡ぎ始められたドラマの途中で、愛を届けられたその直後に、お皿を渡されようとした直前に。
    タイミングは彼女とそのまわりの人々の心などお構いなしだ。
    が、彼女は呼ばれて移動していることに気づく。
    究極の引き寄せられ体質。
    人の思考が物理化されるのであれば、彼女の病は求める人の思考をキャッチしやすく影響されやすいーーしかも己の存在を一度ばらして届けるほどにーーということだろう。
    テロやら資本主義やら、現代のきな臭さで現実を構築しながら、祝祭という非日常も連続していく。テロも非日常か。
    稀という名のとおり、マレビトとして祝祭に呼ばれ続ける彼女。
    こんなところに物理学だけでなくちゃっかり民俗学まで。
    民俗学のマレビトもトリックスターも、量子病まではいかずとも、呼ぶ人がいて呼ばれてきているのかもしれないな。
    出会いまくりの彼女は、別れまくりでもある。
    人はたくさんの出会いをそのまま抱え続けることはできない。キャパオーバーでパンクしてしまう。
    だからこそ、手放すことを知らなければならない。受け入れなければならない。
    戦争で別れた夫を待ち続ける老婦人の
    「出会いは神様の意志。でも、再会は人間の意志」
    という言葉が、忘れがたい。

    人の意識をネット上にのせて、新たなユートピアとする話は、エヴァの人類補完計画しかり、マトリックスしかり、いつか実現しそうな話ではあるが、同時に現実世界に残ったサーバーの管理者が神となるのだから、同じ人間に五感も運命も握られるというのは、私には恐ろしくてたまらない話だ。
    おまけに、一度いったら戻ってこられない、有機物として現実に存在する体がないから出てこられないというのは、それもそれで魂の、意識の牢獄だ。
    電源が落ちてサーバーがダウンしたら、人類の終わりだ。
    ネット人口が増えすぎて、サーバーダウンの危機、とか、将来的にはそんな問題も発生するのだろう。
    また、サーバーに移された彼女は、すでに本体とは違う記憶を有していた。
    わずかでも異なる記憶を持つものは、すでに同一とは言えず、異なる記憶ゆえに導き出される結論もいずれ異なることが予想される。
    己は同一であり、同時に異次元に存在しながら引き継がれることは無理なのだ。
    それこそ脳みそを移植するくらいでなければ。
    人の構築した世界に己を委ねるのは恐ろしい。

    それでも、物語があれば人は乗ってしまうのだろうか。
    エントロピー(揺らぎ)のない人生に楽しみなどない。

    さて、彼女の病は彼女の一番会いたい人のところへも、再び導いてくれるだろうか。

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著者プロフィール

一九七八年八月、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。二〇一四年、第十回C★NOVELS大賞特別賞を受賞した『天盆』(「天の眷族」を改題)で鮮烈なデビューを飾る。著書に、奇病に冒され、世界中を跳躍し続ける少女の青春を描いた『マレ・サカチのたったひとつの贈物』(中央公論新社)、本の雑誌社『おすすめ文庫王国2017』でオリジナル文庫大賞に輝いた『青の数学』(新潮文庫nex)がある。

「2018年 『マレ・サカチのたったひとつの贈物』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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