- Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
- / ISBN・EAN: 9784130830188
作品紹介・あらすじ
日本的とは何か-その核心となる「もののあはれ」を初めて形式化した本居宣長。彼の言語思想を、異界の視座から精神史的に位置づけ、現在の問題としてとらえる。
感想・レビュー・書評
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「はじめに」には、「宣長個人というより一般的に「宣長問題」と呼ぶべきものの考察を目指している」と述べられています。「宣長問題」ということばは、子安宣邦の『「宣長問題」とは何か』(2000年、ちくま学芸文庫)で用いられていますが、フランス現代思想に造詣の深い子安がとりわけ宣長の思想をそのディスクールとしての側面から批判的に考察をおこなっているのに対して、本書は基本的には日本思想史の領域に固有の議論がおこなわれています。
著者はまず、日本思想史における異界観の変遷という、やや意表を突くテーマをとりあげます。著者は、古代から中世における和歌や能などについて考察をおこない、それらのうちに異界と現実の往還という思想が見られることを指摘します。しかし近世に入ると、こうした異界観は衰退し、近松の浄瑠璃に見られるように虚構の世界をどこまでも虚構として受け取るような態度が生じたと述べられます。
こうした異界観の変遷を背景に置きながら、著者は宣長の思想についての考察を展開していきます。著者は、宣長の師であった儒学者の堀景山や契沖、荻生徂徠などとの比較を通して、中世までの異界が喪失した時代を生きた宣長が、近世の社会に支配的だったイデオロギーとの同化を果たすことができず、むしろそれに対する違和を抱え込まざるをえなかった者の立場から、その思想を形成してきたことを明らかにしています。
著者独自の観点から宣長の思想にアプローチをおこなっている、きわめて個性的な宣長論になっています。詳細をみるコメント0件をすべて表示