- Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140010402
感想・レビュー・書評
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学生時代
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(1968.01.08読了)(1967.11.02購入)
*(帯より)*
人間社会形成の過程を、さまざまな動物の社会的集団と対比させながら、広い学問的視野から興味深く論じた異色作。 -
生物社会学者の今西錦司が、人間の文明について語ったシンポジウムをもとにしたもの。
人間が自然の生態系から独立した生活圏を形成しはじめたきっかけが「農耕」の開始だった、というのは聞いたことがあるけど(『宇宙人としての生き方』の松井孝典さんもそんなことを言っていた)、今西さんによると、人間社会における最大の「革命」は、農耕そのものの興りよりも、農耕によって得られた余剰生産物を「捕食」することで維持される組織体(超個体的個体)が形成されたことである、という。
古くは、農民が生産した余剰食物を備蓄管理する役割をになった神官たち。もうちょっとそれが発展すると、訓練された軍隊をもつ国家的組織になる。
これを今西さんは「捕食性スーパーオイキア」と呼ぶ。
本の内容はシンポジウムで今西さんがしゃべったことなので、参加者からのコメントと、それらに対する今西さんの答えもうしろのほうに採録されていて、「捕食性スーパーオイキア」というのはちょっと擬人化がすぎるんじゃないかというようなつっこみもあるのだけど、全体のイメージを言い表すのには、そういったアナロジーが有効なのだろう。
とはいえ、インセストの問題とか、直立二足歩行の問題とかもあって、それらのことも含めて全体をイメージするのはなかなか難しい…
でも、次の引用部分なんかには、なんとなく納得した。
(以下引用)
「いずれにしても、いきつくところはスーパーオイキアであるということでありますと、そのモデルはすでに古代文明社会の中に用意されていたともいえるし、あるいはモデルにたよらなくても、人間を大勢かかえこんで、これを編成するとすれば、スーパーオイキアという形をとる以外に他に道がない、ということであるのかもしれない。そして、その辺に人間という動物にゆるされた社会組織上の限界があるのかもしれないとも、考えられてくるのであります。つまり人間は数千年前、自然からの独立に成功して、古代文明社会をうちたてたとき、人間として可能な社会の型をすでに打ち出していた。革命を何度やっても、いつもこの型からぬけられていないし、新しいものをつくったと思っても、それはすでにあった型のイミテーションか、バリエーションにすぎなかったことが、これを明らかにしているかのようであります。そうとするならば古代文明社会の成立は、それをもって人間の完成とまではいわないが、その基礎をうちたてた、という意味で、人間の歴史にとってじつに大きなエポックであったということを、ここにあらためて認識すべきである、ということにもなるでしょう」。
(引用おわり)
産業革命以降にあらわれた会社組織や金融組織も、「牙」=軍隊をもたないだけで、やっぱり余剰生産物を囲い込むことで自らを維持していくスーパーオイキアであることにかわりはない…
卑近な話にあてはめると、人間社会に生きる以上は、いくら社会革命を重ねていったとしても、捕食する側(他人からとった税金や剰余価値を食い扶持にする人たち)と、捕食される側(せっせと働いて余剰をとられる人たち)のどちらかに属するしかないということ…かな? うーん。