- Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
- / ISBN・EAN: 9784130151313
作品紹介・あらすじ
いざ,臨床心理学をまなぶ航海へ! 「臨床心理学」とは何か,ストーリー仕立てでわかりやすく解説.何を目指してまなぶのか,そのためにはどのような選択をすべきかを確認しながら,学習の正しい道筋をガイドする.現代の状況に即応した決定版入門テキスト.
一般社団法人臨床心理iネットのウェブサイトにて,著者の下山晴彦先生による内容紹介動画が公開されています.
感想・レビュー・書評
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「日本の臨床心理学は長い間,このような世界の動きから取り残され,古いタイプのカウンセリングや心理療法の学派の集合体に甘んじていました。しかし,それでは社会的ニーズに応えられないとの反省も生まれつつあり,最近になってようやく新たな段階に向けての転換期を迎えるようになりました。」
本シリーズ刊行の弁としては妥当とは言える。とはいえ,世界の動きから取り残されようが,異なっていようが,文化の違いを超える必要は特にないと思う。しかし,それは国内での社会的ニーズと責任を果たすということが前提だ。その前提にはエビデンス希求も含まれるだろう。
基礎系心理学と臨床系心理学の不和は,アカデミックな場にありながら,根拠の重視/軽視という違いであることは,少し心理学を学べばすぐに気づくことだ。もちろん根拠の軽視は,アカデミックスキルから見ても許されないので,エビデンスベイストを嫌う臨床家やそのような立場が大学内に存在していることがおかしいと思われても仕方がない。
イギリスではそういう客観性を軽んじる立場は民間の心理療法研究所に位置するのであり,大学にはない。大学の臨床心理学はエビデンスベイストなのだ。日本の臨床心理学は,権威主義者が影響したがゆえに,心理臨床学という名で非常に特異な形でアカデミックに入り込んだ。この本は,そんな状態を打破し,アカウンタビリティなど社会に認知される性質を備えた臨床心理学になるべきだと主張する。
エビデンスを嫌う臨床家が近くにいるので,その主張には非常に納得できる。精神分析は全然あかん。ただでさえ胡散臭いのに,エビデンスを嫌うなんて,前近代的だし,亜宗教同然。科学的であるべきだと言わない臨床家は精神分析の信者だ。一方で,本当かどうかは知らないが「ユング心理学は科学だ」みたいなことを放送大学の授業で言っているとも聞く。基礎系の人間がそれを知ったら「ウソツキ」と言うだろう。
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…日本の臨床心理学においては,特定の理論に基づいて心の内面ばかりに焦点を当てる偏ったアセスメントや介入が横行しています。そのような偏りを是正するためにも研究活動の充実が望まれています。(p.15)
研究活動の結果,近年に至り,役立つ介入技法だけでなく,役立たない介入技法も明らかとなってきています。たとえば,役立たないという研究結果が出ているにもかかわらず,その技法を用いて介入し,逆に問題が悪化するといったことが起きたとしましょう。そのような実践は,社会的な活動として認められないだけでなく,専門職としての倫理に抵触する行為になります。(p.19)
カウンセリング,心理療法,臨床心理学,そして心理臨床学の四者を混同してしまっているために,臨床心理学が何たるかを誤解している人が指導者層の中にも数多くいるのです。そして,そのような誤解が日本の臨床心理学の混乱を招き,発展を妨げている面は否めません。(p.28)
さらに,主観的世界と,その世界に共感することからのみ臨床心理学を理解しようとした場合,重要なポイントが見落とされるということも生じてきます。臨床心理学の活動の有効性を評価する視点が排除されてしまうのです。本当に役だっているのかを評価し,より有効な活動に改善していくためには,自らのあり方を客観的に分析する科学的態度が必要となるのです。
厳密に考えた場合,主観的世界や自己はどのようなものであり,それへの共感はどのようにすれば可能になるのか,といった事柄は決して自明なことではないはずです。そこでは,前提となっている理論を疑ってかかる科学的態度が必要となるのです。ただ単に先達が提案した理論を教義のように信じて疑わないのでは,宗教と変わらないことになります。そもそもクライエントの主観的世界への共感が,必ずしも不適応の解決や苦悩の低減にならない場合もあるでしょう。…(pp.30-31)
[英国に限らず]カウンセリング心理療法は,ともに心理学を基礎としない点で共通しています。しかし,カウンセリングが特定の学派にこだわらずにさまざまな技法を統合する援助学として大学内に位置を確保しているのに対して,心理療法は依拠する理論にこだわり,学派色の強い私的な養成機関での教育を行うことを重視する点で両者は異なります。したがって,大学院の専門教育では心理療法が前面に出ることはありません。このように臨床心理学,カウンセリング,心理療法の三者の目的と機能は分化していることになります。(pp.33-34)
このように「(心理力動的な)個人心理療法」を理想モデルとしながら,「カウンセリング」を実質モデルとして大多数を構成し,「臨床心理学」はほとんど機能していないというのが,日本の“いわゆる臨床心理学”の内実なのです。
その結果,臨床心理学であれば本来重視されるべきアセスメントや研究活動が軽視されることになってしまっています。それは,既存の学派の理論を信奉する「心理療法」が理想モデルとなっているからです。つまり,心理療法では,事例の問題理解において自らが信奉する理論を当てはめて理解する傾向が強いので,理論を離れて事例の現実に即して客観的に問題を分析していくアセスメントの発想が育ちにくいのです。(p.37)
日本の心理療法において現在のところ主流派となっている心理力動学派では,無意識を含む主観的世界への共感が強く強調されます。そのため,学問や活動が主観的色彩を帯びるようになってしまっています。…臨床心理学の根幹に実践性と科学性があるとするならば,日本では,科学性が無視されるとともに,実践性についても主観性に変調した状態になってしまっているのです。その結果,…科学性を重視する学術的心理学や(精神)医学と協調できなくなり,さらには専門性や活動のあり方をめぐって深刻な対立が起きています。
このような深刻な問題が生じているにもかかわらず,状況はなかなか改善されません。それは,カウンセリング,心理療法,臨床心理学の区別がつかない混沌とした状態が続いているからです。三者を区別をしていく代わりに,その混在した状態に「心理臨床学」という名称を付与し,あたかもひとつの学問のような印象を与えているのです。これによって,異なる学問が混在していること,そして臨床心理学の発展に欠かせないアセスメントや研究活動が弱体化しているという事実が覆い隠されてしまっています。(p.38)
日本では心理療法の学派がそれぞれ自己主張する中で,心理力動学派,特に無意識の真相を重視するユング学派の影響が強く,個人心理療法が中心の発想が根強く残っています。科学的志向性が弱く,実証研究が育っていません。学術的心理学や精神医療との間で良好な関係が築けていません。資格も財団法人の認定資格にとどまっています。
それに対して英国の臨床心理学では,自らを応用心理学と位置付け,科学者―実践者モデルに基づく教育と訓練のモデルを明確に打ち出しています (Marzillier & Hall, 1999)。実証的な効果研究を重視し,認知行動療法を中心とした統合的な介入法を採用することで一貫性を保っています。生物―心理―社会モデルを前提とし,個人,組織,コミュニティに臨床サービスを提供するメンタルヘルスの専門職として心理職を位置付けています。国家資格に準じる心理士資格を持ち,NHS内で正式の専門職として,意思をはじめとする他の専門職や行政職と連携してコミュニティでの臨床活動を発展させています。学術的心理学と協力関係を保つとともに意思や看護師との協働チームを発展させています。(p.53: 英国では科学者―実践者モデルに異を唱えるグループが心理療法の協会を作って臨床心理学から離れた歴史があるとのこと。)
英国のみならず,今や世界の臨床心理学のスタンダードになっているのがエビデンスベイスト・アプローチです。臨床心理士が[近代]社会の要請に答えられる心理援助の専門職になるためには,実践活動の有効性を社会に示すことが必要となります。欧米の臨床心理学では,そのような社会的要請に対応して,1970年代から活動の効果を実証的に評価する効果研究が広く行われるようになってきました。その結果,学派の相違は重要な意味を持たないことが明らかになりました。そして,学派の教義や理論を根拠にするのではない,具体的なデータという証拠に基づいた,つまりエビデンスベイストなアプローチが定借してきたのです。(pp.56-57)
旧来の臨床心理学は,学派単位の心理療法の集合体であり,各学派の立場から心理療法の有効性が主観的に語られるだけでした。客観的にその有効性が評価されることがなく,その点で社会性に乏しいという限界がありました。ところが,効果研究という第三者の目がそこに入り,客観的にその効果を評価することによって,その限界を越えることができたのです。その結果,臨床心理学の有効性を社会に伝えることができるようになり,臨床心理学の専門性が高まったのです。こうして臨床心理学の近代化が達成されたわけです。
ここで重要なのは,問題の種類ごとに有効な介入法が研究され,その効果が判別されていることです。つまり,あらゆるタイプの問題に万能な心理療法などは存在しないことが実証的に明らかにされたのです。特定の学派の心理療法が万能であるかのごとき説明をすることは,その学派のドグマを訓練生や利用者に一方的に押し付けていることにもなるのです。エビデンスベイスト・アプローチによって,心理療法の学派にこだわるのではなく,問題ごとに適切な介入法を選択することの必要性が明らかとなり,臨床心理学の統一が可能となったのでした。(p.57)
このように認知行動療法は,これまでに提案されてきたさまざまな心理療法の各介入側面を包含するものです。その点でさまざまな心理療法の統合の基盤を提供するものとなっています。したがって,英国の臨床心理学が主要な介入法として認知行動療法を選択したのは,単に効果研究のデザインに組み入れてエビデンスベイスト・アプローチを発展させるのに役だったという理由だけではなかったのです。認知行動療法は,事例の問題に適合するように柔軟に技法を組み合わせ,現実のさまざまな側面に介入することを可能にしたという点で臨床心理学のアカウンタビリティを高めるのにも貢献できたからです。(p.66)
“専門家”という言葉には,「一家を成す」といった表現に示されるような,独立した権威といった意味合いが含まれていました。しかし,現代社会において臨床心理士が求められている専門性は,そのような専門“家”ではなく,他職種と平等に協働できる専門“職”としての能力なのです。このような協働する能力は,実践活動だけでなく,研究活動などにおいても求められるようになっています。(p.71)
では,臨床心理士という専門職になることを目指して臨床心理学をまなぶ人は,このような科学的な方法を習得する必要はないのでしょうか。もし習得する必要があるとしたら,それはなぜなのでしょうか。さらに,心理学の研究は,科学的でなければならないのでしょうか。このような疑問は,臨床心理学と心理学全体との関係に関する次の疑問にもつながっていきます。臨床心理学は,心理学の一分野なのでしょうか。それとも,心理学という名称がついているだけで,実際には心理学とは異なる活動なのでしょうか。(p.124)
通常,研究成果として専門誌で公表されるものは,何らかの一般性や普遍性を持つものであることが求められます。特定の一事例で役立ったことを示しただけならば,それは,単なる事例の報告であって,研究の成果として公表するのに値するレベルとはいえません。したがって,個別事例における実践活動を通しての研究活動は,厳密な意味での“研究”とは言えないのです。複数の個別事例を経験する中でそこに共通した仮説を見出すことができた時に初めて,その仮説は一般性を持つことになります。たとえば,複数の強迫性障害に共通の特徴や有効な介入技法を見出すことができた時に,それは個別事例にのみ有効な仮説を超えて,一般性を持つモデルとなります。(p.127)
古いタイプの臨床心理学では,臨床心理学をさまざまな心理療法の学派の集合体と見なし,実践に当たっては,実践をする者が好ましいと考える学派の“理論”を事例に適用することを前提としていました。しかし,そのような“理論”は,それぞれの学派の創始者やその関係者が臨床経験に基づいて提案したものであって,研究手続きにしたがって構成されたものでも,ましてや,科学的研究によっtえその妥当性が検証されたというものでもありませんでした。したがって,それは,“理論”というよりも,学派の“教義”というべきものでした。
それに対して,既に第3章で確認したように,英米圏の臨床心理学では1960年代頃よりエビデンスベイスト・アプローチが主張されるようになり,問題理解の内容や介入の方法の妥当性が実証的に検討されるようになりました。その結果,現代の臨床心理学においては,エビデンスベイスト・アプローチが主流となってきたわけです。(pp.128-129)
…臨床心理学の実践活動においては,研究成果を参照して,問題を適切に理解し,有効な介入をしていかなければなりません。最新の研究成果を無視して,誤った問題理解をし,有効性のない,あるいは有害な介入をした場合には,専門職としての倫理に抵触することになります。もしそのような不適切な対応をして,クライエントから訴えられたならば,法的責任を問われることもあり得ます。(p.131)
…,各学派の心理療法の創始者などによって提唱された“理論”の多くは,研究活動の成果といえるものではありません。そこで,臨床心理学では,既存の“理論”の妥当性を検証する研究活動とともに,新たな問題理解のためのモデルや介入技法を開発し,その妥当性を検証する研究活動をも発展させていかなければならないのです。そこでは,提案された仮説やモデルの普遍的な妥当性を,実践から離れて科学的方法によって客観的に検証することが求められます。したがって,そのような研究は,“実践を通しての研究”とは異なります。(p.131)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大学院の教科書に指定されていたため、ひとまず通読しました。
世界と我が国における臨床心理学やその周辺領域の歴史的背景を重視しながら臨床心理学を概説する1冊です。
歴史を語るということは、当然語り手の歴史観がある程度反映されるのですが、本書に関しては(特に近年までの我が国の臨床心理学について)ややイデオロギー的主張が過ぎる箇所が散見されました。
しかし、歴史的事実そのものに関しては示唆に富む内容となっており、本書が刊行されてから成立した公認心理師のあり方、公認心理師を目指す人間の姿勢を考える上で参考になります。 -
1800円購入2020-03-08
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東大の院試の勉強に使いました。
臨床心理コースの問題には必ず
社会への臨床心理学の位置付けについての問いが出てきますが
それへの下山教授の"模範解答"がここに書かれています。
勿論勉強のためでなくとも、
今後その道を志す方は是非読んでおくべき本だと思います。 -
まだまだ未発達の学問、臨床心理学。心理学は科学である。
研究、実践活動の重要性。
例え同じ病名がついても、ひとくくりに出来ない。すべての人の生きてきた背景は違う。
専門的な言葉を用いながらも、その説明をきちんと載せている読みやすい一冊でした。 -
色々整理できました
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臨床心理学とはどういうものかを、
カウンセリング、心理療法との違いや
海外と日本の臨床心理の世界の歴史を紐解きながら、
解説している。
臨床心理学が社会の中で果たす役割や
国家資格化に対する意義や私見も述べられている。
特に臨床心理学とカウンセリング、心理療法の違いについて
明確になったことと
海外と日本の臨床心理学の発展の違いが興味深く面白かった。
著者の姿勢、今すぐ国家資格化すべしというものではなく、
その前に社会に対して果たすべき義務、やることがあるだろうという
冷静な視点が好感が持てた。