新版-犬が星見た-ロシア旅行 (中公文庫 た 15-9)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 25
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122066519

感想・レビュー・書評

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  • 親切にしてもらった人に折り鶴をあげる場面の多いことよ。なぜ折り鶴?みたいな疑問はそこにはなく、まあ折り鶴だよねーみたいな雰囲気が、この時代のもので面白いやも。

    海外旅行して、日記を残そうってなった時、食事や清潔、特にトイレ周り、人間の生活の「根本」を記したくなるのよくわかる。

  • 3.7

  • 『富士日記』で知られる武田百合子さんのソ連旅行記。淡々としていながらも感性豊かな文体がとてもいい。

  • 武田泰淳、百合子夫妻のロシア旅行記。
    当時はソ連だったか。

    素人っぽい書きぶりだな、という印象だけど、それだからこそ、逆に生き生きとしているのかもしれない。
    うんこだとかトイレだとかエロ本だとか、きれいにまとめようと思ったら書かない話だけど、そういうのをさらっと書いちゃうところがいい。

  • 海外旅行エッセイが好きで、読んでみた。
    このエッセイ…というか日記を読んでいて、なぜ自分が他人の旅行記を読むことが好きなのか、考えさせられることになる。

    通常、旅行エッセイでは、筆者が旅先で眺めた風景や交流した人々、口にした食べ物から考えを巡らせ、反省したり、新たな知見を得たりとか、そういったことが盛りだくさんなケースが多い。そしてそれか旅行エッセイというもののフォーマル、典型的な形だと思っていた。

    後書きにもあるが、これは完全なる日記である。目にしたこと、耳にした知人や夫の会話、食べた料理、他の旅行エッセイには類を見ないほど、淡々と記してある。

    正直、最初はそのあまりの単調具合に読むのに飽き飽きしてしまった…のだけど、いつのまにかそのリズミカルな叙述、周りの自然や空気を捉える暖かな感性、そしてクスりとしてしまう、ちょっとした笑い。(狙ったフレーズじゃない所がさらに良い)僕はいつのまにか、引き込まれていた。


    旅行記、旅行エッセイというものに対する考え方が変わる一冊だった。

  • 文は人なり
    と巻末の解説で色川武大が書いている。それに尽きる。

    恥ずかしながら、武田百合子は初めて読んだ。
    惚れ惚れする。
    こういう文を書ける人になりたい。

  • 武田百合子が、夫・泰淳らと中央アジア→ソ連→北欧を旅した1969年の記録。
    いや、日記形式で書かせたら右に出る者がいないのは当然だが、淡々と、だが生き生きと紡がれる毎日に引き込まれた。
    当時のこととて、前半はガイドのついた団体旅行なのだが、身勝手だけど憎めない関西の富豪・銭高老人を楽しく愛しく見てる視点など、百合子さんの人格の大きさよ。
    また、泰淳の妻への見下した物言い、そのくせ交渉・買い物・記録までなんでも頼る不甲斐なさなど、現代の女はイラッとするが、それもまた大きな愛で包んでらして…昭和の女は深い。
    ただメニューだけを羅列した食事と、やったら出てくるゲロとトイレの話題。入ってから出るまでが人の営みよのう…。
    描写と形容はうなるばかりなので、心に残ったものを抜いておく。

    「何も見えない。ただ広い草原だ。はるばるとやって来た私たちを迎えながら、アルマ・アタの町は青い山々をひきつれて遥かにあとずさり、そのまま深く眠りこんでしまっている」

    「石鹸で作ったような美青年である」

    「大きな忘れものーー東京に置いてきた「時間」。旅をしている間は死んでいるみたいだ。死んだふりをしているみたいだ」

    「いい天気。泣きたいばかりのいい天気。
    存分に泣け、と天の方から声がすれば、私は目の下に唾をつけ、ひッと嘘泣きするだろう」
    ひッと…出ないわー、すごい。

    「天の巨きな手で掴まれ、夜の間に空を飛んで、この広場に西洋将棋の駒のように無造作に置かれた。朝目が覚めたら、昨日までなかった奇妙な家がひょっこりとあるのてわ何度も眼をこすっえみているーーそんな感じなのだ」赤の広場の感想w

    「重たそうな水をめくって船が走る。雨は降ったり止んだりしている。薄陽が水面をひとわたり真鍮色に舐めてゆき、またすぐ暗い鋼色の水に戻り、雨が落ちてくる」

  • 一緒に過ごしているような気持ちにさせてくれる。今は見ることのできない異国での人々の息遣いが聞こえてくる。淡々としているからこそ、かなぁ。

  • コロナ禍で思うように外出ができなくなったことも手伝って、ああ私も旅がしたい!という感想を強く持った1冊。

    一癖も二癖もあるけどどこかお茶目な旅の同行者たちや旅先で出会う人々の無邪気さや大らかさが魅力的だった。
    きっと彼らを見つめる百合子さんの目が一番大らかなんだと思う。
    自分だったらちょっとめんどくさいなと感じると思うから。(何よりタイトルがもう…)
    あと自分を美人だと思ってる女は強いなと感じた。
    私はすれ違う人と目が合うと「(あれ…わたしボトムス履き忘れてる?)」とか「(え…顔になんか付いてる?)」など不安にしかならないので。
    水に全然あたらないのも絶対性格が関係してると思う。

    今もし全く同じルートで旅をしたとしたら街並みや人々やその空気感も全然違うんだろうな。
    終盤のレニングラード辺りまで食事がほぼパンと肉ばかりで胸焼けしそうになったけど、確かに旅行先の食事ってそうなる気がする。

    銭高老人が時々ふと夢から醒めたように「わしゃなんでここにいるんじゃろうか」と呟くのがなんだか良かった。
    本書の中では『旅をしている間は死んでいるみたいだ』とあったけれど自分は真逆に感じるなぁ。
    早く旅をして生き返りたい。

  • 本人が後々世の人に読ませることを想定してたのか、あるいは夫が妻の作家性を見抜いて書くことそのもので事足りると思っていたのか、いずれにせよ才ある方々の珍道中です。
    で著者の抜き取り方が絶妙に斜めを行っていて、まぁこのお方も変わった人なんでしょうな。
    そしてこの度が終わった後、登場人物が生気を取られたかのようにこの世を去ったこと、何か色々考えさせてくれます。
    ところで錢高という老人、かの有名なゼネコンの方ですかね。

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著者プロフィール

武田百合子
一九二五(大正一四)年、神奈川県横浜市生まれ。旧制高女卒業。五一年、作家の武田泰淳と結婚。取材旅行の運転や口述筆記など、夫の仕事を助けた。七七年、夫の没後に発表した『富士日記』により、田村俊子賞を、七九年、『犬が星見た――ロシア旅行』で、読売文学賞を受賞。他の作品に、『ことばの食卓』『遊覧日記』『日日雑記』『あの頃――単行本未収録エッセイ集』がある。九三(平成五)年死去。

「2023年 『日日雑記 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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