中国の衝撃

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  • 東京大学出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784130130226

作品紹介・あらすじ

進展する経済と、わだかまる歴史問題。いま中国をどう見たらいいのか?西洋化ではないアジアの近代を描いて、日中間にあらわな断層と齟齬に挑む。

感想・レビュー・書評

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  • 脱亜入欧の歴史観で欧化した日本を進んだものとし、アジア(特に中国)を遅れたものとして低く見ることが古くなっていることが衝撃として現れているとする。日本だけが欧化したのではなく、中華文明圏全体が欧化・近代化したとし、質の差はなく遅速の差があるのみと指摘する。南京事件を中心とする歴史認識問題を多く取り扱っている。中国の近代化の歴史を内発変動型として16、7世紀以来の中国自身の歴史的過程から導いている。日本が資本主義社会に進み、中国が社会主義社会に進んだのは、近代化以前の社会の特質が日本は資本主義に、中国は社会主義に適していたためとする。民国期に批判された礼教は明清の社会における実態を通して見ることにより相互扶助と保険を目的としたもので、孝悌秩序はその組織化のための道具に過ぎないことを明らかにしている。中国には階級はなかった、礼俗を基礎とした社会を建設する、という梁漱溟の思想をもう一つの五・四運動として再検討している。付論の「歴史叙述の意図と客観性」では歴史自体からおのずから現れる歴史の「元の姿」を見つけ出す方法論を説いている。アヘン戦争を中国の近代の始まりとする近代史観は中国共産党が革命のために必要として作り出したもので時限が来ているとする。2007年の溝口雄三,池田知久,小島毅『中国思想史』の「郷里空間」の前身であろう「民間空間」という言葉が使われている。近代というものが西欧中心主義(中国についてはとくにマルクス主義)によって記述されており、それを各地域(例えば中国)固有のものを作り出すことによって、西欧中心主義を相対化したいという目的のもと書かれている。
    ちなみに毛沢東個人やその思想を称揚するような記述は本書にはとくにない。

  • タイトルから近年の「中国脅威論」を思い浮かべるかもしれませんがさにあらず、これまで中国の近代化の契機となったとされるアヘン戦争以後の「西洋の衝撃」論に対してつけられた表題であり、もとより中国に内在していた諸要因が中国の近代化を推し進めたという「内在的発展」論を提唱しています。しかもその「近代」とはヨーロッパ近代の“反”でも“超”でも“後”でもない、それとは異タイプの課程であり、中国の「自由」「民主」も中国の歴史過程の中から考察すべきであるとし、よって中国の「近代」とは西洋的なものとは違う、「もう一つの近代」としてアヘン戦争近代視座からの脱却を提唱しています。これまで語られ、今でも「民主化」などを語る場合の基準となっているのは間違いなく「西洋的近代」です。そうした視点から見ると中国は近代化が「遅れて」おり、「間違って」いるように見えます。しかし、そうではなく中国には中国的な近代があり、そういう観点から見ていかなければならないという意見は傾聴に値します。ただ、学問的にはそうかもしれませんが、中国はもはや「中国の中国」などではなく「世界の中の中国」である以上、世界共通の「民主」「自由」からも現代中国を見ていかねばならないというのも同時に感じました。

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著者プロフィール

中国思想史研究家、東京大学名誉教授

「2010年 『〈中国思想〉再発見』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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