- Amazon.co.jp ・本 (346ページ)
- / ISBN・EAN: 9784130101462
作品紹介・あらすじ
芸道思想の古典とされる世阿弥の伝書.そこに秘められた深い稽古の智慧.『風姿花伝』だけ読んだのでは見えてこない,伝書全体の根底に潜む壮大な稽古の逆説的ダイナミズム.「無心」「劫来」「我意分」「離見の見」――その稽古哲学を読みとく試みである.
感想・レビュー・書評
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『風姿花伝』をはじめとする世阿弥の芸道論を読み解く試みです。
近代に世阿弥の伝書が発見されて以来、禅の思想にもとづいて世阿弥の芸道論が理解されてきました。しかし、加藤周一は「世阿弥に仏教が影響を与えたのではなく、仏教が世阿弥において芸術になったのである」と主張し、松岡心平は「世阿弥の思索が演劇の現場から離れ、禅のイデオロギーにからめとられてしまった」それまでの世阿弥解釈を批判しました。著者はこうした研究史を踏まえつつ、井筒俊彦の思想をみちびきの糸として、世阿弥のあたらしい解釈に挑戦しています。
井筒は「東洋哲学」を、分節を否定する「往相」からはじまって、分節のない無分別の境地に到達し、その後に新たな分節に進む「還相」へと展開するという構図にもとづいて理解しています。著者はこうした考えにもとづいて、世阿弥における「無心」と「有心」や「我見」と「離見」の関係などの解釈をおこなっています。さらに、おそらく世阿弥の思想を演者としての彼の立場から引き離す解釈に対する見なおしが進められていることを念頭に置いているのだと思われますが、演者の立場と芸道論を書き記す著者としての立場との関係についても、同様の枠組みのもとで理解することができると論じられています。
著者の基本的な世阿弥解釈の枠組みは、かつての禅にもとづく世阿弥解釈をおこなっていた論者たちがめざしていたものと、じつは異なるものではないように思われるのですが、いずれにしても本書の議論は興味深く読むことができました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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芸道思想の古典とされる世阿弥の伝書.そこに秘められた深い稽古の智慧.『風姿花伝』だけ読んだのでは見えてこない,伝書全体の根底に潜む壮大な稽古の逆説的ダイナミズム.「無心」「劫来」「我意分」「離見の見」――その稽古哲学を読みとく試みである.(出版社HPより)